《死者之書》正解

Kenshin
2009-08-30 看过
看介紹,以為是一套劇情片。錯了,大大的錯了。單單以故事來說,
會令觀眾摸不著頭腦的,而且場刊簡介中說什 「公主拯救王子」之
類,更加大大的誤導了觀眾。容許我把簡介改寫一遍:
日本的葛城山上的佛寺當麻寺,供奉著公元七世紀前後的曼陀羅(描
繪覺悟世界諸佛、菩薩和神的圖畫),而這幅曼陀羅,更有一個傳說
,講述一位貴族的女兒將蓮絲編成布匹,再親手把曼陀羅繪成。昭和
初年,與柳田國男齊名的民俗學者折口信夫(以釋迢空作筆名),根
據這個傳說加上搜集回來的資料,寫成《死者之書》。內容描寫天武
天皇兒子大津皇子因權力鬥爭被誣陷殺害,臨死前因瞥見女子耳面刀
自美麗的容貌而念念不忘,多年後耳面刀自的後人、貴族藤原家的女
兒因悟佛而與墳中的皇子相遇,藤原家郎女在當麻寺裡為他織布,把
他的容貌畫成曼陀羅。
看完以上的介紹,大概會猜到,這個故事是要有先驗,即是知道了故
事背景和結果才會明白奧妙之處的。作品的重點不在人物的關係和因
果,而在於佛性和民間傳說與歷史遺物的關連。老實說,我沒什 佛
性,所以不大理解郎女抄一千卷阿彌陀經是弘揚佛法還是潛心修佛,
也不知道究竟皇子是變了厲鬼還是成了佛(還是一般人以為是鬼,郎
女卻看到佛),所以只有從「原來這件古物背後有這 一個故事啊」
來看。
如果只從技法來看,川本喜八郎的人形作品是很特別的,造型生動,
細節處理得井井有條,畫面豐富,音樂也很配合。如果對民俗學或佛
學有興趣的,這作品很值得看,可是如果想看「王子復仇記」的話,
抱歉,完場時一定會有大量疑問……

                         死者の書
                          釋迢空



        一

彼(カ)の人の眠りは、徐(シヅ)かに覺めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて來るのを、覺えたのである。
 した した した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。
膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覺をとり戻して來るらしく、彼(カ)の人(ヒト)の頭に響いて居るもの――。全身にこはゞつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌?足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけてゐるのだ。
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見す瞳に、まづ壓(アツ)しかゝる黒い巖の天井を意識した。次いで、氷になつた岩牀(ドコ)。兩脇に垂れさがる荒岩の壁。した/\と、岩傳(イハヅタ)ふ雫の音。
時がたつた――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで來る。長い眠りであつた。けれども亦、淺い夢ばかりを見續けて居た氣がする。うつら/\思つてゐた考へが、現實に繋つて、あり/\と、目に沁みついてゐるやうである。

あゝ耳面刀自(ミヽモノトジ)。

甦(ヨミガヘ)つた語が、彼の人の記憶を、更に彈力あるものに、響き返した。

耳面刀自。おれはまだお前を……思うてゐる。おれはきのふ、こゝに來たのではない。それも、をとゝひや、其さきの日に、こゝに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もつと/\長く寢て居た。でも、おれはまだ、お前を思ひ續けて居たぞ。耳面刀自(ミヽモノトジ)。こゝに來る前から……こゝに寢ても、……其から、覺めた今まで、一續きに、一つ事を考へつめて居るのだ。

古い――祖先以來さうしたやうに、此世に在る間さう暮して居た――習(ナラハ)しからである。彼の人は、のくつと起き直らうとした。だが、筋々が斷(キ)れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫けるやうな、疼きを覺えた。……さうして尚、ぢつと、――ぢつとして居る。射干玉(ヌバタマ)の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの樣に、嚴かに、だが、すんなりと、手を伸べたまゝで居た。
耳面刀自の記憶。たゞ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓(ヒロガ)つて、過ぎた日の樣々な姿を、短い聯想の紐に貫いて行く。さうして明るい意思が、彼の人の死枯(シニガ)れたからだに、再立ち直つて來た。

耳面刀自。おれが見たのは、唯一目――唯一度だ。だが、おまへのことを聞きわたつた年月は、久しかつた。おれによつて來い。耳面刀自。

記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て來た。

おれは、このおれは、何處に居るのだ。……それから、こゝは何處なのだ。其よりも第一、此おれは誰(ダレ)なのだ。其をすつかり、おれは忘れた。
だが、待てよ。おれは覺えて居る。あの時だ。鴨が聲(ネ)を聞いたのだつけ。さうだ。譯語田(ヲサダ)の家を引き出されて、磐余(イハレ)の池に行つた。堤の上には、遠捲きに人が一ぱい。あしこの萱原、そこの矮叢(ボサ)から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚(オラ)び聲を、擧げて居たつけな。あの聲は殘らず、おれをいとしがつて居る、半泣きの喚(ワメ)き聲だつたのだ。
其でもおれの心は、澄みきつて居た。まるで、池の水だつた。あれは、秋だつたものな。はつきり聞いたのが、水の上に浮いてゐる鴨鳥(ドリ)の聲(コヱ)だつた。今思ふと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭き聲だつた氣がする。――をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉體と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた氣がした。俄かに、樂な廣々とした世間に、出たやうな感じが來た。さうして、ほんの暫らく、ふつとさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣らぬ世界のものになつてしまつたのだ。
あゝ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。

足の踝(クルブシ)が、膝の膕(ヒツカヾミ)が、腰のつがひが、頸のつけ根が、顳(コメカミ)が、ぼんの窪が――と、段々上つて來るひよめきの爲に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として――常闇(トコヤミ)。

をゝさうだ。伊勢の國に居られる貴い巫女(ミコ)――おれの姉御(ゴ)。あのお人が、おれを呼び活けに來てゐる。
姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御(オン)神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、觸(サハ)つてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、蹈み止(トマ)つて居るのだ。――あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ……忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開(ア)けては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。
なあんだ。誰も、來ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、天日(テンピ)に暴(サラ)されて、見る/\、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の聲で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも今(インマ)の事――だつたと思ふのだが。昔だ。
おれのこゝへ來て、間もないことだつた。おれは知つてゐた。十月だつたから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻ぢちぎられて、何も訣らぬものになつたことも。かうつと――姉御が、墓の戸で哭き喚(ワメ)いて、歌をうたひあげられたつけ。「巖石(イソ)の上(ウヘ)に生ふる馬醉木(アシビ)を」と聞えたので、ふと、冬が過ぎて、春も闌(タ)け初めた頃だと知つた。おれの骸(ムクロ)が、もう半分融け出した時分だつた。そのあと、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。さう言はれたので、はつきりもう、死んだ人間になつた、と感じたのだ。……其時、手で、今してる樣にさはつて見たら、驚いたことに、おれのからだは、著こんだ著物の下で、(ホジヽ)のやうに、ぺしやんこになつて居た――。

臂(カヒナ)が動き出した。片手は、まつくらな空(クウ)をさした。さうして、今一方は、そのまゝ、岩牀(ドコ)の上を掻き搜つて居る。

うつそみの人なる我や。明日よりは、二上(フタカミ)山を愛兄弟(イロセ)と思はむ

誄歌(ナキウタ)が聞えて來たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。
よい姉御だつた。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。
其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた氣がする。伊勢の巫女樣、尊い姉御が來てくれたのは、居睡りの夢を醒された感じだつた。其に比べると、今度は深い睡りの後(アト)見たいな氣がする。あの音がしてる。昔の音が――。
手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎭めて――。鎭めて。でないと、この考へが、復散らかつて行つてしまふ。おれの昔が、あり/\と訣つて來た。だが待てよ。……其にしても一體、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫(ツマ)なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。

兩の臂は、頸のり、胸の上、腰から膝をまさぐつて居る。さうしてまるで、生き物のするやうな、深い溜め息が洩れて出た。

大變だ。おれの著物は、もうすつかり朽つて居る。おれの褌(ハカマ)は、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此おれは、著物もなしに、寢て居るのだ。

筋ばしるやうに、彼の人のからだに、血の馳けるに似たものが、過ぎた。肱を支へて、上半身が、闇の中に起き上つた。

をゝ寒い。おれを、どうしろと仰るのだ。尊いおつかさま。おれが惡かつたと言ふのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまひます。

彼の人には、聲であつた。だが、聲でないものとして、消えてしまつた。聲でない語(コトバ)が、何時までも續いてゐる。

くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て來た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寢床の上を這ひずりつてゐるのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばた/″\やつてゐるおれの、見える奴が居ぬのか。

その唸き聲のとほり、彼の人の骸(ムクロ)は、まるでだゞをこねる赤子のやうに、足もあがゞに、身あがきをば、くり返して居る。明りのさゝなかつた墓穴の中が、時を經て、薄い氷の膜ほど透(ス)けてきて、物のたゝずまひを、幾分朧ろに、見わけることが出來るやうになつて來た。どこからか、月光とも思へる薄あかりが、さし入つて來たのである。

どうしよう。どうしよう。おれは。――大刀までこんなに、錆びついてしまつた……。


        二

月は、依然として照つて居た。山が高いので、光りにあたるものが少かつた。山を照し、谷を輝かして、剩る光りは、又空に跳ね返つて、殘る隈々までも、鮮やかにうつし出した。
足もとには、澤山の峰があつた。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあつて、深々と畝つてゐる。其が見えたり隱れたりするのは、この夜更けになつて、俄かに出て來た霞の所爲(セヰ)だ。其が又、此冴えざえとした月夜を、ほつとりと、暖かく感じさせて居る。
廣い端山(ハヤマ)の群(ムラガ)つた先(サキ)は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く續いた、輝く大佩帶(オホオビ)は、石川である。その南北に渉つてゐる長い光りの筋が、北の端で急に廣がつて見えるのは、凡河内(オホシカフチ)の邑のあたりであらう。其へ、山間(アヒ)を出たばかりの堅鹽(カタシホ)川―大和川―が落ちあつて居るのだ。そこから、乾(イヌヰ)の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列つて見えるのは、日下江(クサカエ)?永瀬江(ナガセエ)?難波江(ナニハエ)などの水面であらう。
寂かな夜である。やがて鷄鳴近い山の姿は、一樣に露に濡れたやうに、しつとりとして靜まつて居る。谷にちら/\する雪のやうな輝きは、目の下の山田谷に多い、小櫻の遲れ咲きである。
一本の路が、眞直に通つてゐる。二上山の男嶽(ヲノカミ)女嶽(メノカミ)の間から、急に降(サガ)つて來るのである。難波(ナニハ)から飛鳥(アスカ)の都への古い間道なので、日によつては、晝は相應な人通りがある。道は白々と廣く、夜目には、芝草の蔓(ハ)つて居るのすら見える。當麻路(タギマヂ)である。一降りして又、大降(クダ)りにかゝらうとする處が、中だるみに、やゝ坦(ヒラタ)くなつてゐた。梢の尖つた栢(カヘ)の木の森。半世紀を經た位の木ぶりが、一樣に揃つて見える。月の光りも薄い木陰全體が、勾配を背負つて造られた圓塚であつた。月は、瞬きもせずに照し、山々は深くを閉ぢてゐる。

こう こう こう。

先刻(サツキ)から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり寂けさに馴れた耳は、新な聲を聞きつけよう、としなかつたのであらう。だから、今珍しく響いて來た感じもないのだ。

こう こう こう――こう こう こう。

確かに人聲である。鳥の夜聲とは、はつきりかはつた韻(ヒヾキ)を曳いて來る。聲は、暫らく止んだ。靜寂は以前に増し、冴え返つて張りきつてゐる。
この山の峰つゞきに見えるのは、南に幾重ともなく重つた、葛城の峰々である。伏越(フシゴエ)櫛羅(クシラ)小巨勢(コヾセ)と段々高まつて、果ては空の中につき入りさうに、二上山と、この塚にのしかゝるほど、眞黒に立ちつゞいてゐる。
當麻路をこちらへ降つて來るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一氣に、この河内路へ馳けおりて來る。
九人と言ふよりは、九柱の神であつた。白い著物?白い鬘(カツラ)、手は、足は、すべて旅の裝束(イデタチ)である。頭より上に出た杖をついて――。この坦(タヒラ)に來て、森の前に立つた。

こう こう こう。

誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々のこだまは、驚いて一樣に、忙しく聲を合せた。だが山は、忽一時の騷擾から、元の緘默(シヾマ)に戻つてしまつた。

こう こう。お出でなされ。藤原南家(ナンケ)郎女(イラツメ)の御魂(ミタマ)。
こんな奧山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。
お身さまの魂(タマ)を、今、山たづね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。

九つの杖びとは、心から神になつて居る。彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。鬘は此時、唯眞白な布に過ぎなかつた。其を、長さの限り振り捌いて、一樣に塚に向けて振つた。

こう こう こう。

かう言ふ動作をくり返して居る間に、自然な感情の欝屈と、休息を欲するからだの疲れとが、九體の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲きこんで鬘とし、杖を手にとつた旅人として、立つてゐた。

をい。無言(シヾマ)の勤(ツト)めも此までぢや。
をゝ。

八つの聲が答へて、彼等は訓練せられた所作のやうに、忽一度に、草の上に寛(クツロ)ぎ、再杖を横へた。

これで大和も、河内との境ぢやで、もう魂ごひの行(ギヤウ)もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬(イホリ)の中で魂をとり返して、ぴち/\しく居られようぞ。
こゝは、何處だいの。
知らぬかいよ。大和にとつては大和の國、河内にとつては河内の國の大關(オホゼキ)。二上の當麻路(タギマヂ)の關(セキ)――。

別の長老(トネ)めいた者が、説明を續(ツ)いだ。

四五十年あとまでは、唯ノ關と言ふばかりで、何の標(シルシ)もなかつた。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かつた、其よ。大和では、磯城(シキ)の譯語田(ヲサダ)の御館(ミタチ)に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸(ムクロ)を、罪人に殯(モガリ)するは、災の元と、天若日子(アメワカヒコ)の昔語りに任せて、其まゝ此處にお搬びなされて、お埋(イ)けになつたのが、此塚よ。

以前の聲が、まう一層皺がれた響きで、話をひきとつた。

其時の仰せには、罪人よ。吾子(ワコ)よ。吾子の爲了(シヲフ)せなんだ荒(アラ)び心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に來向ふのを、待ち押へ、塞(サ)へ防いで居ろ、と仰せられた。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壯盛(ワカザカ)りぢやつたに。今ではもう、五十年昔になるげな。

今一人が、相談でもしかける樣な、口ぶりをんだ。

さいや。あの時も墓作りに雇はれた。その後も、當麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知つて居る。ほんの苗木ぢやつた栢(カヘ)が、此ほどの森になつたものな。畏(コハ)かつたぞよ。此墓のみ魂(タマ)が、河内安宿部(アスカベ)から石擔(モ)ちに來て居た男に、憑いた時はなう。

九人は、完全に現(ウツ)し世の庶民の心に、なり還つて居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現實にひし/\と、感じられ出したのだらう。

もう此でよい。戻らうや。
よかろ よかろ。

皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言ふだけの姿(ナリ)になつた。

だがの。皆も知つてようが、このお塚は、由緒(ユヰシヨ)深(フカ)い、氣のおける處ゆゑ、まう一度、魂ごひをしておくまいか。

長老(トネ)の語と共に、修道者たちは、再魂呼(タマヨバ)ひの行(ギヤウ)を初めたのである。

こう こう こう。

をゝ……。

異樣な聲を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑ひ、其でも變に、おぢけづいた心を持ちかけてゐた。も一度、

こう こう こう。

其時、塚穴の深い奧から、冰りきつた、而も今息を吹き返したばかりの聲が、明らかに和したのである。

をゝう……。

九人の心は、ばら/″\の九人の心々であつた。からだも亦ちり/″\に、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又當麻路へ、峰にちぎれた白い雲のやうに、消えてしまつた。
唯疊まつた山と、谷とに響いて、一つの聲ばかりがする。

をゝう……。


        三

萬法藏院の北の山陰に、昔から小な庵室があつた。昔からと言ふのは、村人がすべてさう信じて居たのである。荒廢すれば繕ひ/\して、人は住まぬ廬(イホリ)に、孔雀明王像が据ゑてあつた。當麻(タギマ)の村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言ふものもあつた。さう言ふ人の傳へでは、萬法藏院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言ひ、又御自身の御發起(ゴホツキ)からだとも言ふが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍を建てさせられた。其際、山田寺の舊構を殘すため、寺の四至の中、北の隅へ、當時立ち朽りになつて居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と傳へ言ふのであつた。
さう言へば、山田寺は、役君小角(エノキミヲヅカ)が、山林佛教を創める最初の足代(アシヽロ)になつた處だと言ふ傳へが、吉野や、葛城の山伏行人(ヤマブシギヤウニン)の間に行はれてゐた。何しろ、萬法藏院の大伽藍が燒けて百年、荒野の道場となつて居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、殘つて居たと言ふのも、不思議なことである。
夜は、もう更けて居た。谷川の激(タギ)ちの音が、段々高まつて來る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。
廬の中は、暗かつた。爐を焚くことの少い此邊(ヘン)では、地下(ヂゲ)百姓は、夜は眞暗な中で、寢たり、坐つたりしてゐるのだ。でもこゝには、本尊が祀つてあつた。夜を守つて、佛の前で起き明す爲には、御燈(ミアカシ)を照した。
孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。
姫は寢ることを忘れたやうに、坐つて居た。
萬法藏院の上座の僧綱たちの考へでは、まづ奈良へ使ひを出さねばならぬ。横佩家(ヨコハキケ)の人々の心を、思うたのである。次には、女人結界(ケツカイ)を犯して、境内深く這入つた罪は、郎女自身に贖(アガナ)はさねばならなかつた。落慶のあつたばかりの淨域だけに、一時は、塔頭々々(タツチウ)の人たちの、青くなつたのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂つたぐらゐではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思つた。其で、今日晝の程、奈良へ向つて、早使(ハヤヅカ)ひを出して、郎女(イラツメ)の姿が、寺中に現れたゆくたてを、仔細に告げてやつたのである。
其と共に姫の身は、此庵室に暫らく留め置かれることになつた。たとひ、都からの迎へが來ても、結界を越えた贖ひを果す日數だけは、こゝに居させよう、と言ふのである。
牀(ユカ)は低いけれども、かいてあるにはあつた。其替り、天井は無上に高くて、而も萱のそゝけた屋根は、破風の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸つて過ぎたと思ふと、其高い隙から、どつと吹き込んで來た。ばら/″\落ちかゝるのは、煤がこぼれるのだらう。明王の前の灯が、一時(イツトキ)かつと、明るくなつた。
その光りで照し出されたのは、あさましく荒(スサ)んだ座敷だけでなかつた。荒板の牀の上に、薦筵(コモムシロ)二枚重ねた姫の座席。其に向つて、ずつと離れた壁ぎはに、板敷に直(ヂカ)に坐つて居る老婆の姿があつた。
壁と言ふよりは、壁代(カベシロ)であつた。天井から弔りさげた竪薦(タツゴモ)が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重つて居て、どうやら、風は防ぐやうになつて居る。その壁代に張りついたやうに坐つて居る女、先から嗽(シハブキ)一つせぬ靜けさである。
貴族の家の郎女は、一日もの言はずとも、寂しいとも思はぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜め息一つ洩すのではなかつた。晝(ヒ)の内此處へ送りこまれた時、一人の姥のついて來たことは、知つて居た。だが、あまり長く音も立たなかつたので、人の居ることは忘れて居た。今ふつと明るくなつた御燈(ミアカシ)の色で、その姥の姿から、顏まで一目で見た。どこやら、覺えのある人の氣がする。さすがに、姫にも人懷しかつた。ようべ家を出てから、女性(ニヨシヨウ)には、一人も逢つて居ない。今そこに居る姥(ウバ)が、何だか昔の知り人のやうに感じられたのも、無理はないのである。見覺えのあるやうに感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかつた。

郎女(イラツメ)さま。

緘默(シヾマ)を破つて、却てもの寂しい、乾聲(カラゴエ)が響いた。

郎女は、御存じおざるまい。でも、聽いて見る氣はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知つた姥でおざるがや。

一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋り出した。姫は、この姥の顏に見知りのある氣のした訣を、悟りはじめて居た。藤原南家(ナンケ)にも、常々、此年よりとおなじやうな媼(オムナ)が出入りして居た。郎女たちの居る女部屋(ヲンナベヤ)までも、何時もづか/″\這入つて來て、憚りなく古物語りを語つた、あの中臣志斐媼(ナカトミノシヒノオムナ)――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤であつた。志斐ノ老女が、藤氏(トウシ)の語部(カタリベ)の一人であるやうに、此も亦、この當麻の村の舊族、當麻眞人(タギマノマヒト)の「氏(ウヂ)の語部(カタリベ)」、亡び殘りの一人であつたのである。

藤原のお家が、今は四筋に分れて居りまする。ぢやが、大織冠さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐れました。中臣の氏人で、藤原の里に榮えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家攝録(クゲセフロク)の家柄。中臣の筋や、おん神仕へ。差別々々(ケヂメ)明らかに、御代々々(ミヨヽヽ)の宮守(マモ)り。ぢやが、今は今昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖(オヤ)、中臣の氏の神、天押雲根(アメノオシクモネ)と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります 日の御子さま。其前は、藤原の宮の 日のみ子さま。又其前は、飛鳥(アスカ)の宮の 日のみ子さま。大和の國中(クニナカ)に、宮遷し、宮奠(サダ)め遊した代々(ヨヽ)の 日のみ子さま。長く久しい御代々々(ミヨヽヽ)に仕へた、中臣の家の神業(ワザ)。郎女(イラツメ)さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聽きなされ。中臣?藤原の遠つ祖(オヤ)あめの押雲根命(オシクモネ)。遠い昔の 日のみ子さまのお喰(メ)しの、飯(イヒ)と、み酒(キ)を作る御料の水を、大和國中(クニナカ)殘る隈なく搜し覓(モト)めました。その頃、國原の水は、水澁(ソブ)臭く、土(ツチ)濁りして、日のみ子さまのお喰(メ)しの料(シロ)に叶ひません。天(テン)の神 高天(タカマ)の大御祖(オホミオヤ)教へ給へと祈らうにも、國中(ナカ)は國低し。山々もまんだ天(テン)遠し。大和の國とり圍む青垣山では、この二上山。空行く雲の通(カヨ)ひ路(ヂ)と、昇り立つて祈りました。その時、高天(タカマ)の大御祖(オホミオヤ)のお示しで、中臣の祖(オヤ)押雲根命(オシクモネ)、天の水の湧(ワ)き口(グチ)を、此二上山に八(ヤ)ところまで見とゞけて、其後久しく 日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに參ります。お聞き及びかえ。

當麻眞人(タギマノマヒト)の、氏の物語りである。さうして其が、中臣の神わざと繋りのある點を、座談のやうに語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。
外には、瀬音が荒れて聞えてゐる。中臣?藤原の遠祖が、天二上(アメノフタカミ)に求めた天八井(アメノヤヰ)の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたつて漲り激(タギ)つ川なのであらう。瀬音のする方に向いて、姫は、掌(タナソコ)を合せた。
併しやがて、ふり向いて、仄暗くさし寄つて來てゐる姥の姿を見た時、言はうやうない畏しさと、せつかれるやうな忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐ノ姥の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顏にも現れてゐた。今、當麻(タギマ)の語部(カタリベ)の姥(ウバ)は、神憑りに入るらしく、わな/\震ひはじめて居るのである。

        四


ひさかたの  天二上(アメフタカミ)に、
我(ア)が登り   見れば、
とぶとりの  明日香(アスカ)
ふる里の   神南備山(カムナビ)隱(ゴモ)り、
家どころ   多(サハ)に見え、
豐(ユタ)にし    屋庭(ヤニハ)は見ゆ。
彌彼方(イヤヲチ)に   見ゆる家群(イヘムラ)
藤原の    朝臣(アソ)が宿。


遠々に    我(ア)が見るものを、
たか/″\に 我(ア)が待つものを、

處女子(ヲトメゴ)は   出で通(コ)ぬものか。
よき耳(ミヽ)を   聞かさぬものか。
青馬の    耳面刀自(ミヽモノトジ)。

刀自もがも。 女弟(オト)もがも。
その子の   はらからの子の
處女子の   一人
一人だに、  わが配偶(ツマ)に來(コ)よ。


ひさかたの  天二上(アメフタカミ)
二上の陽面(カゲトモ)に、
生ひをゝり  繁(シ)み咲く
馬醉木(アシビ)の   にほへる子を

我(ア)が     捉(ト)り兼ねて、

馬醉木の   あしずりしつゝ

吾(ア)はもよ偲(シヌ)ぶ。藤原處女

歌ひ了へた姥は、大息をついて、ぐつたりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。
姥は居ずまひを直して、嚴かな聲音(コワネ)で、誦(カタ)り出した。
とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子樣のおそば近く侍る尊いおん方。さゝなみの大津の宮に人となり、唐土(モロコシ)の學藝(ザエ)に詣(イタ)り深く、詩(カラウタ)も、此國ではじめて作られたは、大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し傳へられる御方(オンカタ)。
近江の都は離れ、飛鳥の都の再榮えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言ふ噂が、立ちました。

高天原廣野姫尊(タカマノハラヒロヌヒメノミコト)、おん怒りをお發しになりまして、とう/\池上の堤に引き出してお討たせになりました。
其お方がお死にの際(キハ)に、深く/\思ひこまれた一人のお人がおざりまする。耳面刀自(ミヽモノトジ)と申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思ひになつて居た、と云ふでもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを續けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々、磐余(イハレ)の池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、一目見てなごり惜しみがしたくてこらへられなくなりました。藤原から池上まで、おひろひでお出でになりました。小高い柴の一むらある中から、御樣子を窺うて歸らうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に殘る執心となつたのでおざりまする。

もゝつたふ 磐余(イハレ)の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隱りなむ

この思ひがけない心殘りを、お詠みになつた歌よ、と私ども當麻(タギマ)の語部(カタリベ)の物語りには、傳へて居ります。
その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父(オホヂ)君南家(ナンケ)太政(ダイジヤウ)大臣には、叔母君にお當りになつてゞおざりまする。
人間の執心(シフシン)と言ふものは、怖(コハ)いものとはお思ひなされぬかえ。
其亡き骸は、大和の國を守らせよ、と言ふ御諚で、此山の上、河内から來る當麻路(タギマヂ)の脇にお埋(イ)けになりました。其が何(ナン)と、此世の惡心も何もかも、忘れ果てゝ清々(スガヽヽ)しい心になりながら、唯そればかりの一念が、殘つて居ると、申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其幽界(カクリヨ)の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この當麻(タギマ)までお出でになつたのでなうて、何でおざりませう。
當麻路に墓を造りました當時(ソノカミ)、石を搬ぶ若い衆にのり移つた靈(タマ)が、あの長歌を謳うた、と申すのが傳へ。

當麻語部媼(タギマノカタリノオムナ)は、南家の郎女の脅える樣を想像しながら、物語つて居たのかも知れぬ。唯さへ、この深夜、場所も場所である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり語(ガタ)り」の癖とは言へ、語部の古婆(フルバヾ)の心は、自身も思はぬ意地くね惡さを藏してゐるものである。此が、神さびた職を寂しく守つて居る者の優越感を、充すことにも、なるのであつた。
大貴族の郎女は、人の語を疑ふことは教へられて居なかつた。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞の端々までも、眞實を感じて、聽いて居る。
言ふとほり、昔びとの宿執(シユクシフ)が、かうして自分を導いて來たことは、まことに違ひないであらう。其にしても、ついしか見ぬお姿――尊い御佛と申すやうな相好が、其お方とは思はれぬ。
春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざ/\と見たお姿。此日本(ヤマト)の國の人とは思はれぬ。だが、自分のまだ知らぬこの國の男子(ヲノコヾ)たちには、あゝ言ふ方もあるのか知らぬ。金色(コンジキ)の鬣、金色の髮の豐かに垂れかゝる片肌は、白々と袒(ヌ)いで美しい肩。ふくよかなお顏は、鼻隆く、眉秀で、夢見るやうにまみを伏せて、右手は乳の邊に擧げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて、……あゝ雲の上に朱の唇、匂ひやかにほゝ笑まれると見た……その俤。
日のみ子さまの御側仕へのお人の中には、あの樣な人もおいでになるものだらうか。我が家(ヤ)の父や、兄人(セウト)たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。
尊い女性(ニシヨウ)は、下賤な人と、口をきかぬのが當時の世の掟である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考へられてゐた。それでも、此古物語りをする姥には、貴族の語もわかるであらう。郎女は、恥ぢながら問ひかけた。

そこの人。ものを聞かう。此身の語が、聞きとれたら、答へしておくれ。
その飛鳥の宮の 日のみ子さまに仕へた、と言ふお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣で、姫の前に立ち現れては、神々(カウヾヽ)しく見えるであらうぞ。

此だけの語が言ひ淀み、淀みして言はれてゐる間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡は、氣(ケ)どつたであらう。暗いみ燈(アカシ)の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧ろげに顯しはじめて居た。

我が説明(コトワケ)を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天若日子(アメワカヒコ)。天若日子こそは、天(テン)の神々に弓引いた罪ある神。其すら、其後(ゴ)、人の世になつても、氏貴い家々の娘御(ゴ)の閨(ネヤ)の戸までも、忍びよると申しまする。世に言ふ「天若(アメワカ)みこ」と言ふのが、其でおざります。
天若みこ。物語りにも、うき世語(ヨガタ)りにも申します。お聞き及びかえ。

姥は暫らく口を閉ぢた。さうして言ひ出した聲は、顏にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。

「もゝつたふ」の歌、殘された飛鳥の宮の執心(シフシン)びと、世々の藤原の一(イチ)の媛に祟る天若みこも、顏清く、聲心惹く天若みこのやはり、一人でおざりまする。
お心つけられませ。物語りも早、これまで。

其まゝ石のやうに、老女はぢつとして居る。冷えた夜も、朝影(アサカゲ)を感じる頃になると、幾らか温みがさして來る。
萬法藏院は、村からは遠く、山によつて立つて居た。曉早い鷄の聲も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい塒鳥が、近い端山(ハヤマ)の木群(コムラ)で、羽振(ハブ)きの音を立て初めてゐる。

        五


おれは活(イ)きた。

闇い空間は、明りのやうなものを漂してゐた。併し其は、蒼黒い靄の如く、たなびくものであつた。
巖ばかりであつた。壁も、牀(トコ)も、梁(ハリ)も、巖であつた。自身のからだすらが、既に、巖になつて居たのだ。
屋根が壁であつた。壁が牀であつた。巖ばかり――。觸(サハ)つても觸つても、巖ばかりである。手を伸すと、更に堅い巖が、掌に觸れた。脚をひろげると、もつと廣い磐石(バンジヤク)の面(オモテ)が、感じられた。
纔かにさす薄光りも、黒い巖石が皆吸ひとつたやうに、岩窟(イハムロ)の中に見えるものはなかつた。唯けはひ――彼の人の探り歩くらしい空氣の微動があつた。

思ひ出しだぞ。おれが誰だつたか、――訣つたぞ。
おれだ。此おれだ。大津の宮に仕へ、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦(シガツヒコ)。其が、おれだつたのだ。

歡びの激情を迎へるやうに、岩窟(イハムロ)の中のすべての突角が哮(タケ)びの反響をあげた。彼の人は、立つて居た。一本の木だつた。だが、其姿が見えるほどの、はつきりした光線はなかつた。明りに照し出されるほど、まとまつた現(ウツ)し身(ミ)をも、持たぬ彼(カ)の人であつた。
唯、岩屋の中に矗立(シユクリツ)した、立ち枯れの木に過ぎなかつた。

おれの名は、誰も傳へるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛(イト)しいおれの名は、さうだ。語り傳へる子があつた筈だ。語り傳へさせる筈の語部(カタリベ)も、出來て居たゞらうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しく/\と胸を刺すやうだ。
――子代(コシロ)も、名代(ナシロ)もない、おれにせられてしまつたのだ。さうだ。其に違ひない。この物足らぬ、大きな穴のあいた氣持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかつたと同前の人間になつて、現(ウツ)し身の人間どもには、忘れ了(ホ)されて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに殉死(トモジ)にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子(アハツコ)は、罪びとの子として、何處かへ連れて行かれた。野山のけだものゝ餌食(ヱジキ)に、くれたのだらう。可愛さうな妻よ。哀なむすこよ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が傳らない。劫初(ゴフシヨ)から末代まで、此世に出ては消える、天(アメ)の下(シタ)の青人草(アヲヒトグサ)と一列に、おれは、此世に、影も形も殘さない草の葉になるのは、いやだ。どうあつても、不承知だ。
惠みのないおつかさま。お前さまにお縋りするにも、其おまへさますら、もうおいでゞない此世かも知れぬ。
くそ――外(ソト)の世界が知りたい。世の中の樣子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなつて居る。闇の中にばかり瞑(ツブ)つて居たおれの目よ。も一度くわつと(ミヒラ)いて、現し世のありのまゝをうつしてくれ、……土龍の目なと、おれに貸しをれ。

聲は再、寂かになつて行つた。獨り言する其聲は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであらう。
丑刻(ウシ)に、靜謐の頂上に達した現(ウツ)し世(ヨ)は、其が過ぎると共に、俄かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えさうだつた四方の山々の上に、まづ木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和國中(クニナカ)の、何處からか起る一番鷄のつくるとき。
曉が來たのである。里々の男は、今、女の家の閨戸(ネヤド)から、ひそ/\と歸つて行くだらう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保つてゐる。午前二時に朝の來る生活に、村びとも、宮びとも、忙しいとは思はずに、起きあがる。短い曉の目覺めの後、又、物に倚りかゝつて、新しい眠りを繼ぐのである。
山風は頻りに、吹きおろす。枝?木の葉の相軋(ヒシ)めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひつそとしたけしきに還る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈を持つたやうに、朧ろになつて來た。
岩窟(イハムロ)は、沈々と黝(クラ)くなつて冷えて行く。
した した。水は、岩肌を絞つて垂れてゐる。

耳面刀自(ミヽモノトジ)。おれには、子がない。子がなくなつた。おれは、その榮えてゐる世の中には、跡を貽(ノコ)して來なかつた。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り傳へる子どもを――。

岩牀(ドコ)の上に、再白々と横つて見えるのは、身じろぎもせぬからだである。唯その眞裸な骨の上に、鋭い感覺ばかりが活きてゐるのであつた。
まだ反省のとり戻されぬむくろには、心になるものがあつて、心はなかつた。
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であつたに違ひはない。自分すら忘れきつた、彼の人の出來あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髓の心(シン)までも、唯彫(ヱ)りつけられたやうになつて、殘つてゐるのである。

萬法藏院の晨朝(ジンテウ)の鐘だ。夜の曙色(アケイロ)に、一度騷立(サワダ)つた物々の胸をおちつかせる樣に、鳴りわたる鐘の音(ネ)だ。一(イツ)ぱし白みかゝつて來た東は、更にほの暗い明(ア)け昏(グ)れの寂けさに返つた。
南家の郎女は、一莖の草のそよぎでも聽き取れる曉凪(アカツキナ)ぎを、自身擾すことをすまいと言ふ風に、身じろきすらもせずに居る。
夜(ヨル)の間(マ)よりも暗くなつた盧(イホリ)の中では、明王像の立ち處(ド)さへ見定められぬばかりになつて居る。
何處からか吹きこんだ朝山颪(オロシ)に、御燈(アカシ)が消えたのである。當麻語部(タギマカタリ)の姥も、薄闇に蹲つて居るのであらう。姫は再、この老女の事を忘れてゐた。
たゞ一刻ばかり前、這入りの戸を搖つた物音があつた。一度 二度 三度。更に數度。音は次第に激しくなつて行つた。樞がまるで、おしちぎられでもするかと思ふほど、音に力のこもつて來た時、ちようど、鷄が鳴いた。其きりぴつたり、戸にあたる者もなくなつた。


新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が來てゐた。けれども、頑(カタクナ)な當麻氏(タギマウヂ)の語部の古姥(フルウバ)の爲に 我々は今一度、去年以來の物語りをしておいても、よいであらう。まことに其は、昨(キゾ)の日からはじまるのである。

        六

門をはひると、俄かに松風が、吹きあてるやうに響いた。
一町も先に、固まつて見える堂伽藍――そこまでずつと、砂地である。白い地面に、廣い葉の青いまゝでちらばつて居るのは、朴の木だ。
まともに、寺を壓してつき立つてゐるのは、二上山(フタカミヤマ)である。其眞下に槃佛(ネハンブツ)のやうな姿に横つてゐるのが、麻呂子山だ。其頂がやつと、講堂の屋の棟に、乘りかゝつてゐるやうにしか見えない。
女人(ニヨニン)の身は、何も知つて居る訣はなかつた。だが、俊敏な此旅びとの胸に其に似たほのかな綜合の、出來あがつて居たのは疑はれぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行つた。
此寺の落慶供養のあつたのは、つい四五日前(アト)であつた。まだあの日の喜ばしい騷ぎの響(トヨ)みが、どこかにする樣に、麓の村びと等には、感じられて居る程である。
山颪(オロシ)に吹き暴(サラ)されて、荒草深い山裾の斜面に、萬法藏院(マンホフザウヰン)の細々とした御燈(ミアカシ)の、煽られて居たのに見馴れた人たちは、この幸福な轉變(テンペン)に、目をつて居るだらう。此郷に田莊(ナリドコロ)を殘して、奈良に數代住みついた豪族の主人も、その日は、歸つて來て居たつけ。此は、天竺の狐の爲わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から殘つてゐる幻術師(マボロシ)のする迷はしではないか。あまり莊嚴(シヨウゴン)を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆られて、廊を踏み鳴らし、柱を叩いて見たりしたものも、その供人(トモビト)のうちにはあつた。數年前の春の初め、野燒きの火が燃えのぼつて來て、唯一宇あつた萱堂(カヤドウ)が、忽痕もなくなつた。そんな小さな事件が起つて、注意を促してすら、そこを、曾て美(ウルハ)はしい福田と、寺の創められた代(ヨ)を、思ひ出す者もなかつた程、それは/\、微かな遠い昔であつた。
以前、疑ひを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。當麻(タギマ)の村にありながら、山田寺(デラ)と言つたからである。山の背(ウシロ)の河内の國安宿部郡(アスカベゴホリ)の山田谷から移つて二百年、寂しい道場に過ぎなかつた。其でも一時は、倶舍(クシヤ)の寺として、榮えたこともあつたのだつた。
飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣され、堂舍をひろげ、住侶の數をお殖しになつた。おひ/\境内になる土地の地形(ヂギヤウ)の進んでゐる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。さうなる筈の、風水(フウスヰ)の相(ソウ)が、「まろこ」の身を招き寄せたのだらう。よしよし、墓はそのまゝ、其村に築くがよい、との仰せがあつた。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言ふ。まろ子といふのは、尊い御一族だけに用ゐられる語で、おれの子といふほどの、意味であつた。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すやうな事が、起つたのである。
だが、さう言ふ物語りはあつても、それは唯、此里の語部(カタリベ)の姥(ウバ)の口に、さう傳へられてゐる、と言ふに過ぎぬ古(フル)物語りであつた。纔(ワヅ)かに百年、其短いと言へる時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考へると、同じ昔となつてしまつた。
旅の若い女性(ニヨシヤウ)は、型摺りの大樣な美しい模樣をおいた著る物を襲うて居る。笠は、淺い縁(ヘリ)に、深い縹色(ハナダ)の布が、うなじを隱すほどに、さがつてゐた。
日は仲春、空は雨あがりの、爽やかな朝である。高原(カウゲン)の寺は、人の住む所から、自(オノヅカ)ら遠く建つて居た。唯凡、百の僧俗が、寺(ジ)中に起き伏して居る。其すら、引き續く供養饗宴の疲れで、今日はまだ、遲い朝を、姿すら見せずにゐる。
その女人は、日に向つてひたすら輝く伽藍のりを、殘りなく歩いた。寺の南境(ザカヒ)は、み墓山の裾から、東へ出てゐる長い崎の盡きた所に、大門はあつた。其中腹と、東の鼻とに、西塔?東塔が立つて居る。丘陵の道をうねりながら登つた旅びとは、東の塔の下に出た。
雨の後の水氣の、立つて居る大和の野は、すつかり澄みきつて、若晝(ワカヒル)のきら/\しい景色になつて居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は傍岡(カタヲカ)で、ほの/″\と北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の眞中に、旅笠を伏せたやうに見える遠い小山は、耳無(ミヽナシ)の山であつた。其右に高くつつ立つてゐる深緑は、畝傍山。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴安(ハニヤス)の池ではなからうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香具(カグ)山なのだらう。旅の女子(ヲミナゴ)の目は、山々の姿を、一つ/\に辿つてゐる。天(アメノ)香具山をあれだと考へた時、あの下が、若い父母(チヽハヽ)の育つた、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き來した、藤原の里なのだ。
もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てゝ伸び上る氣持ちになつて來るのが抑へきれなかつた。
香具山の南の裾に輝く瓦舍(カハラヤ)は、大官大寺(ダイクワンダイジ)に違ひない。其から更に眞南の、山と山との間に、薄く霞んでゐるのが、飛鳥(アスカ)の村なのであらう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生ひ立たれたのであらう。この國の女子(ヲミナゴ)に生れて、一足も女部屋(ヲンナベヤ)を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎(カゲロウ)の立つてゐる平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。
かう、その女性(ニヨシヤウ)は思うてゐる。だが、何よりも大事なことは、此郎女(イラツメ)――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、こゝまで歩いて來てゐるのである。其も、唯のひとりでゞあつた。
家を出る時、ほんの暫し、心を掠めた――父君がお聞きになつたら、と言ふ考へも、もう氣にはかゝらなくなつて居る。乳母があわてゝ探すだらう、と言ふ心が起つて來ても、却つてほのかな、こみあげ笑ひを誘ふ位の事になつてゐる。
山はづつしりとおちつき、野はおだやかに畝つて居る。かうして居て、何の物思ひがあらう。この貴(アテ)な娘御(ゴ)は、やがて後をふり向いて、山のなぞへについて、次第に首をあげて行つた。
二上山。あゝこの山を仰ぐ、言ひ知らぬ胸騷ぎ。――藤原?飛鳥の里々山々を眺めて覺えた、今の先の心とは、すつかり違つた胸の悸(トキメ)き。旅の郎女は、脇目も觸らず、山に見入つてゐる。さうして、靜かな思ひの充ちて來る滿悦を、深く覺えた。昔びとは、確實な表現を知らぬ。だが謂はゞ、――平野の里に感じた喜びは、過去生(クワコシヤウ)に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは未來世(ミライセ)を思ふ心躍りだ、とも謂へよう。
塔はまだ、嚴重にやらひを組んだまゝ、人の立ち入りを禁(イマシ)めてあつた。
でも、ものに拘泥することを教へられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の初(シヨ)重の欄干に、自分のよりかゝつて居るのに、氣がついた。
さうして、しみ/″\と山に見入つて居る。まるで瞳が、吸ひこまれるやうに。山と自分とに繋(ツナガ)る深い交渉を、又くり返し思ひ初めてゐた。
郎女の家は、奈良東城、右京三條第七坊にある。祖父(オホヂ)武智麻呂(ムチマロ)のこゝで亡くなつて後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は、男壯(ヲトコザカリ)には、横佩(ヨコハキ)の大將(ダイシヨウ)と謂はれる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬだて者(モノ)であつた。なみの人の竪にさげて佩く大刀を、横(ヨコタ)へて弔る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まださうした官吏としての、華奢な服裝を趣向(コノ)むまでに到つて居なかつた頃、姫の若い父は、近代の時世裝に思ひを凝して居た。その家に覲(タヅ)ねて來る古い留學生や、新來(イマキ)の歸化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするやうなのとも、亦違うてゐた。
さうした闊達な、やまとごゝろの、赴くまゝにふるまうて居る間に、才(ザエ)優れた族人(ウカラビト)が、彼を乘り越して行くのに氣がつかなかつた。姫には叔父彼――豐成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。
その父君も、今は筑紫に居る。尠くとも、姫などはさう信じて居た。家族の半以上は、太宰帥(ダザイノソツ)のはな/″\しい生活の裝ひとして、連れられて行つてゐた。宮廷から賜る資人(トネリ)?仗(タチ)も、大貴族の家の門地の高さを示すものとて、美々しく着飾らされて、皆任地へついて行つた。さうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が來た。
寂かな屋敷には、響く物音もない時が、多かつた。この家も世間どほりに、女部屋は、日あたりに疎い北の屋にあつた。その西側に、小な蔀戸(シトミド)があつて、其をつきあげると、方三尺位なになるやうに出來てゐる。さうして、其内側には、夏冬なしに簾が垂れてあつて、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦いだ。
それから外(ソトマハ)りは、家の廣い外郭になつて居て、大炊屋(オホヒヤ)もあれば、湯殿火燒(ヒタ)き屋なども、下人の住ひに近く、立つてゐる。苑(ソノ)と言はれる菜畠や、ちよつとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であつた。
武智麻呂存生(ゾンジヤウ)の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家と呼び慣はして來てゐる。此頃になつて、仲麻呂の威勢が高まつて來たので、何となく其古い通稱は、人の口から薄れて、其に替る稱へが、行はれ出した樣だつた。三條三坊第二保をすつかり占めた大屋敷を、一垣内(ヒトカキツ)――一字(ヒトアザナ)と見做して、横佩墻内(ヨコハキカキツ)と言ふ者が著しく、殖えて來たのである。
その太宰府からの音づれが、久しく絶えたと思つてゐたら、都とは目と鼻の難波(ナニハ)に、いつか還り住んで、遙かに筑紫の政を聽いてゐた帥(ソツ)の殿であつた。其父君から遣された家の子が、一車(ヒトクルマ)に積み餘るほどな家づとを、家に殘つた家族たち殊に、姫君にと言つてはこんで來た。
山國の狹い平野に、一代々々都遷しのあつた長い歴史の後、こゝ五十年、やつと一つ處に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なか/\整ふまでには、行つて居なかつた。
官廳や、大寺が、によつきり/\、立つてゐる外は、貴族の屋敷が、處々むやみに場をとつて、その相間々々に、板屋や瓦屋が、交りまじりに續いてゐる。其外は、廣い水田と、畠と、存外多い荒蕪地の間に、人の寄りつかぬ塚や岩群(イハムラ)が、ちらばつて見えるだけであつた。兎や、狐が、大路小路を驅ける樣なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱雀大路(シユジヤクオホヂ)の植ゑ木の梢を、夜になると、鼠(ムサヽビ)が飛び歩くと言ふので、一騷ぎした位である。
横佩家の郎女(イラツメ)が、稱讃淨土佛攝受經(シヨウサンジヤウドブツセフジユギヤウ)を寫しはじめたのも、其頃からであつた。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒(ニギ)やかにしたのは、此新譯の阿彌陀經一卷(イチクワン)であつた。
國の版圖の上では、東に偏(カタヨ)り過ぎた山國の首都よりも、太宰府は、遙かに開けてゐた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠(トホ)の宮廷領(ミカド)を通過するのであつた。唐から渡つた書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て來ないものが、なか/\多かつた。
學問や、藝術の味ひを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて大宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであつた。
南家(ナンケ)の郎女(イラツメ)の手に入つた稱讃淨土經も、大和一國の大寺(オホテラ)と言ふ大寺に、まだ一部も藏せられて居ぬものであつた。
姫は、蔀戸(シトミド)近くに、時としては机を立てゝ、寫經してゐることもあつた。夜も、侍女たちを寢靜まらしてから、油火(アブラビ)の下で、一心不亂に書き寫して居た。
百部は、夙くに寫し果した。その後は、千部手寫の發願をした。冬は春になり、夏山と繁つた春日山も、既に黄葉(モミヂ)して、其がもう散りはじめた。蟋蟀は、晝も苑一面に鳴くやうになつた。佐保川の水を堰(セ)き入れた庭の池には、遣(ヤ)り水傳ひに、川千鳥の啼く日すら、續くやうになつた。
今朝も、深い霜朝を何處からか、鴛鴦の夫婦鳥(ツマドリ)が來て浮んで居ります、と童女(ワラハメ)が告げた。
五百部を越えた頃から、姫の身は、目立つてやつれて來た。ほんの纔かの眠りをとる間も、ものに驚いて覺めるやうになつた。其でも、八百部の聲を聞く時分になると、衰へたなりに、健康は定まつて來たやうに見えた。やゝ蒼みを帶びた皮膚に、心もち細つて見える髮が、愈々黒く映え出した。
八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言ふことを厭ふやうになつた。さうして、晝すら何か夢見るやうな目つきして、うつとり蔀戸(シトミド)ごしに、西の空を見入つて居るのが、皆の注意をひくほどであつた。
實際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなつた。二十部?三十部?五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちのふがひなさを悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出來ように、と思ふからである。
南家の郎女が、宮から召されることになるだらうと言ふ噂が、京?洛外に廣がつたのも、其頃である。屋敷中の人々は、上(ウヘ)近く事(ツカ)へる人たちから、垣内(カキツ)の隅に住む奴隷(ヤツコ)?婢奴(メヤツコ)の末にまで、顏を輝(カヾヤ)かして、此とり沙汰を迎へた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかつた。其ほど、此頃の郎女は氣むつかしく、外目(ヨソメ)に見えてゐたのである。
千部手寫の望みは、さうした大願から立てられたものだらう、と言ふ者すらあつた。そして誰ひとり、其を否む者はなかつた。
南家の姫の美しい膚は、益々透きとほり、潤んだ目は、愈々大きく黒々と見えた。さうして、時々聲に出して誦(ジユ)する經の文(モン)が、物の音(ネ)に譬へやうもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。
去年の春分の日の事であつた。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向つて居た。日は、此屋敷からは、稍坤(ヒツジサル)によつた遠い山の端(ハ)に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日(ラクジツ)は俄かに轉(クルメ)き出した。その速さ。雲は炎になつた。日は黄金(ワウゴン)の丸(マルガセ)になつて、その音も聞えるか、と思ふほど鋭くつた。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、ぢつと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽れた。夕闇の上に、目を疑ふほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、あり/\と莊嚴(シヤウゴン)な人の俤が、瞬間顯れて消えた。後(アト)は、眞暗な闇の空である。山の端(ハ)も、雲も何もない方に、目を凝(コラ)して、何時までも端坐して居た。郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり勝(マサ)つて行くばかりである。
ゆくりない日が、半年の後に再來て、姫の心を無上(ムシヨウ)の歡喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸中日(チユウニチ)の夕方であつた。姫は、いつかの春の日のやうに、坐してゐた。朝から、姫の白い額の、故もなくひよめいた長い日の、後(ノチ)である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛熟した光が、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八尺(ハツシヤク)の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲く嵐――。
雲がきれ、光りのしづまつた山の端は、細く金の外輪を靡かして居た。其時、男嶽?女嶽の峰の間に、あり/\と浮き出た 髮 頭 肩 胸――。姫は又、あの俤を見ることが、出來たのである。
南家の郎女(イラツメ)の幸福な噂が、春風に乘つて來たのは、次の春である。姫は別樣の心躍りを、一月も前から感じて居た。さうして、日を數(ト)り初めて、ちようど、今日と言ふ日。彼岸中日、春分(シユンブン)の空が、朝から晴れて、雲雀は天に翔り過ぎて、歸ることの出來ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を寫し終へて、千部目にとりついて居た。
日一日、のどかな温い春であつた。經卷の最後の行、最後の字を書きあげて、ほつと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなつて居る。目をあげて見る蔀窓(シトミド)の外には、しと/\と――音がしたゝつて居るではないか。姫は立つて、手づから簾をあげて見た。雨。
苑の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立つて來た。
姫は、立つても坐(ヰ)ても居られぬ、焦躁に悶えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が來た。
茫然として、姫はすわつて居る。人聲も、雨音も、荒れ模樣に加(クハヽ)つて來た風の響きも、もう、姫は聞かなかつた。

        七

南家の郎女の神隱(カミカク)しに遭つたのは、其夜であつた。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、氣がつかずに居た。
横佩墻内(ヨコハキカキツ)に住む限りの者は、男も、女も、上(ウハ)の空になつて、洛中洛外を馳せ求めた。さうした奔(ハシ)り人(ビト)の多く見出される場處と言ふ場處は、殘りなく搜された。春日山の奧へ入つたものは、伊賀境までも踏み込んだ。高圓山の墓原も、佐紀の沼地?雜木原も、又は、南は山村(ヤマムラ)、北は奈良山、泉川の見える處まで馳せつて、戻る者も、戻る者も皆空(カラ)足を踏んで來た。
姫は、何處をどう歩いたか、覺えがない。唯、家を出て、西へ/\と辿つて來た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。姫は、誰にも教はらないで、裾を脛(ハギ)まであげた。風は、姫の髮を吹き亂した。姫は、いつとなく、髻(モトヾリ)をとり束ねて、襟から着物の中に、含(クヽ)み入れた。夜中になつて、風雨が止み、星空が出た。
姫の行くてには常に、二つの峰の竝んだ山の立ち姿がはつきりと聳えて居た。毛孔の竪つやうな畏しい聲を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であつた。其後、頻りなく斷續したのは、山の獸の叫び聲であつた。大和の内も、都に遠い廣瀬?葛城(カツラギ)あたりには、人居などは、ほんの忘れ殘りのやうに、山陰などにあるだけで、あとは曠野。それに――、本村(ホンムラ)を遠く離れた、時はづれの、人棲まぬ田居(タヰ)ばかりである。
片破れ月が、上(アガ)つて來た。其が却て、あるいてゐる道の邊(ホトリ)の凄さを、照し出した。其でも、星明りで辿つて居るよりは、よるべを覺えて、足が先へ先へと出た。月が中天へ來ぬ前に、もう東の空が、ひいわり白(シラ)んで來た。夜のほの/″\明けに、姫は、目を疑ふばかりの現實に行きあつた。――横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占つて居るやうだつた。さう言ふ女どものふるまひに、特別に氣は牽かれなかつた郎女だけれど、よく其人々が、「今朝(ケサ)の朝目(アサメ)がよかつたから」「何と言ふ情ない朝目でせう」などゝ、そは/\と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るのを、見聞きしてゐた。

郎女は、生れてはじめて、「朝目よく」と謂つた語を、内容深く感じたのである。目の前に赤々と、丹塗(ニヌ)りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さうして、門から、更に中門が見とほされて、此もおなじ丹塗りに、きらめいて居る。
山裾の勾配に建てられた堂?塔?伽藍は、更に奧深く、朱(アケ)に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見えた。朝目のすがしさは、其ばかりではなかつた。其寂寞たる光りの海から、高く抽(ヌキ)でゝ見える二上の山。淡海(タンカイ)公の孫、大織冠(タイシヨククワン)には曾孫。藤氏族長(トウシゾクチヨウ)太宰帥、南家(ナンケ)の豐成、其第一孃子(ダイイチヂヨウシ)なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を膝行(ヰザ)り出ることすら、たまさかにもせぬ、郎女(イラツメ)のことである。順道(ジユンタウ)ならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡(ヒラヲカ)の御神(オンカミ)か、春日の御社(ミヤシロ)に、巫女(ミコ)の君(キミ)として仕へてゐるはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の聲も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き臥しゝてゐる人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬやうに、おふしたてられて來た。
寺の淨域が、奈良の内外(ウチト)にも、幾つとあつて、横佩墻内(カキツ)と讃(タヽ)へられてゐる屋敷よりも、もつと廣大なものだ、と聞いて居た。さうでなくても、經文の上に傳へた淨土の莊嚴(シヤウゴン)をうつすその建て物の樣は、想像せぬではなかつた。だが目(マ)のあたり見る尊さは、唯息を呑むばかりであつた。之に似た驚きの經驗は、曾て一度したことがあつた。姫は今其を思ひ起して居る。簡素と、豪奢との違ひこそあれ、驚きの歡喜は、印象深く殘つてゐる。
今の 太上天皇樣が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳(ハツサイ)の南家の郎女(イラツメ)は、童女(ワラハメ)として、初(ハツ)の殿上(テンジヨウ)をした。穆々(ボクヽヽ)たる宮の内の明りは、ほのかな香氣を含んで、流れて居た。晝すら眞夜(マヨ)に等しい、御帳臺(ミチヤウダイ)のあたりにも、尊いみ聲は、昭々(セウヽヽ)と珠を搖る如く響いた。物わきまへもない筈の、八歳の童女が感泣した。
「南家には、惜しい子が、女になつて生れたことよ」と仰せられた、と言ふ畏れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間に、くり返された。其後十二年、南家の娘は、二十(ハタチ)になつてゐた。幼いからの聰(サト)さにかはりはなくて、玉?水精(スヰシヤウ)の美しさが益々加つて來たとの噂が、年一年と高まつて來る。
姫は、大門の閾(シキミ)を越えながら、童女殿上(ワラハメテンジヤウ)の昔の畏(カシコ)さを、追想して居たのである。長い甃道(イシキミチ)を踏んで、中門に屆く間にも、誰一人出あふ者がなかつた。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔(ツヽマ)しく併しのどかに、御(ミ)堂?々々を拜(ヲガ)んで、岡の東塔に來たのである。
こゝからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考へ浮べることも、しなかつたであらう。まして、家人たちが、神隱しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の下(モト)から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現(ウツ)し世(ヨ)の目からは見えぬ姿を惟(オモ)ひ觀(ミ)ようとして居るのであらう。
此時分になつて、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨朝(ジンテウ)の勤めの間も、うと/\して居た僧たちは、爽やかな朝の眼をいて、食堂(ジキダウ)へ降りて行つた。奴婢(ヌヒ)は、其々もち場持ち場の掃除を勵む爲に、ようべの雨に洗つたやうになつた、境内の沙地に出て來た。

そこにござるのは、どなたぞな。

岡の陰から、恐る/\頭をさし出して問うた一人の寺奴(ヤツコ)は、あるべからざる事を見た樣に、自分自身を咎めるやうな聲をかけた。女人の身として、這入ることの出來ぬ結界を犯してゐたのだつた。姫は答へよう、とはせなかつた。又答へようとしても、かう言ふ時に使ふ語には、馴れて居ぬ人であつた。
若し又、適當な語を知つて居たにしたところで、今はそんな事に、考へを紊されては、ならぬ時だつたのである。
姫は唯、山を見てゐた。依然として山の底に、ある俤を觀じ入つてゐるのである。寺奴(ヤツコ)は、二言(コト)とは問ひかけなかつた。一晩のさすらひでやつれては居ても、服裝から見てすぐ、どうした身分の人か位の判斷は、つかぬ筈はなかつた。又暫らくして、四五人の跫音が、びた/″\と岡へ上つて來た。年のいつたのや、若い僧たちが、ばら/″\と走つて、塔のやらひの外まで來た。

こゝまで出て御座れ。そこは、男でも這入るところではない。女人(ニヨニン)は、とつとゝ出てお行きなされ。

姫は、やつと氣がついた。さうして、人とあらそはぬ癖をつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで來た。

見れば、奈良のお方さうなが、どうして、そんな處にいらつしやる。
それに又、どうして、こゝまでお出でだつた。伴の人も連れずに――。

口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめい/\、貴い女性をいたはる氣持ちになつて居た。

山ををがみに……。

まことに唯一詞(ヒトコト)。當(タウ)の姫すら思ひ設けなんだ詞(コトバ)が匂ふが如く出た。
貴族の家庭の語と、凡下(ボンゲ)の家々の語とは、すつかり變つて居た。だから言ひ方も、感じ方も、其うへ、語其ものさへ、郎女の語が、そつくり寺の所化輩(ハイ)には、通じよう筈がなかつた。
でも、其でよかつたのである。其でなくて、語の内容が、其まゝ受けとられようものなら、南家の姫は、即座に氣のふれた女、と思はれてしまつたであらう。

それで、御館(ミタチ)はどこぞな。
みたち……。
おうちは……。
おうち……。
おやかたは、と問ふのだよ――。
をゝ。家はとや。右京藤原南家……。

俄然として、群集の上にざはめきが起つた。四五人だつたのが、あとから後から登つて來た僧たちも加つて、二十人以上にもなつて居た。其が、口々に喋り出したものである。
ようべの嵐に、まだ殘りがあつたと見えて、日の明るく照つて居る此小晝(ビル)に、又風が、ざはつき出した。この岡の崎にも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての尾根(ヲネ)尾根にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の此方(コナタ)にも小櫻の花が、咲き出したのである。
此時分になつて、奈良の家では誰となく、こんな事を考へはじめてゐた。此はきつと、里方の女たちのよくする、春の野遊びに出られたのだ。――何時からとも知らぬ習(ナラハ)しである。春秋の、日と夜と平分(ヘイブン)する其頂上に當る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送つて行く女衆が多かつた。さうして、夜に入つてくた/\になつて、家路を戻る。此爲來りを何時となく、女たちの咄すのを聞いて、姫が、女の行(ギヤウ)として、この野遊びをする氣になられたのだ、と思つたのである。かう言ふ、考へに落ちつくと、ありやうもない考へだと訣つて居ても、皆の心が一時、ほうと輕くなつた。ところが、其日も晝さがりになり、段々夕光(ユフカゲ)の、催して來る時刻が來た。昨日は、駄目になつた日の入りの景色が、今日は中日(チユウニチ)にも劣るまいと思はれる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなつて居た。

        八

奈良の都には、まだ時をり、石城(シキ)と謂はれた石垣を殘して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符(ダイジヤウグワンプ)で、其を家の周(マハ)りに造ることが、禁ぜられて來た。今では、宮廷より外には、石城(シキ)を完全にとりした豪族の家などは、よく/\の地方でない限りは、見つからなくなつて居る筈なのである。
其に一つは、宮廷の御在所が、御一代々々々に替つて居た千數百年の歴史の後に、飛鳥(アスカ)の都は、宮殿の位置こそ、數町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帶の内にあつた。其で凡、都遷しのなかつた形になつたので、後(アト)から/\地割りが出來て、相應な都城(トジヤウ)の姿は備へて行つた。其數朝の間に、舊族の屋敷は、段々、家構へが整うて來た。
葛城に、元のまゝの家を持つて居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構へて居た蘇我臣(ソガノオミ)なども、飛鳥の都では、次第に家作りを擴げて行つて、石城(シキ)なども高く、幾重にもとりして、凡永久の館作りをした。其とおなじ樣な氣持ちから、どの氏でも、大なり小なり、さうした石城(シキ)づくりの屋敷を、構へるやうになつて行つた。
蘇我臣一流(ヒトナガ)れで最榮えた島の大臣家(オトヾケ)の亡びた時分から、石城の構へは禁(ト)められ出した。
この國のはじまり、天から授けられたと言ふ、宮廷に傳はる神の御詞(ミコトバ)に背く者は、今もなかつた。が、書いた物の力は、其が、どのやうに由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代がまだ續いて居た。
其飛鳥の都も、高天原廣野姫尊樣(タカマノハラヒロヌヒメノミコトサマ)の思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原の都と名を替へて、新しい唐樣(モロコシヤウ)の端正(キラヽヽ)しさを盡した宮殿が、建ち竝ぶ樣になつた。近い飛鳥から、新渡來(イマキ)の高麗馬(コマ)に跨つて、馬上で通ふ風流士(タハレヲ)もあるにはあつたが、多くはやはり、鷺栖(サギス)の阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた京城(ケイジヤウ)の坊々(マチヽヽ)に屋敷を構へ、家造りをした。その次の御代になつても、藤原の都は、日に益し、宮殿が建て増されて行つて、こゝを永宮(トコミヤ)と遊ばす思召しが伺はれた。その安堵の心から、家々の外(ソト)には、石城をすものが、又ぼつ/″\出て來た。さうして、そのはやり風俗が、見る/\うちに、また氏々の族長の家圍ひを、あらかた石にしてしまつた。その頃になつて、天眞宗豐祖父尊樣(アメマムネトヨオホヂノミコトサマ)がおかくれになり、御母(ミオヤ) 日本根子天津御代豐國成姫(ヤマトネコアマツミヨトヨクニナスヒメ)の大尊樣(オホミコトサマ)がお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。ところがまるで、追つかけるやうに、藤原の宮は固より、目ぬきの家竝みが、不意の出火で、其こそ、あつと言ふ間に、痕形もなく、空(ソラ)の有(モノ)となつてしまつた。もう此頃になると、太政官符(ダジヤウグワンプ)に、更に嚴(キビ)しい添書(コトワキ)がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した轉變(テンペン)に、目を瞠るばかりであつたので、久しい石城(シキ)の問題も、其で、解決がついて行つた。
古い氏種姓(ウヂスジヤウ)を言ひ立てゝ、神代以來の家職の神聖を誇つた者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失つて來てゐる事に、氣がついて居なかつた。
最早くそこに心づいた、姫の祖父淡海(タンカイ)公などは、古き神祕を誇つて來た家職を、末代まで傳へる爲に、別に家を立てゝ中臣の名を保たうとした。さうして、自分?子供ら?孫たちと言ふ風に、いちはやく、新しい官人(ツカサビト)の生活に入り立つて行つた。
ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大伴家持(オホトモノヤカモチ)は、父旅人(タビト)の其年頃よりは、もつと優れた男ぶりであつた。併し、世の中はもう、すつかり變つて居た。見るもの障(サハ)るもの、彼の心を苛(イラ)つかせる種にならぬものはなかつた。淡海公の、小百年前に實行して居る事に、今はじめて自分の心づいた鈍(オゾ)ましさが、憤らずに居られなかつた。さうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざ/″\省みて、慄然とした。現に、時に誇る藤原びとでも、まだ昔風の夢に泥(ナヅ)んで居た南家の横佩右大臣は、さきをとゝし、太宰ノ員外帥(ヰングワイノソツ)に貶(オト)されて、都を離れた。さうして今は、難波で謹愼してゐるではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。世間の氏上家(ウヂノカミケ)の主人(アルジ)は、大方もう、石城(シキ)など築(キヅ)き(マハ)して、大門小門を繋ぐと謂つた要害と、裝飾とに、興味を失ひかけて居るのに、何とした自分だ。おれはまだ現に、出來るなら、宮廷のお目こぼしを頂いて、石に圍はれた家の中で、家の子どもを集め、氏人(ウヂビト)たちを召(ヨ)びつどへて、弓場(ユバ)に精勵させ、捧術(ホコユケ)?大刀かきに出精(シユツセイ)させよう、と謂つたことを空想して居る。さうして年々(トシヾヽ)頻繁に、氏神其外の神々を祭つてゐる。其度毎に、家の語部(カタリベ)大伴ノ語造(カタリヤツコ)の嫗(オムナ)たちを呼んで、之に捉(ツカマ)へ處(ドコロ)もない昔代(ムカシヨ)の物語りをさせて、氏人(ウヂビト)に傾聽を強ひて居る。何だか、空(クウ)な事に力を入れて居たやうに思へてならぬ寂しさだ。
だが、其氏神祭りや、祭りの後宴(ゴエン)に、大勢(オホセイ)の氏人(ウヂビト)の集ることは、とりわけやかましく言はれて來た、三四年以來の法度(ハツト)である。
こんな溜め息を洩しながら、大伴氏の舊い習しを守つて、どこまでも、宮廷守護の爲の武道の傳襲に、努める外はない家持だつたのである。
越中守として踏み歩いた越路(コシヂ)の泥のかたが、まだ行縢(ムカバキ)から落ちきらぬ内に、もう復(マタ)、都を離れなければならぬ時の、迫つて居るやうな氣がして居た。其中、此針の筵の上で、兵部少輔(ヒヤウブセフ)から、大輔(タイフ)に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。
今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開眼(カイゲン)が行はれる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願つて來て居た。さうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎭める程に、人の心を浮き立たした。本朝(ホンテウ)出來の像としては、まづ、此程物凄い天部(テンブ)の姿を拜んだことは、はじめてだ、と言ふものもあつた。神代の荒(アラ)神たちも、こんな形相(ギヤウサウ)でおありだつたらう、と言ふ噂も聞かれた。
まだ公(オホヤケ)の供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり撒いてゐた。あの多聞天と、廣目天との顏つきに、思ひ當るものがないか、と言ふのであつた。此はこゝだけの咄だよ、と言つて話したのが、次第に廣まつて、家持の耳までも聞えて來た。なるほど、憤怒(フンヌ)の相(サウ)もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、當今大倭一だと言はれる男たちの顏、そのまゝだと言ふのである。貴人は言はぬ、かう言ふ種類の噂は、えて供をして見て來た道々(ミチヽヽ)の博士(ハカセ)たちと謂つた、心蔑(サモ)しいものゝ、言ひさうな事である。
多聞天は、大師(タイシ)藤原ノ惠美中卿(ヱミチユウケイ)だ。あの柔和な、五十を越してもまだ、三十代の美しさを失はぬあの方が、近頃おこりつぽくなつて、よく下官や、仕(ツカ)へ人(ビト)を叱るやうになつた。あの圓滿(ウマ)し人(ビト)が、どうしてこんな顏つきになるだらう、と思はれる表情をすることがある。其面(オモ)もちそつくりだ、と尤らしい言ひ分なのである。
さう言へば、あの方が壯盛(ワカザカ)りに、捧術(ホコユケ)を嗜(コノ)んで、今にも事あれかしと謂つた顏で、立派な甲(ヨロヒ)をつけて、のつし/\と長い物を杖(ツ)いて歩かれたお姿が、あれを見てゐて、ちらつくやうだなど、と相槌をうつ者も出て來た。其では、廣目天の方はと言ふと、

さあ、其がの――。

と誰に言はせても、ちよつと言ひ澁るやうに、困つた顏をして見せる。

實は、ほんの人の噂だがの。噂だから、保證は出來ぬがの。義淵僧正の弟子の道鏡法師に、似てるぞなと言ふがや。……けど、他人(ヒト)に言はせると、――あれはもう、二十幾年にもなるかいや――筑紫で伐たれなされた前太宰少貳(ゼンダザイノセウニ)―藤原廣嗣―の殿(トノ)に生寫(シヤウウツ)しぢや、とも言ふがいよ。
わしにも、どちらとも言へんがの。どうでも、見たことのあるお人に似て居さつしやるには、似てゐさつしやるげな……。

何しろ、此二つの天部(テンブ)が、互に敵視するやうな目つきで、睨みあつて居る。噂を氣にした住侶たちが、色々に置き替へて見たが、どの隅からでも、互に相手の姿を、眦(マナジリ)を裂いて見つめて居る。とう/\あきらめて、自然にとり沙汰の消えるのを待つより爲方がない、と思ふやうになつたと言ふ。

若しや、天下に大亂でも起きなければえゝが――。

こんなきは、何時までも續きさうに、時と共に倦まずに語られた。

前(セン)少貳殿でなくて、弓削新發意(ユゲシンボチ)の方であつてくれゝば、いつそ安心だがなあ。あれなら、事を起しさうな房主でもなし。起したくても、起せる身分でもないぢやまで――。

言ひたい傍題(ハウダイ)な事を言つて居る人々も、たつた此一つの話題を持ちあぐね初めた頃、噂の中の大師惠美(ヱミノ)朝臣の姪の横佩家の郎女(イラツメ)が、神隱しに遭うたと言ふ、人の口の端に旋風(ツジカゼ)を起すやうな事件が、湧き上つたのである。

        九

兵部大輔(ヒヤウブタイフ)大伴ノ家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちようど、春分(シユンブン)から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやつて居た。二人ばかりの資人(トネリ)が徒歩(カチ)で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文學の影響を受け過ぎるほど、享け入れた文人かたぎの彼には、數年來珍しくもなくなつた癖である。かうして、何處まで行くのだらう。唯、朱雀の竝み木の柳の花がほゝけて、霞のやうに飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに陽炎(カゲロ)ふばかりである。
資人の一人が、とつとゝ追ひついて來たと思ふと、主人の鞍に顏をおしつける樣にして、新しい耳を聞かした。今行きすがうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。

それで、何か――。娘御の行くへは知れた、と言ふのか。
はい……。いゝえ。何分、その男がとり急いで居りまして。
この間拔け。話はもつと上手に聽くものだ。

柔らかく叱つた。そこへ今(モ)一人の伴(トモ)が、追ひついて來た。息をきらしてゐる。

ふん。汝(ワケ)は聞き出したね。南家(ナンケ)の孃子(ヲトメ)は、どうなつた――。

出端(ハナ)に油かけられた資人(トネリ)は、表情に隱さず心の中を表した此頃の人の、自由な咄し方で、まともに鼻を蠢して語つた。
當麻の邑まで、をとゝひ夜(ヨ)の中に行つて居たこと、寺からは、昨日午後、横佩墻内(カキツ)へ知らせが屆いたこと其外には、何も聞きこむ間のなかつたことまで。家持の聯想は、環のやうに繋つて、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであつた。
南家で持つて居た藤原の氏上(ウヂノカミ)職が、兄の家から、弟仲麻呂―押勝―の方へ移らうとしてゐる。來年か、再來年(サライネン)の枚岡(ヒラヲカ)祭りに、參向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなつて居る。惠美家(ヱミケ)からは、嫡子久須麻呂(クスマロ)の爲、自分の家の第一孃子をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名の歌が屆き、自分の方でも、娘に代つて返し歌を作つて遣した。今朝(ケサ)も今朝、又折り返して、男からの懸想文(ケサウブミ)が、來てゐた。
その壻候補(ムコガネ)の父なる人は、五十になつても、若かつた頃の容色に頼む心が失せずにゐて、兄の家娘にも執心は持つて居るが、如何に何でも、あの郎女だけには、とり次げないで居る。此は、横佩家へも出入りし、大伴家へも初中終(シヨツチユウ)來る古刀自(フルトジ)の、人のわるい内證話であつた。其を聞いて後、家持自身も、何だか好奇心に似たものが、どうかすると頭を擡(モタ)げて來て困つた。仲麻呂は今年、五十を出てゐる。其から見れば、ひとまはりも若いおれなどは、思ひ出にまう一度、此匂(ニホ)やかな貌花(カホバナ)を、垣内(カキツ)の坪苑(ツボ)に移せぬ限りはない。こんな當時の男が、皆持つた心をどりに、はなやいだ、明るい氣がした。
だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統(スヂ)で一番、神(カム)さびたたちを持つて生れた、と謂はれる娘御である。今、枚岡(ヒラヲカ)の御神(オンカミ)に仕へて居る齋(イツ)き姫(ヒメ)の罷める時が來ると、あの孃子(ヲトメ)が替つて立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも應じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が來るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだらう。
ほのかな感傷が、家持の心を淨めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。十(トヲ)を出たばかりの幼さで、母は死に、父は疾んで居る太宰府へ降つて、夙(ハヤ)くから、海の彼方(アナタ)の作り物語りや、唐詩(モロコシウタ)のをかしさを知り初(ソ)めたのが、病みつきになつたのだ。死んだ父も、さうした物は、或は、おれよりも嗜きだつたかも知れぬほどだが、もつと物に執着(シフヂヤク)が深かつた。現に、大伴の家の行く末の事なども、父はあれまで、心を惱まして居た。おれも考へれば、たまらなくなつて來る。其で、氏人を集めて喩したり、歌を作つて訓諭して見たりする。だがさうした後の氣持ちの爽やかさは、どうしたことだ。洗ひ去つた樣に、心がすつとしてしまふのだつた。まるで、初めから家の事など考へて居なかつた、とおなじすが/″\しい心になつてしまふ。
あきらめと言ふ事を、知らなかつた人ばかりではないか。……昔物語りに語られる神でも、人でも、傑れた、と傳へられる限りの方々は――。それに、おれはどうしてかうだらう。
家持の心は併し、こんなに悔恨に似た心持ちに沈んで居るに繋らず、段々氣にかゝるものが、薄らぎ出して來てゐる。

ほう これは、京極(キヤウハテ)まで來た。

朱雀大路(オホヂ)も、こゝまで來ると、縱横に通る地割りの太い路筋ばかりが、白々として居て、どの區畫にも/\、家は建つて居ない。去年の草の立ち枯れたのと、今年生えて稍莖を立て初めたのとがまじりあつて、屋敷地から喰み出し、道の上までも延びて居る。

こんな家が――。

驚いたことは、そんな草原の中に、唯一つ大きな構への家が、建ちかゝつて居る。遲い朝を、もう餘程、今日の爲事に這入つたらしい木の道の者たちが、骨組みばかりの家の中で、立ちはたらいて居るのが見える。家の建たぬ前に、既に屋敷りの地形(ヂギヤウ)が出來て、見た目にもさつぱりと、垣をとりして居る。
土を積んで、石に代へた垣、此頃言ひ出した築土垣(ツキヒヂガキ)といふのは、此だな、と思つて、ぢつと目をつけて居た。見る/\、さうした新しい好尚(コノミ)のおもしろさが、家持の心を奪うてしまつた。
築土垣(ツキヒヂガキ)の處々に、きりあけた口があつて、其に、門が出來て居た。さうして、其處から、頻りに人が繋つては出て來て、石を曳く。木を搬(モ)つ。土を搬び入れる。重苦しい石城(シキ)。懷しい昔構へ。今も、家持のなくなしたくなく考へてゐる屋敷りの石垣が、思うてもたまらぬ重壓となつて、彼の胸に、もたれかゝつて來るのを感じた。

おれには、だが、この築土垣を擇(ト)ることが出來ぬ。

家持の乘馬(メ)は再、憂欝に閉された主人を背に、引き返して、五條まで上つて來た。此邊から、右京の方へ折れこんで、坊角(マチカド)をりくねりして行く樣子は、此主人に馴れた資人(トネリ)たちにも、胸の測られぬ氣を起させた。二人は、時々顏を見合せ、目くばせをしながら尚、了解が出來ぬ、と言ふやうな表情を交しかはし、馬の後を走つて行く。

こんなにも、變つて居たのかねえ。

ある坊角(マチカド)に來た時、馬をぴたと止めて、獨り言のやうに言つた。

……舊(フル)草に 新(ニヒ)草まじり 生ひば 生ふるかに――だな。

近頃見つけた歌所(カブシヨ)の古記録「東歌(アヅマウタ)」の中に見た一首がふと、此時、彼の言ひたい氣持ちを、代作して居てくれてゐたやうに、思ひ出された。

さうだ。「おもしろき野(ヌ)をば 勿(ナ)燒きそ」だ。此でよいのだ。

けゞんな顏を仰(アフム)けてゐる伴人(トモビト)らに、柔和な笑顏を向けた。

さうは思はぬか。立ち朽りになつた家の間に、どし/″\新しい屋敷が出來て行く。
都は何時までも、家は建て詰まぬが、其でもどちらかと謂へば、減るよりも殖えて行つてゐる。此邊は以前、今頃になると、蛙めの、あやまりたい程鳴く田の原が、續いてたもんだ。
仰るとほりで御座ります。春は蛙、夏はくちなは、秋は蝗まろ。此邊はとても、歩けたところでは御座りませんでした。

今一人が言ふ。

建つ家もたつ家も、この立派さは、まあどうで御座りませう。其に、どれも此も、此頃急にはやり出した築土垣(ツキヒヂガキ)を築(キヅ)きまはしまして。何やら、以前とはすつかり變つた處に、參つた氣が致します。

馬上の主人も、今まで其ばかり考へて居た所であつた。だが彼の心は、瞬間明るくなつて、先年三形王の御殿での宴(ウタゲ)に誦(クチズサ)んだ即興が、その時よりも、今はつきりと内容を持つて、心に浮んで來た。

うつり行く時見る毎に、心疼(イタ)く 昔の人し 思ほゆるかも

目をあげると、東の方春日の杜(モリ)は、谷陰になつて、こゝからは見えぬが、御蓋(ミカサ)山?高圓(タカマド)山一帶、頂が晴れて、すばらしい春日和になつて居た。
あきらめがさせるのどけさなのだ、とすぐ氣がついた。でも、彼の心のふさぎのむしは迹(アト)を潜めて、唯、まるで今歩いてゐるのが、大日本平城京(オホヤマトヘイセイケイ)の土ではなく、大唐(ダイトウ)長安の大道の樣な錯覺の起つて來るのが押へきれなかつた。此馬がもつと、毛竝みのよい純白の馬で、跨つて居る自身も亦、若々しい二十代の貴公子の氣がして來る。神々から引きついで來た、重苦しい家の歴史だの、夥しい數の氏人などから、すつかり截り離されて、自由な空にかけつて居る自分でゞもあるやうな、豐かな心持ちが、暫らくは拂つても/\、消えて行かなかつた。
おれは若くもなし。第一、海東の大日本人(オホヤマトビト)である。おれには、憂欝な家職が、ひし/\と、肩のつまるほどかゝつて居るのだ。こんなことを考へて見ると、寂しくてはかない氣もするが、すぐに其は、自身と關係のないことのやうに、心は饒(ニギ)はしく和らいで來て、爲方がなかつた。

をい、汝(ワケ)たち。大伴氏上家(ウヂノカミケ)も、築土垣を引きさうかな。
とんでもないことを仰せられます。

二人の聲が、おなじ感情から迸り出た。
年の増した方の資人(トネリ)が、切實な胸を告白するやうに言つた。

私どもは御譜第では御座りません。でも、大伴と言ふお名は、御門御垣(ミカドミカキ)と、關係深い稱へだ、と承つて居ります。大伴家からして、門垣を今樣にする事になつて御覽(ゴラウ)じませ。御一族の末々まで、あなた樣をお呪(ノロ)ひ申し上げることでおざりませう。其どころでは、御座りません。第一、ほかの氏々――大伴家よりも、ぐんと歴史の新しい、人の世になつて初まつた家々の氏人までが、御一族を蔑(ナイガシロ)に致すことになりませう。

こんな事を言はして置くと、折角澄みかゝつた心も、又曇つて來さうな氣がする。家持は忙てゝ、資人の口を緘(ト)めた。

うるさいぞ。誰に言ふ語だと思うて、言うて居るのだ。やめぬか。雜談(ジヤウダン)だ。雜談を眞に受ける奴が、あるものか。

馬はやつぱり、しつと/\と、歩いて居た。築土垣 築土垣。又、築土垣。こんなに何時の間に、家構へが替つて居たのだらう。家持は、なんだか、晩(オソ)かれ早かれ、ありさうな氣のする次の都――どうやらかう、もつとおつぴらいた平野の中の新京城(シンケイジヤウ)にでも來てゐるのでないかと言ふ氣が、ふとしかゝつたのを、危く喰ひとめた。
築土垣 築土垣。もう、彼の心は動かなくなつた。唯、よいとする氣持ちと、よくないと思はうとする意思との間に、氣分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしてゐるだけであつた。
何時の間にか、平群(ヘグリ)の丘や、色々な塔を持つた京西(キヤウニシ)の寺々の見渡される、三條邊の町尻に來て居ることに、氣がついた。

これは/\。まだこゝに、殘つてゐたぞ。

珍しい發見をしたやうに、彼は馬から身を飜(カヘ)しておりた。二人の資人はすぐ、馳け寄つて手綱を控へた。
家持は、門と門との間に、細かい柵をし圍らし、目隱しに枳殼(カラタチバナ)の叢生(ヤブ)を作つた家の外構への一個處に、まだ石城(シキ)が可なり廣く、人丈にあまる程に築いてあるそばに、近寄つて行つた。

荒れては居るが、こゝは横佩墻内(ヨコハキカキツ)だ。

さう言つて、暫らく息を詰めるやうにして、石垣の荒い面を見入つて居た。

さうに御座ります。此石城(シキ)からしてついた名の、横佩墻内だと申しますとかで、せめて一ところだけは、と強ひてとり毀たないとか申します。何分、帥(ソツ)の殿のお都入りまでは何としても、此儘で置くので御座りませう。さやうに、人が申し聞けました。はい。

何時の間にか、三條三坊まで來てしまつてゐたのである。
おれは、こんな處へ來ようと言ふ考へはなかつたのに――。だが、やつぱり、おれにはまだ/″\、若い色好みの心が、失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる樣な、反省らしいものが出て來た。

其にしても、靜か過ぎるではないか。
さやうで。で御座りますが、郎女のお行くへも知れ、乳母もそちらへ行つたとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りませう。

詮索ずきさうな顏をした若い方が、口を出す。

いえ。第一、こんな場合は、騷ぐといけません。騷ぎにつけこんで、惡い魂(タマ)や、靈(モノ)が、うよ/\とつめかけて來るもので御座ります。この御館(ミタチ)も、古いおところだけに、心得のある長老(オトナ)の一人や、二人は、難波へも下らずに、留守に居るので御座りませう。
もうよい/\。では戻らう。


        十

をとめの閨戸(ネヤド)をおとなふ風(フウ)は、何も、珍しげのない國中の爲來(シキタ)りであつた。だが其にも、曾てはさうした風の、一切行はれて居なかつたことを、主張する村々があつた。何時のほどにか、さうした村が、他村の、別々に守つて來た風習と、その古い爲來りとをふり替へることになつたのだ、と言ふ。かき上る段になれば、何の雜作(ザフサ)もない石城(シキ)だけれど、あれを大昔からとりして居た村と、さうでない村とがあつた。こんな風に、しかつめらしい説明をする宿老(トネ)たちが、どうかすると居た。多分やはり、語部(カタリベ)などの昔語りから、來た話なのであらう。踏み越えても這入れ相(サウ)に見える石垣だが、大昔交(カハ)された誓ひで、目に見えぬ鬼神(モノ)から、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になつてゐる。こんな約束が、人と鬼(モノ)との間にあつて後、村々の人は石城(シキ)の中に、ゆつたりと棲むことが出來る樣になつた。さうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入つて來る。其は、別の何かの爲方(シカタ)で、防ぐ外はなかつた。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の憚りなく、垣を踏み越えて處女の蔀戸(シトミ)をほと/\と叩く。石城(シキ)を圍(カコ)うた村には、そんなことは、一切なかつた。だから、美(クハ)し女(メ)の家に、奴隷(ヤツコ)になつて住みこんだ古(イニシヘ)の貴(アデ)びともあつた。娘の父にこき使はれて、三年五年、いつか處女に會はれよう、と忍び過した、身にしむ戀物語りもあるくらゐだ。石城(シキ)を掘り崩すのは、何處からでも鬼神(モノ)に入りこんで來い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年よりにもあつたし、田舍の村々では、之を言ひ立てに、ちつとでも、石城を殘して置かうと爭うた人々が、多かつたのである。
さう言ふ家々では、實例として恐しい證據を擧げた。卅年も昔、――天平八年嚴命が降つて、何事も命令のはか/″\しく行はれぬのは、朝臣(テウシン)が先つて行はぬからである。汝等(ミマシタチ)進んで、石城を毀つて、新京の時世裝に叶うた家作りに改めよ、と仰せ下された。藤氏四流の如き、今に舊態を易(カ)へざるは、最其位に在るを顧みざるものぞ、とお咎めが降つた。此時一度、凡、石城はとり毀たれたのである。ところが、其と時を同じくして、疱瘡(モガサ)がはやり出した。越えて翌年、益々盛んになつて、四月北家を手初めに、京家南家と、主人から、まづ此時疫(シエキ)に亡くなつて、八月にはとう/\、式家の宇合卿まで仆れた。家に、防ぐ筈の石城が失せたからだ、と天下中の人が騷いだ。其でまた、とり壞した家も、ぼつ/″\舊(モト)に戻したりしたことであつた。
こんなすさまじい事も、あつて過ぎた夢だ。けれどもまだ、まざ/″\と人の心に燒きついて離れぬ、現(ウツヽ)の恐しさであつた。
其は其として、昔から家の娘を守つた邑々も、段々えたいの知れぬ村の風に感染(カマ)けて、忍び夫(ヅマ)の手に任せ傍題(ハウダイ)にしようとしてゐる。さうした求婚(ツマドヒ)の風を傳へなかつた氏々の間では、此は、忍び難い流行であつた。其でも男たちは、のどかな風俗を喜んで、何とも思はぬやうになつた。が、家庭の中では、母?妻?乳母(オモ)たちが、いまだにいきり立つて、さうした風儀になつて行く世間を、呪ひやめなかつた。
手近いところで言うても、大伴宿禰にせよ。藤原朝臣にせよ。さう謂ふ妻どひの式はなくて、數十代宮廷をめぐつて、仕へて來た邑々のあるじの家筋であつた。
でも何時か、さうした氏々の間にも、妻迎への式には、

八千矛の神のみことは、とほ/″\し、高志(コシ)の國に、美(クハ)し女(メ)をありと聞かして、賢(サカ)し女(メ)をありと聞(キコ)して……

から謠ひ起す神語歌(カミガタリウタ)を、語部に歌はせる風が、次第にひろまつて來るのを、防ぎとめることが出來なくなつて居た。
南家の郎女(イラツメ)にも、さう言ふ妻覓(ツママ)ぎ人が――いや人群(ヒトムレ)が、とりまいて居た。唯、あの型ばかり取り殘された石城(シキ)の爲に、何だか屋敷へ入ることが、物忌み―たぶう―を犯すやうな危殆(ヒアヒ)な心持ちで、誰も彼も、柵まで又、門まで來ては、かいまみしてひき還すより上の勇氣が、出ぬのであつた。
通(カヨ)はせ文(ブミ)をおこすだけが、せめてものてだてゞ、其さへ無事に、姫の手に屆いて、見られてゐると言ふ、自信を持つ人は、一人としてなかつた。事實、大抵、女部屋の老女(トシ)たちが、引つたくつて渡させなかつた。さうした文のとりつぎをする若人(ワカウド)―若女房―を呼びつけて、荒けなく叱つて居る事も、度々見かけられた。

其方(オモト)は、この姫樣こそ、藤原の氏神にお仕へ遊ばす、清らかな常處女(トコヲトメ)と申すのだ、と言ふことを知らぬのかえ。神の咎めを憚るがえゝ。宮から恐れ多いお召しがあつてすら、ふつにおいらへを申しあげぬのも、それ故だとは考へつかぬげな。やくたい者。とつとゝ失せたがよい。そんな文とりついだ手を、率(イザ)川の一の瀬で淨めて來くさらう。罰(バチ)知らずが……。

こんな風にわなりつけられた者は、併し、二人や三人ではなかつた。横佩家の女部屋に住んだり、通うたりしてゐる若人は、一人殘らず一度は、經驗したことだと謂つても、うそではなかつた。
だが、郎女は、つひに一度そんな事のあつた樣子も、知らされずに來た。

上つ方の郎女(イラツメ)が、才(ザエ)をお習ひ遊ばすと言ふことが御座りませうか。それは近ツ代、ずつと下(シモ)ざまのをなごの致すことゝ承ります。父君がどう仰らうとも、父御(テヽゴ)樣のお話は御一代。お家の習しは、神さまの御意趣(オムネ)、とお思ひつかはされませ。

氏の掟の前には、氏上(ウヂノカミ)たる人の考へをすら、否みとほす事もある姥たちであつた。
其老女たちすら、郎女の天禀には、舌を捲きはじめて居た。

もう、自身たちの教へることもなうなつた。

かう思ひ出したのは、數年も前からである。内に居る、身狹乳母(ムサノチオモ)?桃花鳥野乳母(ツキヌノマヽ)?波田坂上(ハタノサカノヘノ)刀自、皆故知らぬ喜びの不安から、歎息し續けてゐた。時々伺ひに出る中臣ノ志斐嫗(シヒノオムナ)?三上水凝刀自女(ミカミノミヅコリノトジメ)なども、來る毎、目を見合せて、ほうつとした顏をする。どうしよう、と相談するやうな人たちではない。皆無言で、自分等の力の及ばぬ所まで來た、姫の魂の成長にあきれて、目をみはるばかりなのだ。

才(ザエ)を習ふなと言ふなら、まだ聞きも知らぬこと、教へて賜(タモ)れ。

素直な郎女の求めも、姥たちにとつては、骨を刺しとほされるやうな痛さであつた。

何を仰せられまする。以前から、何一つお教へなど申したことがおざりませうか。目下(メシタ)の者が、目上のお方さまに、お教へ申すと言ふやうな考へは、神樣がお聞き屆けになりません。教へる者は目上、ならふ者は目下、と此が、神の代からの掟でおざりまする。

志斐ノ嫗(オムナ)の負け色を救ふ爲に、身狹乳母(ムサノチオモ)も口をむ。

唯知つた事を申し上げるだけ。其を聞きながら、御心がお育ち遊ばす。さう思うて、姥たちも、覺えたゞけの事は、郎女樣のみ魂(タマ)を搖(イブ)る樣にして、歌ひもし、語りもして參りました。教へたなど仰つては、私めらが、罰(バチ)を蒙らねばなりません。

こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの恃む知識に對する、單純な自覺が出て來た。此は一層、郎女の望むまゝに、才(ザエ)を習(ナラハ)した方が、よいのではないかと言ふ氣が、段々して來たのである。
まことに其爲には、ゆくりない事が、幾重にも重つて起つた。姫の帳臺の後から、遠くに居る父の心盡しだつたと見えて、二卷の女手(ヲンナデ)の寫經らしい物が出て來た。姫にとつては、肉縁はないが、曾祖母(ヒオホバ)にも當る橘夫人の法華經、又其御胎(オハラ)にいらせられる―筋から申せば、大叔母御(ゴ)にもお當り遊ばす、今の 皇太后樣の樂毅論。此二つの卷物が、美しい裝ひで、棚を架(カ)いた上に載せてあつた。
横佩大納言と謂はれた頃から、父は此二部を、自分の魂のやうに大事にして居た。ちよつと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資人(トネリ)の荷として、持たせて行つたものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言はずにゐたのである。さすがに我強(ガヅヨ)い刀自たちも、此見覺えのある、美しい箱が出て來た時には、暫らく撲たれたやうに、顏を見合せて居た。さうして後(ノチ)、後(アト)で恥しからうことも忘れて、皆聲をあげて泣いたものであつた。
郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し豫期したやうな興奮は、認められなかつた。唯一途(ヅ)に素直に、心の底の美しさが匂ひ出たやうに、靜かな、美しい眼で、人々の感激する樣子を、驚いたやうに見まはして居た。
其からは、此二つの女手(ヲンナデ)の「本(ホン)」を、一心に習ひとほした。偶然は友を誘(ヒ)くものであつた。一月も立たぬ中の事である。早く、此都に移つて居た飛鳥寺(アスカデラ)―元興寺(グワンコウジ)―から卷數(クワンズ)が屆けられた。其には、難波にある帥の殿の立願(リフグワン)によつて、佛前に讀誦した經文の名目が、書き列ねてあつた。其に添へて、一卷の縁起文が、此御館へ屆けられたのである。
父藤原豐成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに當る日に志を發(オコ)して、書き綴つた「佛本傳來記」を、其後二年立つて、元興寺(グワンコウジ)へ納めた。飛鳥以來、藤原氏とも關係の深かつた寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠めたもの、と言ふことは察せられる。其一卷が、どう言ふ訣(ワケ)か、二十年もたつてゆくりなく、横佩家へ戻つて來たのである。
郎女の手に、此卷が渡つた時、姫は端近く膝行(ヰザ)り出て、元興寺の方を禮拜した。其後で、

難波とやらは、どちらに當るかえ。

と尋ねて、示す方角へ、活き/\した顏を向けた。其目からは、珠數の珠の水精(スヰシヤウ)のやうな涙が、こぼれ出てゐた。
其からと言ふものは、來る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手寫した。内典?外典其上に又、大日本(オホヤマト)びとなる父の書いた文(モン)。指から腕腕から胸、胸から又心へ、沁み/\と深く、魂を育てる智慧の這入つて行くのを、覺えたのである。
大日本日高見(オホヤマトヒタカミ)の國。國々に傳はるありとある歌諺(ウタコトワザ)、又其舊辭(ソノモトツゴト)。第一には、中臣の氏の神語り。藤原の家の古物語り。多くの語り詞(ゴト)を、絶えては考へ繼ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、呪々(ノロヽヽ)しく、くね/\しく、獨り語りする語部や、乳母(オモ)や、嚼母(マヽ)たちの唱へる詞が、今更めいて、寂しく胸に蘇つて來る。

をゝ、あれだけの習しを覺える、たゞ其だけで、此世に生きながらへて行かねばならぬみづからであつた。

父に感謝し、次には尊い大叔母(オホヲバ)君、其から見ぬ世の曾祖母(オホオバ)の尊に、何とお禮申してよいか、量り知れぬものが、心にたぐり上げて來る。だがまづ、父よりも誰よりも、御禮申すべきは、み佛である。この珍貴(ウヅ)の感覺(サトリ)を授け給ふ、限り知られぬ愛(メグ)みに充ちたよき人が、此世界の外に、居られたのである。郎女は、塗香(ヅカウ)をとり寄せて、まづ髮に塗り、手に塗り、衣を薫るばかりに匂はした。

        十一


ほゝき ほゝきい ほゝほきい―……。

きのふよりも、澄んだよい日になつた。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかつきりと、木草の影を落して居た。ほか/\した日よりなのに、其を見てゐると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳りもなく、晴れきつた空だ。高原を拓いて、間引(マビ)いた疎らな木原(コハラ)の上には、もう澤山の羽蟲が出て、のぼつたり降(サガ)つたりして居る。たつた一羽の鶯が、よほど前から、一處を移らずに、鳴き續けてゐるのだ。家の刀自(トジ)たちが、物語る口癖を、さつきから思ひ出して居た。出雲ノ宿禰の分れの家の孃子(ヲトメ)が、多くの男の言ひ寄るのを煩しがつて、身をよけよけして、何時か、山の林の中に分け入つた。さうして其處で、まどろんで居る中に、悠々(ウラヽヽ)と長い春の日も、暮れてしまつた。孃子は、家路と思ふ徑を、あちこち歩いて見た。脚は茨の棘にさゝれ、袖は、木の楚(ズハエ)にひき裂かれた。さうしてとう/\、里らしい家群(ムラ)の見える小高い岡の上に出た時は、裳も、著物も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して來てゐる。孃子はさくり上げて來る感情を、聲に出した。

ほゝき ほゝきい。

何時も、悲しい時に泣きあげて居た、あの聲ではなかつた。「をゝ此身は」と思つた時に、自分の顏に觸れた袖は、袖ではないものであつた。枯れ原(フ)の冬草の、山肌色をした小な翼であつた。思ひがけない聲を、尚も出し續けようとする口を、押へようとすると、自身すらいとほしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行つてしまつて、替りに、さゝやかな管のやうな喙が來てついて居る――。悲しいのか、せつないのか、何の考へさへもつかなかつた。唯、身悶えをした。するとふはりと、からだは宙に浮き上つた。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔り昇つて行く。五日月の照る空まで……。その後(ゴ)、今の世までも、

ほゝき ほゝきい ほゝほきい。

と鳴いてゐるのだ、と幼い耳に染(シ)みつけられた、物語りの出雲の孃子が、そのまゝ、自分であるやうな氣がして來る。
郎女は、徐(シヅ)かに兩袖(モロソデ)を、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、褻(ナ)れ、皺立(シワダ)つてゐるが、小鳥の羽(ハネ)には、なつて居なかつた。手をあげて唇に觸れて見ると、喙でもなかつた。やつぱり、ほつとりとした、感觸を、指の腹に覺えた。
ほゝき鳥(ドリ)―鶯―になつて居た方がよかつた。昔語(ムカシガタ)りの孃子は、男を避けて、山の楚原(シモトハラ)へ入り込んだ。さうして、飛ぶ鳥になつた。この身は、何とも知れぬ人の俤にあくがれ出て、鳥にもならずに、こゝにかうして居る。せめて蝶飛蟲(テフトリ)にでもなれば、ひら/\と空に舞ひのぼつて、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行かうもの――。

ほゝき ほゝきい。

自身の咽喉から出た聲だ、と思つた。だがやはり、廬の外で鳴くのであつた。
郎女の心に動き初めた叡(サト)い光りは、消えなかつた。今まで手習ひした書卷の何處かに、どうやら、法喜と言ふ字のあつた氣がする。法喜――飛ぶ鳥すらも、美しいみ佛の詞に、感(カマ)けて鳴くのではなからうか。さう思へば、この鶯も、

ほゝき ほゝきい。

嬉しさうな高音(タカネ)を、段々張つて來る。
物語りする刀自たちの話でなく、若人(ワカウド)らの言ふことは、時たま、世の中の瑞々(ミヅヽヽ)しい消息(セウソコ)を傳へて來た。奈良の家の女部屋(ヲンナベヤ)は、裏方五つ間(マ)を通した、廣いものであつた。郎女の帳臺の立ち處(ド)を一番奧にして、四つの間に、刀自?若人、凡三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の御館(ミタチ)ですることだと言つて、苑の池の蓮の莖を切つて來ては、藕絲(ハスイト)を引く工夫に、一心になつて居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を捲いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになつて、水の反射が蔀を越して、女部屋まで來るばかりになつた。莖を折つては、纎維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、絲に縒(ヨ)る。
郎女は、女たちの凝つてゐる手藝を、ぢつと見て居る日もあつた。ほうほうと切れてしまふ藕絲(ハスイト)を、八合(コ)?十二合(コ)?二十合(ハタコ)に縒つて、根氣よく、細い綱の樣にする。其を績(ウ)み麻(ヲ)の麻(ヲ)ごけに繋ぎためて行く。奈良の御館(ミタチ)でも、蠶(カフコ)は飼つて居た。實際、刀自たちは、夏は殊にせはしく、そのせゐで、不譏嫌(フキゲン)になつて居る日が多かつた。
刀自たちは、初めは、そんな韓(カラ)の技人(テビト)のするやうな事は、と目もくれなかつた。だが時が立つと、段々興味を惹かれる樣子が見えて來た。

こりや、おもしろい。絹の絲と、績(ウ)み麻(ヲ)との間を行く樣な妙な絲の――。此で、切れさへしなければなう。

かうして績(ツム)ぎ蓄(タ)めた藕絲は、皆一纒めにして、寺々に納めようと、言ふのである。寺には、其々(ソレヽヽ)の技女(ギヂヨ)が居て、其絲で、唐土樣(モロコシヤウ)と言ふよりも、天竺風な織物に織りあげる、と言ふ評判であつた。女たちは、唯功徳(クドク)の爲に絲を績(ツム)いでゐる。其でも、其が幾かせ。幾たまと言ふ風に貯つて來ると、言ひ知れぬ愛著を覺えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其處までは想像も出來なかつた。
若人たちは莖を折つては、巧みに糸を引き切らぬやうに、長く/\と抽き出す。又其、粘り氣の少いさくいものを、まるで絹糸を縒り合せるやうに、手際よく絲にする間も、ちつとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論、貴族の家庭では、出來ぬ掟になつて居た。なつては居ても、物珍(モノメ)でする盛りの若人たちには、口を塞いで緘默行(シヾマ)を守ることは、死ぬよりもつらい行(ギヤウ)であつた。刀自らの油斷を見ては、ぼつ/″\話をしてゐる。其きれ/″\が、聞かうとも思はぬ郎女の耳にも、ぼつ/″\這入つて來(キ)勝ちなのであつた。

鶯の鳴く聲は、あれで、法華經々々々(ホケキヤウヽヽヽヽヽ)と言ふのぢやて。
ほゝ、どうして、え――。
天竺のみ佛は、をなごは、助からぬものぢや、と説かれ/\して來たがえ、其果てに女(ヲナゴ)でも救ふ道が開かれた。其を説いたのが、法華經ぢやと言ふげな。
――こんなこと、をなごの身で言ふと、さかしがりよと思はうけれど、でも、世間では、さう言ふもの――。
ぢやで、法華經々々々と經の名を唱へるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが助かるといの。
ほんまにその、天竺のをなごが、あの鳥に化(ナ)り變つて、み經の名を呼ばゝるのかえ。

郎女には、いつか小耳にんだ其話が、その後、何時までも消えて行かなかつた。その頃ちようど、稱讃淨土佛攝受經(シヨウサンジヤウドブツセフジユギヤウ)を、千部寫さうとの願を發(オコ)して居た時であつた。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫とした耳に、此世話(ヨバナシ)が再また、紛れ入つて來たのであつた。
ふつと、こんな氣がした。

ほゝき鳥は、先の世で、御經(オンキヤウ)手寫の願を立てながら、え果(ハタ)さいで、死にでもした、いとしい女子がなつたのではなからうか。……さう思へば、若しや今、千部に滿たずにしまふやうなことがあつたら、我が魂(タマ)は何になることやら。やつぱり、鳥か、蟲にでも生れて、切(セツ)なく鳴き續けることであらう。

つひに一度、ものを考へた事もないのが、此國のあて人の娘であつた。磨かれぬ智慧を抱いたまゝ、何も知らず思はずに、過ぎて行つた幾百年、幾萬の貴い女性(ニヨシヤウ)の間に、蓮(ハチス)の花がぽつちりと、莟を擡(モタ)げたやうに、物を考へることを知り初(ソ)めた郎女であつた。

をれよ。鶯よ。あな姦(カマ)や。人に、物思ひをつけくさる。

荒々しい聲と一しよに、立つて、表戸と直角(カネ)になつた草壁の蔀戸(シトミド)をつきあげたのは、當麻語部(タギマノカタリ)の媼(オムナ)である。北側に當るらしい其外側は、を壓するばかり、篠竹が繁つて居た。澤山の葉筋(ハスヂ)が、日をすかして一時にきら/\と、光つて見えた。
郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃き過ぎた色を、(マブタ)の裏に、見つめて居た。をとゝひの日の入り方、山の端に見た輝きが、思はずには居られなかつたからである。
また一時(イツトキ)、盧堂(イホリドウ)をつて、音するものもなかつた。日は段々闌(タ)けて、小晝(コビル)の温(ヌク)みが、ほの暗い郎女の居處にも、ほつとりと感じられて來た。
寺の奴(ヤツコ)が、三四人先に立つて、僧綱が五六人其に、大勢の所化たちのとり捲いた一群れが、廬へ來た。

これが、古(フル)山田寺だ、と申します。

勿體ぶつた、しわがれ聲が聞えて來た。

そんな事は、どうでも――。まづ、郎女(イラツメ)さまを――。

噛みつくやうにあせつて居る家長老(イヘオトナ)額田部子古(ヌカタベノコフル)のがなり聲がした。同時に、表戸は引き剥がされ、其に隣つた、幾つかの竪薦(タツゴモ)をひきちぎる音がした。
づうと這ひ寄つて來た身狹乳母(ムサノチオモ)は、郎女の前に居たけを聳かして、掩ひになつた。外光の直射を防ぐ爲と、一つは男たちの前、殊には、庶民の目に、貴人(アデビト)の姿を暴(サラ)すまい、とするのであらう。
伴(トモ)に立つて來た家人(ケニン)の一人が、大きな木の叉枝(マタブリ)をへし折つて來た。さうして、旅用意の卷帛(マキギヌ)を、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其を牀(ユカ)につきさして、即座の竪帷(タツバリ)―几帳―は調つた。乳母(オモ)は、其前に座を占めたまゝ、何時までも動かなかつた。

        十二

怒りの瀧のやうになつた額田部ノ子古は、奈良に還つて、公に訴へると言ひ出した。大和國にも斷つて、寺の奴ばらを追ひ放つて貰ふとまで、いきまいた。大師(タイシ)を頭(カシラ)に、横佩家に深い筋合ひのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御吟味を願はずには置かぬ、と凄い顏をして、住侶たちを脅かした。
郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の淨域を穢し、結界まで破られたからは、直にお還りになるやうには計はれぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その贖(アガナ)ひはして貰はねばならぬ、と寺方も、言ひ分はひつこめなかつた。
理分にも非分にも、これまで、南家の權勢でつき通して來た家長老(オトナ)等にも、寺方の扱ひと言ふものゝ、世間どほりにはいかぬ事が訣(ワカ)つて居た。
乳母(オモ)に相談かけても、一代さう言ふ世事に與つた事のない此人は、そんな問題には、詮(カヒ)ない唯の、女性(ニヨシヤウ)に過ぎなかつた。
先刻(サツキ)からまだ立ち去らずに居た當麻語部の嫗が、口を出した。

其は、寺方が、理分でおざるがや。お隨ひなされねばならぬ。

其を聞くと、身狹ノ乳母は、激しく、田舍語部(ヰナカカタリベ)の老女を叱りつけた。男たちに言ひつけて、疊にしがみつき、柱にかき縋る古婆(フルバヾ)を掴み出させた。さうした威高さは、さすがに自(オノヅカ)ら備つてゐた。

何事も、この身などの考へではきめられぬ。帥(ソツ)の殿(トノ)に承らうにも、國遠し。まづ姑(シバ)し、郎女樣のお心による外はないもの、と思ひまする。

其より外には、方(ハウ)もつかなかつた。奈良の御館の人々と言つても、多くは、此人たちの意見を聽いてする人々である。よい思案を、考へつきさうなものも居ない。難波へは、直樣、使ひを立てることにして、とにもかくにも、當座は、姫の考へに任せよう、と言ふことになつた。

郎女樣。如何お考へ遊ばしまする。おして、奈良へ還れぬでも御座りませぬ。尤、寺方でも、候人(サブラヒヾト)や、奴隷(ヤツコ)の人數を揃へて、妨げませう。併し、御館(ミタチ)のお勢ひには、何程の事でも御座りませぬ。では御座りまするが、お前さまのお考へを承らずには、何とも計ひかねまする。御思案お洩し遊ばされ。

謂はゞ、難題である。あて人の娘御に、出來よう筈のない返答である。乳母(オモ)も、子古(コフル)も、凡は無駄な伺ひだ、と思つては居た。ところが、郎女の答へは、木魂返(コダマガヘ)しの樣に、躊躇(タメラ)ふことなしにあつた。其上、此ほどはつきりとした答へはない、と思はれる位、凛としてゐた。其が、すべての者の不滿を壓倒した。

姫の咎は、姫が贖(アガナ)ふ。此寺、此二上山の下に居て、身の償(ツグナ)ひ、心の償ひした、と姫が得心するまでは、還るものとは思(オモ)やるな。

郎女の聲?詞を聞かぬ日はない身狹乳母(ムサノチオモ)ではあつた。だがつひしか此ほどに、頭の髓まで沁み入るやうな、さえ/″\とした語を聞いたことのない、乳母(チオモ)だつた。
寺方の言ひ分に讓るなど言ふ問題は、小い事であつた。此爽やかな育ての君の判斷力と、惑ひなき詞に感じてしまつた。たゞ、涙。かうまで賢(サカ)しい魂を窺ひ得て、頬に傳ふものを拭ふことも出來なかつた。子古にも、郎女の詞を傳達した。さうして、自分のまだ曾て覺えたことのない感激を、力深くつけ添へて聞かした。

ともあれ此上は、難波津へ。

難波へと言つた自分の語に、氣づけられたやうに、子古は思ひ出した。今日か明日、新羅問罪の爲、筑前へ下る官使の一行があつた。難波に留つてゐる帥の殿も、次第によつては、再太宰府へ出向かれることになつてゐるかも知れぬ。手遲れしては一大事である。此足ですぐ、北へつて、大阪越えから河内へ出て、難波まで、馬の叶ふ處は馬で走らう、と決心した。
萬法藏院に、唯一つ飼つて居た馬の借用を申し入れると、此は快く聽き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行つて來る、と齒のすいた口に叫びながら、郎女の竪帷(タツバリ)に向けて、庭から匍伏した。子古の發つた後は、又のどかな春の日に戻つた。悠々(ウラヽヽ)と照り暮す山々を見せませう、と乳母が言ひ出した。木立ち山陰から盜み見する者のないやうに、家人(ケニン)らを、一町?二町先まで見張りに出して、郎女を、外に誘ひ出した。
暴風雨(アラシ)の夜、添下(ソフノシモ)?廣瀬?葛城の野山を、かちあるきした娘御ではなかつた。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。
日の光りは、霞みもせず、陽炎も立たず、唯をどんで見えた。昨日眺めた野も、斜になつた日を受けて、物の影が細長く靡いて居た。青垣の樣にとりまく山々も、愈々遠く裾を曳いて見えた。
早い菫―げんげ―が、もうちらほら咲いてゐる。遠く見ると、その赤々とした紫が一續きに見えて、夕燒け雲がおりて居るやうに思はれる。足もとに一本、おなじ花の咲いてゐるのを見つけた郎女は、膝を叢について、ぢつと眺め入つた。

これはえ――。
すみれ、と申すとのことで御座ります。

かう言ふ風に、物を知らせるのが、あて人に仕へる人たちの、爲來りになつて居た。

蓮(ハチス)の花に似てゐながら、もつと細(コマ)やかな、――繪にある佛の花を見るやうな――。

ひとり言しながら、ぢつと見てゐるうちに、花は、廣い萼(ウテナ)の上に乘つた佛の前の大きな花になつて來る。其がまた、ふつと、目の前のさゝやかな花に戻る。

夕風が冷(ヒヤ)ついて參ります。内へと遊ばされ。

乳母が言つた。見渡す山は、皆影濃くあざやかに見えて來た。
近々と、谷を隔てゝ、端山の林や、崖(ナギ)の幾重も重つた上に、二上(フタカミ)の男嶽(ヲノカミ)の頂が、赤い日に染つて立つてゐる。
今日は、又あまりに靜かな夕(ユフベ)である。山ものどかに、夕雲の中に這入つて行かうとしてゐる。

まうし/\。もう外に居る時では御座りません。


        十三

「朝目よく」うるはしい兆(シルシ)を見た昨日は、郎女にとつて、知らぬ經驗を、後から後から展いて行つたことであつた。たゞ人(ヒト)の考へから言へば、苦しい現實のひき續きではあつたのだが、姫にとつては、心驚く事ばかりであつた。一つ/\變つた事に逢ふ度に、「何も知らぬ身であつた」、と姫の心の底の聲が揚つた。さうして、その事毎に、挨拶をしてはやり過したい氣が、一ぱいであつた。今日も其續きを、くはしく見た。
なごり惜しく過ぎ行く現(ウツ)し世のさま/″\。郎女は、今目を閉ぢて、心に一つ/\收めこまうとして居る。ほのかに通り行き、將(ハタ)著しくはためき過ぎたもの――。宵闇の深くならぬ先に、廬(イホリ)のまはりは、すつかり手入れがせられて居た。燈臺も大きなのを、寺から借りて來て、煌々と、油火(ビ)が燃えて居る。明王像も、女人のお出での場處には、すさまじいと言ふ者があつて、どこかへ搬んで行かれた。其よりも、郎女の爲には、帳臺の設備(シツラ)はれてゐる安らかさ。今宵は、夜も、暖かであつた。帷帳(トバリ)を周らした中は、ほの暗かつた。其でも、山の鬼神(モノ)、野の魍魎(モノ)を避ける爲の燈の渦が、ぼうと梁に張り渡した頂板(ツシイタ)に搖(ユラ)めいて居るのが、たのもしい氣を深めた。帳臺のまはりには、乳母や、若人が寢たらしい。其ももう、一時(ヒトヽキ)も前の事で、皆すや/\と寢息の音を立てゝ居る。姫の心は、今は輕かつた。
たとへば、俤に見たお人には逢はずとも、その俤を見た山の麓に來て、かう安らかに身を横へて居る。
燈臺の明りは、郎女の額の上に、高く朧ろに見える光の輪を作つて居た。月のやうに圓くて、幾つも上へ/\と、月輪(グワチリン)の重つてゐる如くも見えた。其が、隙間風の爲であらう。時々薄れて行くと、一つの月になつた。ぽうつと明り立つと、幾重にも隈の疊まつた、大きな圓かな光明になる。
幸福に充ちて、忘れて居た姫の耳に、今宵も谷の響きが聞え出した。更けた夜空には、今頃やつと、遲い月が出たことであらう。
物の音。――つた つたと來て、ふうと佇(タ)ち止るけはひ。耳をすますと、元の寂かな夜に――激(タギ)ち降(クダ)る谷のとよみ。

つた つた つた。

又、ひたと止(ヤ)む。
この狹い廬の中を、何時まで歩く、跫音だらう。

つた。

郎女は刹那、思ひ出して帳臺の中で、身を固くした。次にわぢ/\と戰(ヲノヽ)きが出て來た。

天若御子(アメワカミコ)――。

ようべ、當麻語部嫗(タギマノカタリノオムナ)の聞した物語り。あゝ其お方の、來て窺ふ夜なのか。

――青馬の 耳面刀自(ミヽモノトジ)。
刀自もがも。女弟(オト)もがも。
その子の はらからの子の
處女子(ヲトメゴ)の 一人
一人だに わが配偶(ツマ)に來よ

まことに畏しいと言ふことを覺えぬ郎女にしては、初めてまざ/″\と、壓へられるやうな畏(コハ)さを知つた。あゝあの歌が、胸に生(イ)き蘇(カヘ)つて來る。忘れたい歌の文句が、はつきりと意味を持つて、姫の唱へぬ口の詞から、胸にとほつて響く。乳房から迸り出ようとするときめき。
帷帳(トバリ)がふはと、風を含んだ樣に皺だむ。
ついと、凍る樣な冷氣――。
郎女は目を瞑つた。だが――瞬間睫の間から映(ウツ)つた細い白い指、まるで骨のやうな――帷帳(トバリ)を掴んだ片手の白く光る指。

なも 阿彌陀ほとけ。あなたふと 阿彌陀ほとけ。

何の反省もなく、唇を洩れた詞。この時、姫の心は、急に寛ぎを感じた。
さつと――汗。全身に流れる冷さを覺えた。畏(コハ)い感情を持つたことのないあて人の姫は、直(スグ)に動顛した心を、とり直すことが出來た。

なう/\。あみだほとけ……。

今一度口に出して見た。をとゝひまで、手寫しとほした、稱讃淨土經(シヤウサンジヤウドキヤウ)の文(モン)が胸に浮ぶ。郎女は、昨日までは一度も寺道場を覗いたこともなかつた。父君は家の内に道場を構へて居たが簾越しにも聽聞(モン)は許されなかつた。御經(オンキヤウ)の文(モン)は手寫しても、固より意趣は、よく訣らなかつた。だが、處々には、かつ/″\氣持ちの汲みとれる所があつたのであらう。さすがに、まさかこんな時、突嗟に口に上らう、とは思うて居なかつた。
白い骨、譬へば白玉の竝んだ骨の指、其が何時までも目に殘つて居た。帷帳(トバリ)は元のまゝに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでゐるやうな氣がする。
悲しさとも、懷しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行つた。山の端に立つた俤びとは、白々(シロヾヽ)とした掌をあげて、姫をさし招いたと覺えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる。

長い渚を歩いて行く。郎女の髮は、左から右から吹く風に、あちらへ靡き、こちらへ亂れする。浪はたゞ、足もとに寄せてゐる。渚と思うたのは、海の中道(ナカミチ)である。浪は兩方から打つて來る。どこまでも/\、海の道は續く。郎女の足は、砂を踏んでゐる。その砂すらも、段々水に掩はれて來る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と氣がつく。姫は身を屈(コヾ)めて、白玉を拾ふ。拾うても/\、玉は皆、掌(タナソコ)に置くと、粉の如く碎けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾ひ續ける。玉は水隱(ミガク)れて、見えぬ樣になつて行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬(スク)はうとする。掬(ムス)んでも/\、水のやうに手股(タナマタ)から流れ去る白玉――。玉が再、砂の上につぶ/\竝んで見える。忙(アワタヾ)しく拾はうとする姫の俯(ウツム)いた背を越して、流れる浪が泡立つてとほる。
姫は――やつと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂ふ身……衣もなく、裳(モ)もない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現(ウツ)し身。
ずん/\とさがつて行く。水底(ミナゾコ)に水漬(ミヅ)く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹(ヒトモト)の白い珊瑚の樹(キ)である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であつた。玉藻が、深海のうねりのまゝに、搖れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。ほつと息をついた。
まるで、潜(カヅ)きする海女(アマ)が二十尋(ハタヒロ)?三十尋(ミソヒロ)の水(ミナ)底から浮び上つて嘯(ウソフ)く樣に、深い息の音で、自身明らかに目が覺めた。
あゝ夢だつた。當麻まで來た夜道の記憶は、まざ/″\と殘つて居るが、こんな苦しさは覺えなかつた。だがやつぱり、をとゝひの道の續きを辿つて居るらしい氣がする。
水の面からさし入る月の光り。さう思うた時は、ずん/″\海面に浮き出て來た。さうして悉く、跡形もない夢だつた。唯、姫の仰ぎ寢る頂板(ツシイタ)に、あゝ、水にさし入つた月。そこに以前のまゝに、幾つも暈(カサ)の疊まつた月輪の形が、搖(ユラ)めいて居る。

なう/\ 阿彌陀ほとけ……。

再、口に出た。光りの暈は、今は愈々明りを増して、輪と輪との境の隈々(クマヾヽ)しい處までも見え出した。黒ずんだり、薄暗く見えたりした隈が、次第に凝り初めて、明るい光明の中に、胸?肩頭髮、はつきりと形を現(ゲン)じた。白々と袒(ヌ)いだ美しい肌。淨く伏せたまみが、郎女の寢姿を見おろして居る。かの日(ヒ)の夕(ユフベ)、山の端(ハ)に見た俤びと――。乳のあたりと、膝元とにある手――その指(オヨビ)、白玉の指(オヨビ)。
姫は、起き直つた。天井の光りの輪が、元のまゝに、たゞ仄かに事もなく搖れて居た。

        十四


貴人(ウマビト)はうま人どち、やつこは奴隷(ヤツコ)どち、と言ふからの――。

何時見ても、大師(タイシ)は、微塵(ミヂン)曇りのない、圓(マド)かな相好(サウガウ)である。其に、ふるまひのおほどかなこと。若くから氏上(ウヂノカミ)で、數十家(ケ)の一族や、日本國中數萬の氏人(ウヂビト)から立てられて來た家持(ヤカモチ)も、ぢつと對うてゐると、その靜かな威に、壓せられるやうな氣がして來る。

言はしておくがよい。奴隷(ヤツコ)たちは、とやかくと口さがないのが、其爲事よ。此身とお身とは、おなじ貴人(ウマビト)ぢや。おのづから、話も合はうと言ふもの。此身が、段々なり上(ノボ)ると、うま人までがおのづとやつこ心になり居つて、いや嫉むの、そねむの。

家持は、此が多聞天か、と心に問ひかけて居た。だがどうも、さうは思はれぬ。同じかたどつて作るなら、とつい聯想が逸れて行く。八年前、越中ノ國から歸つた當座の、世の中の豐かな騷ぎが、思ひ出された。あれからすぐ、大佛開眼(カイゲン)供養が行はれたのであつた。其時、近々と仰ぎ奉つた尊容、八十種好(ハチジフシユガウ)具足した、と謂はれる其相好が、誰やらに似てゐる、と感じた。其がその時は、どうしても思ひ浮ばずにしまつた。その時の印象が、今ぴつたり、的にあてはまつて來たのである。
かうして對ひあつて居る主人の顏なり、姿なりが、其まゝあの廬遮那(ルサナ)ほとけの俤だ、と言つて、誰が否まう。

お身も、少し咄したら、えゝではないか。官位(カウブリ)はかうぶり。昔ながらの氏は氏――。なあ、さう思はぬか。紫微中臺の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だは。
家(ウチ)に居る時だけは、やはり神代以來(カミヨイライ)の氏上(ウヂノカミ)づきあひが、えゝ。

新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土(モロコシ)の才(ザエ)が、やまと心に入り替つたと謂はれて居る此人が、こんな嬉しいことを言ふ。家持は、感謝したい氣がした。理會者?同感者を、思ひまうけぬ處に見つけ出した嬉しさだつたのである。

お身は、宋玉や、王褒の書いた物を大分持つて居ると言ふが、太宰府へ行つた時に、手に入れたのぢやな。あんな若い年で、わせだつたのだなう。お身は――。お身の氏では、古麻呂(コマロ)。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢魏はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言ふがひない話ぢやは。

兵部大輔は、やつと話のつきほを捉へた。

お身さまのお話ぢやが、わしは、賦の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て來る元になつて居る――さうつく/″\思ひますぢやて。ところで近頃は、方(カタ)を換へて、張文成を拾ひ讀みすることにしました。この方が、なんぼか――。
大きに、其は、身も賛成ぢや。ぢやが、お身がその年になつても、まだ二十(ハタチ)代の若い心や、瑞々しい顏を持つて居るのは、宋玉のおかげぢやぞ。まだなか/\隱れては歩き居(ヲ)る、と人の噂ぢやが、嘘ぢやなからう。身が保證する。おれなどは、張文成ばかり古くから讀み過ぎて、早く精氣の盡きてしまうた心持ちがする。――ぢやが全く、文成はえゝなう。あの仁(ジン)に會うて來た者の話では、豬肥(ヰノコヾ)えのした、唯の漢土(モロコシ)びとぢやつたげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思ふが、お身なら、諾(ウベナ)うてくれるだらうの。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、讀んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へを、いつの間にか、持つてゐる――そんな空恐しい氣さへすることが、ありますて。お身さまにも、そんな經驗(オボエ)は、おありでがな。
大ありおほ有り。毎日々々、其よ。しまひに、どうなるのぢや。こんなに智慧づいては、と思はれてならぬことが――。ぢやが、女子(ヲミナゴ)だけには、まづ當分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものぢや。第一其が、われ/\男の爲ぢやて。

家持は、此了解に富んだ貴人に向つては、何でも言つてよい、青年のやうな氣が湧いて來た。

さやう/\。智慧を持ち初めては、あの欝(イブセ)い女部屋には、ぢつとして居ませぬげな。第一、横佩墻内(ヨコハキカキツ)の――

此はいけぬ、と思つた。同時に、此臆(オク)れた氣の出るのが、自分を卑(ヒク)くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落す心なのだ、と感じる。

好(エヽ)、好(エヽ)。遠慮はやめやめ。氏ノ上づきあひぢやもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏上に任ぜられた訣やぢあ、なかつたつけの。

瞬間、暗い顏をしたが、直にさつと眉の間から、輝きが出て來た。

身の女姪(メヒ)が神隱しにあうたあの話か。お身は、あの謎見たいないきさつを、さう解(ト)るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶぢやらう。實はこれまで、内々消息を遣して、小あたりにあたつて見た、と言ふ口かね、お身も。
大きに。

今度は輕い心持ちが、大膽に押勝の話を受けとめた。

お身さまが經驗(タメシ)ずみぢやで、其で、郎女の才高(ザエダカ)さと、男擇びすることが訣りますな――。
此は――。額(ヒタヒ)ざまに切りつけるぞ――。免せ/\と言ふところぢやが、――あれはの、生れだちから違ふものな。藤原の氏姫ぢやからの。枚岡(ヒラヲカ)の齋(イツ)き姫にあがる宿世(スクセ)を持つて生れた者ゆゑ、人間の男は、彈く、彈く、彈きとばす。近よるまいぞよ。はゝはゝゝ。

大師は、笑ひをぴたりと止めて、家持の顏を見ながら、きまじめな表情になつた。

ぢやがどうも――。聽き及んでのことゝ思ふが、家出の前まで、阿彌陀經の千部寫經をして居たと言ふし、樂毅論から兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習もしたらしいし、まだ/″\孝經などは、これぽつちの頃に習うた、と言ふし、なか/\の女博士(ヲナゴハカセ)での。楚辭や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬはなう。霜月?師走の垣毀雪女(カイコボチヲナゴ)ぢやもの。――どうして其だけの女子(ヲミナゴ)が、神隱しなどに逢はうかい。
第一、場處が、あの當麻で見つかつたと言ひますからの――。
併し其は、藤原に全く縁のない處でもない。天ノ二上は、中臣壽詞(ナカトミノヨゴト)にもあるし……。齋(イツ)き姫(ヒメ)もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる氣を起したのでないか、と考へると、もう不安で不安でなう。のどかな氣持ちばかりでも居られぬて――。

押勝の眉は集つて來て、皺一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顏も、思ひなし、ひずんで見えた。

何しろ、嫋女(タワヤメ)は國の寶ぢやでなう。出來ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところぢやが、――人間の高望(タカノゾ)みは、さうばかりもさせてはおきをらぬがい――。ともかく、むざ/″\尼寺へやる訣にはいかぬ。
ぢやが、お身さま。一人出家すれば、と云ふ詞が、この頃はやりになつて居りますが……。
九族が天に生じて、何になるといふのぢや。寶は何百人かゝつても、作り出せるものではないぞよ。どだい兄公殿(アニキドノ)が、少し佛凝(ゴ)りが過ぎるでなう――。自然内(ウチ)うらまで、そんな氣風がしみこむやうになつたかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の郎女(イラツメ)も、そんな育てはしてあるまいな。其では、家(ウチ)の久須麻呂が泣きを見るからの。

人の惡いからかひ笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出さうと努めるのは、考へるのも切ない胸の中が察せられる。

兄公殿(アニキドノ)は氏ノ上に、身は氏助(ウヂノスケ)と言ふ訣なのぢやが、肝腎齋き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年ぢや。去年春日祭りに、女使ひで上られた姿を見て、神(カン)さびたものよ、と思うたぞ。今(モ)一代此方から進ぜなかつたら、齋き姫になる娘の多い北家の方がすぐに取つて替つて、氏ノ上に据るは。

兵部大輔にとつても、此はもう、他事(ヒトゴト)ではなかつた。おなじ大伴幾流の中から、四代續いて氏ノ上職を持ち堪(コタ)へたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせが重かつたからである。其には、一番大事な條件として、美しい齋き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかつた爲でもある。大伴の家のは、表向き壻どりさへして居ねば、子があつても、齋き姫は勤まる、と言ふ定めであつた。今の阪ノ上ノ郎女は、二人の女子(ヲミナゴ)を持つて、やはり齋き姫である。此は、うつかり出來ない。此方(コチラ)も藤原同樣、叔母御が齋姫(イツキ)で、まだそんな年でない、と思うてゐるが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲ふことにならぬとも限らぬ。大伴?佐伯(サヘキ)の數知れぬ家々?人々が、外の大伴へ、頭をさげるやうになつてはならぬ。かう考へて來た家持の心の動搖などには、思ひよりもせぬ風で、

こんな話は、よそほかの氏ノ上に言ふべきことでないが、兄公殿(アニキドノ)があゝして、此先何年、難波にゐても、太宰府に居ると言ふが表面(オモテ)だから、氏の祭りは、枚岡?春日と、二處に二度づゝ、其外、週(マハ)り年には、時々鹿島香取の東路(アヅマヂ)のはてにある舊社(モトヤシロ)の祭りまで此方で勤めねばならぬ。實際よそほかの氏ノ上よりも、此方(コチラ)の氏助ははたらいてゐるのだが、――だから、自分で、氏ノ上の氣持ちになつたりする。――もう一層なつてしまふかな。お身はどう思ふ。こりや、答へる訣にも行くまい。氏ノ上に押し直らうとしたところで、今の身の考へ一つを抂げさせるものはない。上樣方に於かせられて、お叱りの御沙汰(ゴサタ)を下しおかれぬ限りは――。

京中で、此惠美屋敷ほど、庭を嗜んだ家はないと言ふ。門は、左京二條三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住ひは、南を廣く空(ア)けて、深々とした山齋(ヤマ)が作つてある。其に入りこみの多い池を周らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の中(ナカ)み門(カド)、西の中(ナカ)み門(カド)まで備つて居る。どうかすると、庭と申さうより、寛々(クワンヽヽヽ)とした空き地の廣くおありになる宮よりは、もつと手入れが屆いて居さうな氣がする。
庭を立派にして住んだ、うま人たちの末々の樣が、兵部大輔の胸に來た。瞬間、憂欝な氣持ちがかぶさつて來て、前にゐる大師の顏を見るのが、氣の毒な樣に思はれる。

案じるなよ。庭が行き屆き過ぎて居る、と思うてるのだらう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかりはないさ。淡海公の御館はどうだ。どの筋でも引き繼がずに、今に荒してはあるが、あの立派さは。それあの山部の何とか言つた、地下(ヂゲ)の召(メ)し人(ビト)の歌よみが、おれの三十になつたばかりの頃、「昔見し舊(フル)き堤は、年深み…年深み、池の渚に、水草(ミクサ)生ひにけり」とよんだ位だが、其後が、これ此樣に四流にも岐れて榮えてゐる。もつとあるぞ――。なに、庭などによるものぢやないは。

恃(タノ)む所の深い此あて人は、庭の風景の、目立つた個處々々を指摘しながら、其據る所を、日本(ヤマト)?漢土(モロコシ)に渉つて説明した。
長い廊を、數人の童(ワラハ)が續いて來る。

日ずかしです。お召しあがり下されませう。

改つて、簡單な饗應の挨拶をした。まらうどに、早く酒を獻じなさい、と言つてゐる間に、美しい采女(ウネメ)が、盃を額より高く捧げて出た。

をゝ、それだけ受けて頂けばよい。舞ひぶりを一つ、見て貰ひなさい。

家持は何を考へても、先を越す敏感な主人に對して、唯虚心で居るより外はなかつた。

うねめは、大伴の氏ノ上へは、まだくださらぬのだつたね。藤原では、存知でもあらうが、先例が早くからあつて、淡海公が、近江の宮から頂戴した故事で、頂く習慣になつて居ります。

時々、こんな畏まつたもの言ひもまじへる。兵部大輔は、自身の語づかひにも、初中終(シヨツチユウ)氣扱ひをせねばならなかつた。

氏ノ上もな、身が執(シフ)心で、兄公殿を太宰府へ追ひまくつて、後にすわらうとするのだ、と言ふ奴があるといの――。やつぱり「奴はやつこどち」ぢやの。さう思ふよ。時に女姪(メヒ)の姫だが――。

さすがの聰明第一の大師も、酒の量は少かつた。其が、今日は幾分いけた、と見えて、話が循環して來た。家持は、一度はぐらかされた緒口(イトグチ)に、とりついた氣で、

横佩墻内(カキツ)の郎女(イラツメ)は、どうなるでせう。社?寺、それとも宮――。どちらへ向いても、神さびた一生。あつたら惜しいものでおありだ。
氣にするな。氣にするな。氣にしたとて、どう出來るものか。此は――もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。

末は、獨り言になつて居た。さうして、急に考へ深い目を凝した。池へ落した水音は、未(ヒツジ)がさがると、寒々と聞えて來る。

早く、躑躅の照る時分になつてくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどほしいぞ。

大師藤原ノ惠美ノ押勝朝臣の聲は、若々しい、純な欲望の外、何の響きもまじへて居なかつた。

        十五


つた つた つた。

郎女は、一向(ヒタスラ)、あの音の歩み寄つて來る畏しい夜更けを、待つやうになつた。をとゝひよりは昨日、昨日よりは今日といふ風に、其跫音が間遠になつて行き、此頃はふつに音せぬやうになつた。その氷の山に對うて居るやうな、骨の疼く戰慄の快感、其が失せて行くのを虞れるやうに、姫は夜毎、鷄のうたひ出すまでは、殆、祈る心で待ち續けて居る。
絶望のまゝ、幾晩も仰ぎ寢たきりで、目は晝よりも寤(サ)めて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかつた。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた頂板(ツシ)の面(オモテ)の光り輪にすら、明盲(アキジ)ひのやうに、注意は惹かれなくなつてゐる。こゝに來て、疾(ト)くに、七日は過ぎ、十日?半月になつた。山も、野も、春のけしきが整うて居た。野茨の花のやうだつた小櫻が散り過ぎて、其に次ぐ山櫻が、谷から峰かけて、斷續しながら咲いてゐるのも見える。麥原(ムギフ)は、驚くばかり伸び、里人の野爲事に出た姿が、終日、そのあたりに動いてゐる。
都から來た人たちの中、何時までこの山陰に、春を起き臥すことか、と佗びる者が殖えて行つた。廬堂の近くに掘り立てた板屋に、かう長びくと思はなかつたし、まだどれだけ續くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に會ふことばかりを考へた。親に養はれる者は、家の父母の外にも、隱れた戀人を思ふ心が、切々として來るのである。女たちは、かうした場合にも、平氣に近い感情で居られる長い暮しの習しに馴れて、何か、と爲事を考へてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もつと廬に接して建てられて居た。
身狹乳母(ムサノチオモ)の思ひやりから、男たちの多くは、唯さへ小人數な奈良の御館(ミタチ)の番に行け、と言つて還され、長老(オトナ)一人の外は、唯雜用(ザフヨウ)をする童と、奴隷(ヤツコ)位しか殘らなかつた。
乳母(オモ)や、若人たちも、薄々は帳臺の中で夜を久しく起きてゐる、郎女の樣子を感じ出して居た。でも、なぜさう夜深く溜め息ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔かたぎの女たちである。
やはり、郎女の魂(タマ)があくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と單純に考へて居る。ある女は、魂ごひの爲に、山尋ねの咒術(オコナヒ)をして見たらどうだらう、と言つた。
乳母は一口に言ひ消した。姫樣、當麻に御安著なされた其夜、奈良の御館へ計はずに、私にした當麻眞人(タギマノマヒト)の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。當麻語部とか謂つた蠱物(マジモノ)使ひのやうな婆が、出しやばつての差配が、こんな事を惹き起したのだ。
その節、山の峠(タワ)の塚で起つた不思議は、噂になつて、この貴人(ウマビト)一家の者にも、知れ渡つて居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女樣におつけ申しあげたに違ひない。もう/\、輕はずみな咒術(オコナヒ)は、思ひとまることにしよう。かうして、魂(タマ)の游離(アクガ)れ出た處の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだらう。こんな風に考へて、乳母は唯、氣長に氣ながに、と女たちを諭し/\した。
こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて櫻の後、暫らく寂しかつた山に、躑躅が燃え立つた。足も行かれぬ崖の上や、巖の腹などに、一群々々(ヒトムラヽヽヽヽ)咲いて居るのが、奧山の春は今だ、となのつて居るやうである。
ある日は、山へ/\と、里の娘ばかりが上つて行くのを見た。凡數十人の若い女が、何處で宿つたのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髮にかざして、降りて來た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林(ツヽジバヤシ)が練つて降るやうだ、と聲をあげた。
ぞよ/\と廬の前を通る時、皆頭をさげて行つた。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ來た。當麻の田居も、今は苗代時である。やがては田植ゑをする。其時は、見に出やしやれ。こんな身でも、其時はずんと、をなごぶりが上るぞな、と笑ふ者もあつた。

こゝの田居の中で、植ゑ初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田ぢやげな。

若人たちは、又例の蠱物姥(マヂモノウバ)の古語りであらう、とまぜ返す。ともあれ、かうして、山ごもりに上つた娘だけに、今年の田の早處女(サウトメ)が當ります。其しるしが此ぢや、と大事さうに、頭の躑躅に觸れて見せた。
もつと變つた話を聞かせぬかえと誘はれて、身分に高下はあつても、同じ若い同士のことゝて、色々な田舍咄をして行つた。其を後(ノチ)に乳母(オモ)たちが聽いて、氣にしたことがあつた。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどう/″\と踏みおりて來る者がある。ようべ、眞夜中のことである。一樣にうなされて、苦しい息をついてゐると、音はそのまゝ、眞下へ眞下へ、降つて行つた。がら/″\と、岩の崩(ク)える響。――ちようど其が、此廬堂の眞上の高處(タカ)に當つて居た。こんな處に道はない筈ぢやが、と今朝起きぬけに見ると、案の定(ヂヤウ)、赤岩の大崩崖(オホナギ)。ようべの音は、音ばかりで、ちつとも痕は殘つて居なかつた。
其で思ひ合せられるのは、此頃ちよく/\、子から丑の間に、里から見えるこのあたりの峰(ヲ)の上(ヘ)に、光り物がしたり、時ならぬ一時颪(イツトキオロシ)の凄い唸りが、聞えたりする。今までつひに聞かぬこと。里人は唯かう、恐れ謹しんで居る、とも言つた。
こんな話を殘して行つた里の娘たちも、苗代田の畔に、めい/\のかざしの躑躅花をして歸つた。其は晝のこと、田舍は田舍らしい閨の中に、今は寢ついたであらう。夜はひた更けに、更けて行く。
晝の恐れのなごりに、寢苦しがつて居た女たちも、おびえ疲れに寢入つてしまつた。頭上の崖で、寢鳥の鳴き聲がした。郎女は、まどろんだとも思はぬ目を、ふつと開いた。續いて今ひと響き、びしとしたのは、鳥などの、翼ぐるめひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたやうに、虚しい空間の闇に、時間が立つて行つた。郎女の額(ヌカ)の上の天井の光りの暈(カサ)が、ほの/″\と白んで來る。明りの隈はあちこちに偏倚(カタヨ)つて、光りを竪にくぎつて行く。と見る間に、ぱつと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、佛の花の青蓮華(シヤウレンゲ)と言ふものであらうか。郎女の目には、何とも知れぬ淨らかな花が、車輪のやうに、宙にぱつと開いてゐる。仄暗い蕋の處に、むら/\と雲のやうに、動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髮である。髮の中から匂ひ出た莊嚴な顏。閉ぢた目が、憂ひを持つて、見おろして居る。あゝ肩?胸?顯はな肌。――冷え/″\とした白い肌。をゝ おいとほしい。
郎女は、自身の聲に、目が覺めた。夢から續いて、口は尚夢のやうに、語を逐うて居た。

おいとほしい。お寒からうに――。


        十六

山の躑躅の色は、樣々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎(シボ)む。さうして、凡一月は、後から後から替つた色のが匂ひ出て、禿げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交つて、馬醉木(アシビ)が雪のやうに咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあはれである。
もう此頃になると、山は厭はしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隱されてしまふ。郭公(クワツコウ)は早く鳴き嗄らし、時鳥が替つて、日も夜も鳴く。
草の花が、どつと怒濤の寄せるやうに咲き出して、山全體が花原見たやうになつて行く。里の麥は刈り急がれ、田の原は一樣に青みわたつて、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭苑(ソノ)にも、立ち替り咲き替つて、栽ゑ木、草花が、何處まで盛り續けるかと思はれる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返つたやうな時が來る。池には葦が伸び、蒲が秀(ホ)き、藺(ヰ)が抽んでゝ來る。遲々として、併し忘れた頃に、俄かに伸(ノ)し上るやうに育つのは、蓮の葉であつた。
前年から今年にかけて、海の彼方の新羅の亡状が、目立つて棄て置かれぬものに見えて來た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言ふ命のお降しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人太宰府員外帥として、難波に居た横佩家の豐成は、思ひがけぬ日々を送らねばならなかつた。
都の姫の事は、子古の口から聽いて知つたし、又、京?難波の間を往來する頻繁な公私の使ひに、文をことづてる事は易かつたけれども、どう處置してよいか、途方に昏れた。ちよつと見は何でもない事の樣で、實は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不斷な心癖は、益々つのるばかりであつた。
寺々の知音に寄せて、當麻寺へ、よい樣に命じてくれる樣に、と書いてもやつた。又處置方について伺うた横佩墻内の家の長老(トネ)?刀自たちへは、ひたすら汝等の主の女郎を護つて居れ、と言ふやうな、抽象風なことを、答へて來たりした。
次の消息には、何かと具體した仰せつけがあるだらう、と待つて居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失はれたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止つて居た。物思ひに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立つて、伸びた蓮の莖を切り集め出した。其を見て居た寺の婢女(メヤツコ)が、其はまだ若い、まう半月もおかねばと言つて、寺領の一部に、蓮根(ハスネ)を取る爲に作つてあつた蓮田(ハチスダ)へ、案内しよう、と言ひ出した。
あて人の家自身が、それ/\、農村の大家(オホヤケ)であつた。其が次第に、官人(ツカサビト)らしい姿に更つて來ても、家庭の生活には、何時までたつても、何處か農家らしい樣子が、殘つて居た。家構へにも、屋敷の廣場(ニハ)にも、家の中の雜用具(ザフヨウグ)にも。第一、女たちの生活は、起居(タチヰ)ふるまひなり、服裝なりは、優雅に優雅にと變つては行つたが、やはり昔の農家の家内(ヤウチ)の匂ひがつき纒うて離れなかつた。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い田莊(タドコロ)へ行つて、數日を過して來るやうな習しも、絶えることなく、くり返されて居た。
だから、刀自たちは固より若人らも、つくねんと女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかつた。てんでに、自分の出た村方の手藝を覺えて居て、其を、仕へる君の爲に爲出(シイダ)さう、と出精してはたらいた。
裳の襞を作るのに珍(ナ)い術(テ)を持つた女などが、何でもないことで、とりわけ重寶がられた。袖の先につける鰭袖(ハタソデ)を美しく爲立てゝ、其に、珍しい縫ひとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、かう言ふ若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれを世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫ひが、家々の顏見合はぬ女どうしの競技のやうに、もてはやされた。摺り染めや、擣(ウ)ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあつたが、浸(ヒ)で染めの爲の染料が、韓の技工人(テビト)の影響から、途方もなく變化した。紫と謂つても、茜と謂つても、皆、昔の樣な、染め漿(シホ)の處置(トリアツカヒ)はせなくなつた。さうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになつて來た。表向きは、かうした色の禁令が、次第に行きわたつて來たけれど、家の女部屋までは、官(カミ)の目も屆くはずはなかつた。
家庭の主婦が、居まはりの人を促したてゝ、自身も精勤してするやうな爲事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであつた。若人たちも、田畠に出ぬと言ふばかりで、家の中での爲事は、まだ見參(マヰリマミエ)をせずにゐた田舍暮しの時分と、大差はなかつた。とりわけ違ふのは、其家々の神々に仕へると言ふ、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加へられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ樣に、笠を深々とかづき、其下には、更に薄帛を垂らして出かけた。
一(イツ)時たゝぬ中に、婢女(メヤツコ)ばかりでなく、自身たちも、田におりたつたと見えて、泥だらけになつて、若人たち十數人は、戻つて來た。皆手に手に、張り切つて發育した、蓮の莖を抱へて、廬の前に竝んだのには、常々くすりとも笑はぬ乳母(オモ)たちさへ、腹の皮をよつて切(セツ)ながつた。

郎女(イラツメ)樣。御覽(ラウ)じませ。

竪帳(タツバリ)を手でのけて、姫に見せるだけが、やつとのことであつた。

ほう――。

何が笑ふべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ上(ジヤウラフ)には、唯常と變つた皆の姿が、羨しく思はれた。

この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。
めつさうなこと、仰せられます。

めつさうな。きまつて、誇張した顏と口との表現で答へることも、此ごろ、この小社會で行はれ出した。何から何まで縛りつけるやうな、身狹乳母(ムサノチオモ)に對する反感も、此ものまねで幾分、いり合せがつく樣な氣がするのであらう。
其日からもう、若人たちの絲縒りは初まつた。夜は、閨の闇の中で寢る女たちには、稀に男の聲を聞くこともある、奈良の垣内(カキツ)住ひが、戀しかつた。朝になると又、何もかも忘れたやうになつて績(ウ)み貯める。
さうした絲の、六かせ七かせを持つて出て、郎女に見せたのは、其數日後であつた。

乳母(オモ)よ。この絲は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛の巣(イ)より弱く見えるがよ――。

郎女は、久しぶりでにつこりした。勞を犒ふと共に、考への足らぬのを憐むやうである。
刀自は、驚いて姫の詞を堰き止めた。

なる程、此は脆(サク)過ぎまする。

女たちは、板屋に戻つても、長く、健やかな喜びを、皆して語つて居た。
全く些(スコ)しの惡意もまじへずに、言ひたいまゝの氣持ちから、

田居とやらへおりたちたい――、

を反覆した。
刀自は、若人を呼び集めて、

もつと、きれぬ絲を作り出さねば、物はない。

と言つた。女たちの中の一人が、

それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。
さればの――。

昔を守ることばかりはいかついが、新しいことの考へは唯、尋常(ヨノツネ)の婆の如く、愚かしかつた。
ゆくりない聲が、郎女の口から洩れた。

この身の考へることが、出來ることか試して見や。

うま人を輕侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな輕(カル)しめに似た氣持ちが、皆の心に動いた。

夏引きの麻生(ヲフ)の麻(アサ)を績(ウ)むやうに、そして、もつと日ざらしよく、細くこまやかに―。

郎女は、目に見えぬものゝさとしを、心の上で綴つて行くやうに、語を吐いた。
板屋の前には、俄かに、蓮の莖が乾し竝べられた。さうして其が乾くと、谷の澱みに持ち下りて浸す。浸しては晒し、晒しては水に漬(ヒ)でた幾日の後、筵の上で槌の音高く、こも/″\、交々(コモヾヽ)と叩き柔らげた。
その勤しみを、郎女も時には、端近くゐざり出て見て居た。咎めようとしても、思ひつめたやうな目して見入つて居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出來なくなつた。
日晒しの莖を、八針(ヤツハリ)に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言はぬまなざしが、ぢつと若人たちの手もとをまもつて居る。
果ては、刀自も言ひ出した。

私も、績(ウ)みませう。

績(ウ)みに績み、又績みに績んだ。藕絲(ハスイト)のまるがせが、日に/\殖えて、廬堂(イホリダウ)の中に、次第に高く積まれて行つた。

もう今日は、みな月に入る日ぢやの――。

暦(コヨミ)の事を言はれて、刀自はぎよつとした。ほんに、今日こそ、氷室(ヒムロ)の朔日(ツイタチ)ぢや。さう思ふ下から齒の根のあはぬやうな惡感を覺えた。大昔から、暦は聖(ヒジリ)の與る道と考へて來た。其で、男女は唯、長老(トネ)の言ふがまゝに、時の來又去つた事を教(ヲソ)はつて、村や、家の行事を進めて行くばかりであつた。だから、教へぬに日月を語ることは、極めて聰(サト)い人の事として居た頃である。愈々魂をとり戻されたのか、と瞻(マモ)りながら、はら/\して居る乳母であつた。唯、郎女は復(マタ)、秋分の日の近づいて來て居ることを、心にと言ふよりは、身の内に、そく/\と感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長(タ)けて、莟の大きくふくらんだのも、見え出した。婢女(メヤツコ)は、今が刈りしほだ、と教へたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が續いた。

        十七

彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のやうに深碧に凪いだ空に、晝過ぎて、白い雲が頻りにちぎれ/\に飛んだ。其が門渡(トワタ)る船と見えてゐる内に、暴風(アラシ)である。空は愈々青澄み、昏くなる頃には、藍の樣に色濃くなつて行つた。見あげる山の端は、横雲の空のやうに、茜色に輝いて居る。
大山颪。木の葉も、枝も、顏に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かつた。板屋は吹きあげられさうに、煽りきしんだ。若人たちは、悉く郎女の廬に上つて、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顏を寄せた。たゞ互の顏の見えるばかりの緊張した氣持ちの間に、刻々に移つて行く風。西から眞正面(マトモ)に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して來た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向つてひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空樣(ソラザマ)に枝を掻き上げられた樣になつて、悲鳴を續けた。谷から峰(ヲ)の上(ヘ)に生え上(ノボ)つて居る萱原は、一樣に上へ/\と糶(セ)り昇るやうに、葉裏を返して扱(コ)き上げられた。
家の中は、もう暗くなつた。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかつきりと、物の一つ/\を、鮮やかに見せて居た。

郎女樣が――。

誰かの聲である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎよつとした。其が、何だと言はれずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言ひ難い恐怖にかみづつた女たちは、誰一人聲を出す者も居なかつた。
身狹ノ乳母は、今の今まで、姫の側に寄つて、後から姫を抱へて居たのである。皆の人のけはひで、覺め難い夢から覺めたやうに、目をみひらくと、あゝ、何時の間にか、姫は嫗の兩(モロ)腕兩膝の間には、居させられぬ。一時に、慟哭するやうな感激が來た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凛として、反り返る樣な力が、湧き上つた。

誰(タ)ぞ、弓を――。鳴弦(ツルウチ)ぢや。

人を待つ間もなかつた。彼女自身、壁代(カベシロ)に寄せかけて置いた白木の檀弓(マユミ)をとり上げて居た。

それ皆の衆――。反閇(アシブミ)ぞ。もつと聲高(コワダカ)に――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。

若人たちも、一人々々の心は、疾くに飛んで行つてしまつて居た。唯一つの聲で、警※(ケイヒツ)[#「馬+畢」、147-2]を發し、反閇(ハンバイ)した。

あっし あっし。
あっし あっし あっし。

狹い廬の中を蹈んでつた。脇目からは、遶道(ネウダウ)する群れのやうに。

郎女樣は、こちらに御座りますか。

萬法藏院の婢女(メヤツコ)が、息をきらして走つて來て、何時もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と廬の砌(ミギリ)に立つて叫んだ。

なに――。

皆の口が、一つであつた。

郎女樣か、と思はれるあて人が――、み寺の門(カド)に立つて居さつせるのを見たで、知らせにまゐりました。

今度は、乳母(オモ)一人の聲が答へた。

なに、み寺の門に。

婢女を先に、行道の群れは、小石を飛す嵐の中を、早足に練り出した。

あっし あっし あっし……。

聲は、遠くからも聞えた。大風をつき拔く樣な鋭聲(トゴエ)が、野面(ヅラ)に傳はる。萬法藏院は、實に寂(セキ)として居た。山風は物忘れした樣に、鎭まつて居た。夕闇はそろ/\、かぶさつて來て居るのに、山裾のひらけた處を占めた寺庭は、白砂が、晝の明りに輝いてゐた。こゝからよく見える二上(フタカミ)の頂は、廣く、赤々と夕映えてゐる。
姫は、山田の道場のから仰ぐ空の狹さを悲しんでゐる間に、何時かこゝまで來て居たのである。淨域を穢した物忌みにこもつてゐる身、と言ふことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあつたのであらう。門の閾から、伸び上るやうにして、山の際(ハ)の空を見入つて居た。
暫らくおだやんで居た嵐が、又山につたらしい。だが、寺は物音もない黄昏(タソガレ)だ。
男嶽(ヲノカミ)と女嶽(メノカミ)との間になだれをなした大きな曲線(タワ)が、又次第に兩方へ聳(ソヽ)つて行つてゐる、此二つの峰の間(アヒダ)の廣い空際(ソラギハ)。薄れかゝつた茜の雲が、急に輝き出して、白銀(ハクギン)の炎をあげて來る。山の間(マ)に充滿して居た夕闇は、光りに照されて、紫だつて動きはじめた。
さうして暫らくは、外に動くものゝない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。
肌 肩 脇 胸 豐かな姿が、山の尾上(ヲノヘ)の松原の上に現れた。併し、俤に見つゞけた其顏ばかりは、ほの暗かつた。

今すこし著(シル)く み姿顯したまへ――。

郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となつて靉(タナビ)き、次第々々に降(サガ)る樣に見えた。
明るいのは、山際(ギハ)ばかりではなかつた。地上は、砂(イサゴ)の數もよまれるほどである。
しづかに しづかに雲はおりて來る。萬法藏院の香殿?講堂?塔婆樓閣?山門僧房?庫裡、悉く金に、朱に、青に、晝より著(イチジル)く見え、自(ミヅカ)ら光りを發して居た。庭の砂の上にすれ/\に、雲は搖曳して、そこにあり/\と半身を顯した尊者の姿が、手にとる樣に見えた。匂ひやかな笑みを含んだ顏が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉ぢられた目は、此時、姫を認めたやうに、清(スヾ)しく見ひらいた。輕くつぐんだ脣は、この女性(ニヨシヤウ)に向うて、物を告げてゞも居るやうに、ほぐれて見えた。
郎女は尊さに、目の低(タ)れて來る思ひがした。だが、此時を過してはと思ふ一心で、御(ミ)姿から、目をそらさなかつた。
あて人を讃へるものと、思ひこんだあの詞が、又心から迸り出た。

なも 阿彌陀ほとけ。あなたふと 阿彌陀ほとけ。

瞬間に明りが薄れて行つて、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほのぼのと暗くなり、段々に高く、又高く上つて行く。
姫が、目送する間もない程であつた。忽、二上山の山の端(ハ)に溶け入るやうに消えて、まつくらな空ばかりの、たなびく夜になつて居た。

あっし あっし。

足を蹈み、前(サキ)を驅(オ)ふ聲が、耳もとまで近づいて來てゐた。

        十八

當麻の邑は、此頃、一本の草、一塊(ヒトクレ)の石すら、光りを持つほど、賑ひ充ちて居る。
當麻眞人家(タギマノマヒトケ)の氏神當麻彦(タギマヒコ)の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏ノ上の拜禮があつた。故上總守老(オユ)ノ眞人以來、暫らく絶えて居たことである。
其上、まう二三日に迫つた八月(ハツキ)の朔日(ツイタチ)には、奈良の宮から、勅使が來向はれる筈になつて居た。當麻氏から出られた大夫人(ダイフジン)のお生み申された宮の御代に、あらたまることになつたからである。
廬堂の中は、前よりは更に狹くなつて居た。郎女が、奈良の御館からとり寄せた高機(タカハタ)を、設(タ)てたからである。機織りに長けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。此女らの動かして見せる筬(ヲサ)や梭(ヒ)の扱ひ方を、姫はすぐに會得(ヱトク)した。機に上つて日ねもす、時には終夜(ヨモスガラ)、織つて見るけれど、蓮の絲は、すぐに圓(ツブ)になつたり、斷(キ)れたりした。其でも、倦まずにさへ織つて居れば、何時か織りあがるもの、と信じてゐる樣に、脇目からは見えた。
乳母は、人に見せた事のない憂はしげな顏を、此頃よくしてゐる。

何しろ、唐土(モロコシ)でも、天竺から渡つた物より手に入らぬ、といふ藕絲織(ハスイトオ)りを遊ばさう、と言ふのぢやものなう。

話相手にもしなかつた若い者たちに、時々うつかりと、こんな事を、言ふ樣になつた。

かう絲が無駄になつては。
今の間にどし/″\績(ウ)んで置かいでは―。

乳母(チオモ)の語に、若人たちは又、廣々とした野や田の面におり立つことを思うて、心がさわだつた。
さうして、女たちの刈りとつた蓮積み車が、廬に戻つて來ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、當麻の邑の騷ぎの噂である。

郎女樣のお從兄(イトコ)惠美の若子(ワクゴ)さまのお母(ハラ)樣も、當麻ノ眞人のお出(デ)ぢやげな――。
惠美の御館(ミタチ)の叔父君の世界、見るやうな世になつた。
兄御を、帥の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、大師(タイシ)の、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあらうなう――。

あて人に仕へて居ても、女はうつかりすると、人の評判に時を移した。

やめい やめい。お耳ざはりぞ。

しまひには、乳母が叱りに出た。だが、身狹刀自(ムサノトジ)自身のうちにも、もだ/″\と咽喉につまつた物のある感じが、殘らずには居なかつた。さうして、そんなことにかまけることなく、何の訣やら知れぬが、一心に絲を績(ウ)み、機を織つて居る育ての姫が、いとほしくてたまらぬのであつた。
晝の中多く出た虻は、潜んでしまつたが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して來る。日中の興奮で、皆は正體もなく寢た。身狹までが、姫の起き明す燈の明りを避けて、隅の物陰に、深い鼾を立てはじめた。
郎女は、斷(キ)れては織り、織つては斷れ、手がだるくなつてもまだ梭(ヒ)を放さうともせぬ。
だが、此頃の姫の心は、滿ち足らうて居た。あれほど、夜々(ヨルヽヽ)見て居た俤人(オモカゲビト)の姿も見ずに、安らかな氣持ちが續いてゐるのである。
「此機を織りあげて、はやうあの素肌のお身を、掩うてあげたい。」
其ばかり考へて居る。世の中になし遂げられぬものゝあると言ふことを、あて人は知らぬのであつた。

ちよう ちよう はた はた。
はた はた ちよう……。

筬を流れるやうに、手もとにくり寄せられる絲が、動かなくなつた。引いても扱(コ)いても通らぬ。筬の齒が幾枚も毀(コボ)れて、絲筋の上にかゝつて居るのが見える。
郎女は、溜め息をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。

どうしたら、よいのだらう。

姫ははじめて、顏へ偏(カタヨ)つてかゝつて來る髮のうるさゝを感じた。筬の櫛目を覗いて見た。梭もはたいて見た。

あゝ、何時になつたら、したてた衣(コロモ)をお肌へふくよかにお貸し申すことが出來よう。

もう外の叢で鳴き出した、蟋蟀の聲を、瞬間思ひ浮べて居た。

どれ、およこし遊ばされ。かう直せば、動かぬこともおざるまい――。

どうやら聞いた氣のする聲が、機の外にした。
あて人の姫は、何處から來た人とも疑はなかつた。唯、さうした好意ある人を、豫想して居た時なので、

見てたもれ。

機をおりた。
女は、尼であつた。髮を切つて尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあつたが、剃髮した尼には會うたことのない姫であつた。

はた はた ちよう ちよう。

元の通りの音が、整つて出て來た。

蓮の絲は、かう言ふ風では、織れるものではおざりませぬ。もつと寄つて御覽じ――。これかう――おわかりかえ。

當麻語部ノ姥の聲である。だが、そんなことは、郎女の心には、問題でもなかつた。

おわかりなさるかえ。これかう――。

姫の心は、こだまの如く聰(サト)くなつて居た。此才伎(テワザ)の經緯(ユキタテ)は、すぐ呑み込まれた。

織つてごらうじませ。

姫が、高機に代つて入ると、尼は機陰に身を倚せて立つ。

はた はた ゆら ゆら。

音までが、變つて澄み上つた。

女鳥(メトリ)の わがおほきみの織(オロ)す機。誰(タ)が爲(タ)ねろかも――、御存じ及びでおざりませうなう。昔、かう、機殿(ハタドノ)のからのぞきこうで、問はれたお方樣がおざりましたつけ。――その時、その貴い女性(ニヨシヤウ)がの、
たか行くや 隼別(ハヤブサワケ)の御被服料(ミオスヒガネ)――さうお答へなされたとなう。
この中(ヂユウ)申し上げた滋賀津彦(シガツヒコ)は、やはり隼別でもおざりました。天若日子(アメワカヒコ)でもおざりました。天(テン)の日(ヒ)に矢を射かける――。
併し、極みなく美しいお人でおざりましたがよ。截(キ)りはたり ちようちよう。それ―、早く織らねば、やがて、岩牀の凍る冷い冬がまゐりますがよ――。

郎女は、ふつと覺めた。あぐね果てゝ、機の上にとろ/\とした間の夢だつたのである。だが、梭をとり直して見ると、

はた はた ゆら ゆら。ゆら はたゝ。

美しい織物が、筬の目から迸る。

はた はた ゆら ゆら。

思ひつめてまどろんでゐる中に、郎女の智慧が、一つの閾を越えたのである。

        十九

望の夜の月が冴えて居た。若人たちは、今日、郎女の織りあげた一反(ヒトムラ)の上帛(ハタ)を、夜の更けるのも忘れて、見讃(ミハヤ)して居た。

この月の光りを受けた美しさ。
(カドリ)のやうで、韓織(カラオリ)のやうで、――やつぱり、此より外にはない、清らかな上帛(ハタ)ぢや。

乳母も、遠くなつた眼をすがめながら、譬へやうのない美しさと、づゝしりとした手あたりを、若い者のやうに樂しんでは、撫でまはして居た。二度目の機は、初めの日數の半(ナカラ)であがつた。三反(ミムラ)の上帛(ハタ)を織りあげて、姫の心には、新しい不安が頭をあげて來た。五反(イツムラ)目を織りきると、機に上ることをやめた。さうして、日も夜も、針を動した。
長月の空は、三日の月のほのめき出したのさへ、寒く眺められる。この夜寒に、俤人の肩の白さを思ふだけでも、堪へられなかつた。
裁ち縫ふわざは、あて人の子のする事ではなかつた。唯、他人(ヒト)の手に觸れさせたくない。かう思ふ心から、解いては縫ひ、縫うてはほどきした。現(ウツ)し世(ヨ)の幾人にも當る大きなお身に合ふ衣を、縫ふすべを知らなかつた。せつかく織り上げた上帛(ハタ)を、裁(タ)つたり截(キ)つたり、段々布は狹くなつて行く。
女たちも、唯姫の手わざを見て居るほかはなかつた。何を縫ふものとも考へ當らぬ囁きに、日を暮すばかりである。
其上、日に増し、外は冷えて來る。人々は一日も早く、奈良の御館に歸ることを願ふばかりになつた。郎女は、暖かい晝、薄暗い廬の中で、うつとりとしてゐた。その時、語部(カタリ)の尼が歩み寄つて來るのを、又まざ/″\と見たのである。

何を思案遊ばす。壁代(カベシロ)の樣に縱横に裁ちついで、其まゝ身に纒ふやうになさる外はおざらぬ。それ、こゝに紐をつけて、肩の上でくゝりあはせれば、晝は衣になりませう。紐を解き敷いて、折り返し被(カブ)れば、やがて夜の衾(フスマ)にもなりまする。天竺の行人(ギヤウニン)たちの著る僧伽梨(ソウギヤリ)と言ふのが、其でおざりまする。早くお縫ひあそばされ。

だが、氣がつくと、やはり晝の夢を見て居たのだ。裁ちきつた布を綴り合せて縫ひ初めると、二日もたゝぬ間に、大きな一面の綴りの上帛(ハタ)が出來あがつた。

郎女樣は、月ごろかゝつて、唯の壁代をお織りなされた。
あつたら、惜しやの。

はりが拔けたやうに、若人(ワカウド)たちが聲を落して言うて居る時、姫は悲しみながら、次の營みを考へて居た。
「これでは、あまり寒々としてゐる。殯(モガリ)の庭の棺(ヒツギ)にかけるひしきもの―喪氈―、とやら言ふものと、見た目にかはりはあるまい。」

        二十

もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。獨り語りの物語りなどに、信(シン)をうちこんで聽く者のある筈はなかつた。聞く人のない森の中などで、よく、つぶ/\と物言ふ者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも笑ひ咄のやうに言はれるやうな世の中になつて居た。當麻語部(タギマノカタリベ)の嫗なども、都の上(ジヤウラウ)の、もの疑ひせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽違つた氏の語部なるが故に、追ひ退(ノ)けられたのであつた。
さう言ふ聽きてを見あてた刹那に、持つた執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又廬堂(イホリダウ)に近い木立ちの陰でも、或は其處を見おろす山の上からでも、郎女に向つてする、ひとり語りは續けられて居た。
今年八月、當麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再己(オノ)が世が來た、とほくそ笑みをした――が、氏の神祭りにも、語部(カタリベ)を請(シヤウ)じて、神語りを語らさうともせられなかつた。ひきついであつた、勅使の參向の節にも、呼び出されて、當麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た豫期(アラマシ)も、空頼みになつた。
此はもう、自身や、自身の祖(オヤ)たちが、長く覺え傳へ、語りついで來た間、かうした事に行き逢はうとは考へもつかなかつた時代(トキヨ)が來たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に追放(ヤラ)はれてゐる氣がして、唯驚くばかりであつた。娯しみを失ひきつた語部(カタリベ)の古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまつた。水を飮んでも、口をついて、獨り語りが囈語(ウハゴト)のやうに出るばかりになつた。
秋深くなるにつれて、衰への、目立つて來た姥は、知る限りの物語りを、喋りつゞけて死なう、と言ふ腹をきめた。さうして、郎女の耳に近い處を、ところをと覓めて、さまよひ歩くやうになつた。

郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の彩色(ヱノグ)の數々を思ひ出した。其を思ひついたのは、夜であつた。今から、横佩墻内へ馳けつけて、彩色(ヱノグ)を持つて還れ、と命ぜられたのは、女の中に、唯一人殘つて居た長老(オトナ)である。つひしか、こんな言ひつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちは復、何か事の起るのではないか、とおど/″\して居た。だが、身狹乳母(ムサノチオモ)の計ひで、長老(オトナ)は澁々、夜道を、奈良へ向つて急いだ。あくる日、繪具(ヱノグ)の屆けられた時、姫の聲ははなやいで、興奮(ハヤ)りかに響いた。
女たちの噂して居た、袈裟で謂へば、五十條の大衣(ダイエ)とも言ふべき、藕絲(グウシ)の上帛の上に、郎女の目はぢつとすわつて居た。やがて筆は、愉しげにとり上げられた。線描(スミガ)きなしに、うちつけに繪具(ヱノグ)を塗り進めた。美しい彩畫(タミヱ)は、七色八色の虹のやうに、郎女の目の前に、輝き増して行く。
姫は、緑青を盛つて、層々うち重る樓閣伽藍の屋根を表した。數多い柱や、廊の立ち續く姿が、目赫(メカヾヤ)くばかり、朱で彩(タ)みあげられた。むら/\と靉くものは、紺青(コンジヤウ)の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、畫(カ)きおろされた。雲の上には金泥(コンデイ)の光り輝く靄が、漂ひはじめた。姫の命を搾るまでの念力が、筆のまゝに動いて居る。やがて金色(コンジキ)の雲氣(ウンキ)は、次第に凝り成して、照り充ちた色身(シキシン)――現(ウツ)し世の人とも見えぬ尊い姿が顯れた。
郎女は唯、先(サキ)の日見た、萬法藏院の夕(ユフベ)の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂?塔伽藍すべては、當麻のみ寺のありの姿であつた。だが、彩畫(タミヱ)の上に湧き上つた宮殿(クウデン)樓閣は、兜率天宮(トソツテングウ)のたゝずまひさながらであつた。しかも、其四十九重(シジフクヂウ)の寶宮の内院(ナイヰン)に現れた尊者の相好(サウガウ)は、あの夕、近々と目に見た俤びとの姿を、心に覓(ト)めて描き顯したばかりであつた。
刀自?若人たちは、一刻々々、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて來る光りの霞に、唯見呆(ホヽ)けて居るばかりであつた。
郎女(イラツメ)が、筆をおいて、にこやかな笑(ヱマ)ひを、圓(マロ)く跪坐(ツイヰ)る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立去つた刹那、心づく者は一人もなかつたのである。まして、戸口に消える際(キハ)に、ふりかへつた姫の輝くやうな頬のうへに、細く傳ふものゝあつたのを知る者の、ある訣はなかつた。

姫の俤びとに貸す爲の衣に描いた繪樣(ヱヤウ)は、そのまゝ曼陀羅の相(スガタ)を具へて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身(シキシン)の幻を描いたに過ぎなかつた。併し、殘された刀自?若人たちの、うち瞻(マモ)る畫面には、見る/\數千地涌(スセンヂユ)の菩薩の姿が、浮き出て來た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢(ハクジツム)のたぐひかも知れぬ。





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底本:「死者の書」角川書店
   1947(昭和22)年7月1日発行
※踊り字(/\、/″\)の誤用は底本の通りとしました。
※底本の誤植が疑われる箇所がありますが底本通りにしました。該当箇所の一覧を以下に記載します。(数字は、底本のページと行数です)
○p13-11 ほつとりと→「折口信夫全集第廿四卷昭和58年3月25日新訂第3版(以下「全集」と書きます)では「ほつとり」。
○p18-2 唯ノ關と言ふ→底本第2刷、「全集」では「ノ」はない。
○p21-10 役君小角(エノキミヲヅカ)→「全集」では「ヲヅヌ」。
○p24-1 弔りさげた、p48-11 横(ヨコタ)へて弔る→「全集」では「吊」。
○p30-6~10 「とぶとり~立ちました。」→「全集」では1字下げ。
○p34-3 尊い女性(ニシヨウ)→「全集」では「ニヨシヤウ」。
○p36-12 思ひ出しだぞ→「全集」では「思ひ出したぞ」。
○p41-4 盧(イホリ)、p103-4 盧堂(イホリドウ)→これ以外は「廬」。「全集」ではすべて「廬」。
○p42-2 古姥(フルウバ)の爲に 我々は→「全集」では「古姥(フルウバ)の爲に、我々は」。
○p43-12 美(ウルハ)はしい→「全集」では「美(ウルハ)しい」。
○p50-8 と言ふ者が著しく、殖えて來たのである。→「全集」では「と言ふ者が、著しく殖えて來たのである。」。
○p61-2 御(ミ)堂?々々を→「全集」では「御堂々々を」。
○p69-12、p72-1 捧術(ホコユケ)→「全集」では「棒術」。
○p70-3 大勢(オホセイ)→「全集」では「オホゼイ」。
○p87-3 貴(アデ)びと→「全集」では「テ」。
○p88-1 時疫(シエキ)→「全集」では「じえき」。「広辞苑」でも「じえき」。
○p89-11 老女(トシ)→「全集」では「トジ」。
○p100-5 其が幾かせ。→「全集」では「、」。
○p116-4 嘯(ウソフ)く→「全集」では「ブ」となっているように見えます。
○p121-8 訣やぢあ→「全集」では「ぢやあ」。
○p133-1 蠱物姥(マヂモノウバ)(p131-9では蠱物(マジモノ)使ひ)。
○p137-6 汝等の主の女郎→「全集」では「郎女」。
○p140-8 上(ジヤウラウ)→「全集」では「ジヤウラフ」。
○p163-10_11 堂?塔伽藍すべては、→「全集」では「堂?塔?伽藍すべては、」。
○乾聲(カラゴエ)鋭聲(トゴエ)聲(コヱ)→「エ」と「ヱ」の混在。
※「蓮」は底本では、「二点しんにょう+(くさかんむり/車)」、「喉」は底本では、つくりの「ユ」が「エ」となっています。これらの差異を、JIS X 0208規格票「6.6.2 字体の実現としての字形」に言う、「デザイン差」とみてよいか判断が付かなかったので、本文は「蓮」「喉」で入力した上で、その旨をここに記載します。
※訓点送り仮名は、以下の場合に小書き右寄せになっており、他は全てルビの位置におかれています。
「越中ノ國」
「氏ノ上の拜禮」
「故上総守老(オユ)ノ眞人以來」
「當麻ノ眞人のお出ぢやげな」
「身狹ノ乳母は、今の今まで」
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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死者之书 - 豆瓣

死者之书

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