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Lunar Lunatic
p9『はじめに・回転木馬のデッド・ヒート』
パン屋のリアリティーはパンの中に存在するのであって、小麦粉の中にあるわけではない。

p15『はじめに・回転木馬のデッド・ヒート』
他人の話を聞けば聞くほど、そしてその話を通して人々の生をかいま見れば見るほど、我々はある種の無力感にとらわれていくことになる。おりはその無力感のことである。我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。我々は我々自身をはめ込むことのできる我々の人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。どこにも行かないし、降りることも乗り換えることもできない。誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートを繰り広げているように見える。

p35『レーダーホーゼン』
 「じゃあ、どうしてお母さんはその三十分の間に離婚する決心ができたんだろう?」
 「それは母親自身にもずっとわからなかった...
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p9『はじめに・回転木馬のデッド・ヒート』
パン屋のリアリティーはパンの中に存在するのであって、小麦粉の中にあるわけではない。

p15『はじめに・回転木馬のデッド・ヒート』
他人の話を聞けば聞くほど、そしてその話を通して人々の生をかいま見れば見るほど、我々はある種の無力感にとらわれていくことになる。おりはその無力感のことである。我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。我々は我々自身をはめ込むことのできる我々の人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。どこにも行かないし、降りることも乗り換えることもできない。誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートを繰り広げているように見える。

p35『レーダーホーゼン』
 「じゃあ、どうしてお母さんはその三十分の間に離婚する決心ができたんだろう?」
 「それは母親自身にもずっとわからなかったの。それで母もひどく混乱していたのね。母にわかることは、そのレーダーホーゼンを履いた男をじっと見ているうちに父親に対する耐え難いほどの嫌悪感が体の芯から泡のように湧き起こってきたということだけなの。彼女にはそれをどうすることもできなかったの。その人はーーそのレーダーホーゼンをはいてくれた男の人はーー肌の色を別にすれば、うちの父親と本当にそっくりの体型をしていたの。脚のかたちやら、お腹のかたちやら。髪の薄くなり具合までね。そしてその人が新しいレーダーホーゼンをはいていかにも楽しそうに体をゆすって笑っていたの。母はその人の姿を見ているうちに自分の中でこれまで漠然としていた一つの思いが少しずつ明確になり固まっていくのを感じることができたの。そして母は自分がどれほど激しく夫を憎んでいるかということをはじめて知ったのよ」

p36『レーダーホーゼン』
 「それでもしーーもし、さっきの話から半ズボンの部分を抜きにして、一人の女性が旅先で自立を獲得するというだけの話だったとしたら、君はお母さんが君を捨てたことを許せただろうか?」
 「駄目ね」と彼女は即座に答えた。「この話のポイントは半ズボンにあるのよ」
 「僕もそう思う」と僕は言った。

p51『タクシーに乗った男』
 「私はその時二十九歳でした。月並な言い方ですが、私の青春はもう終わろうとしていました。私は画家になろうとしてアメリカにやってきて、結局画家にはなれませんでした。私の腕は私の目ほど立派ではありませんでした。私は何ひとつとして自分の腕でものを創り出すことができませんでした。そしてその絵の男は……なんだか私自身の失われてしまった人生の一部であるように思えたんです。私はその絵をアパートの部屋の壁にかけて、毎日毎日眺めて暮らしました。その絵の男を見るたびに、私は自分が失ったものの大きさを思い知らされました。あるいはその小ささをね」

p59『タクシーに乗った男』
 「この話には教訓があります」と彼女は最後に言った。「自分自身の体験によってしか学びとることのできない貴重な教訓です。それはこういうことです。人は何かを消し去ることはできないーー消え去るのを待つしかない、ということです。」

p78『プールサイド』
 ビリー・ジョエルは今度はヴェトナム戦争についての唄を歌っている。妻はまだアイロンをかけ続けている。何一つとして申し分はない。しかし気がついた時、彼は泣いていた。両方の目から熱い涙が次から次へとこぼれ落ちていた。涙は彼の頬をつたって下に落ち、ソファーのクッションにしみを作った。どうして自分が泣いているのか、彼には理解できなかった。泣く理由なんて何一つないはずだった。あるいはそれはビリー・ジョエルの唄のせいかもしれなかったし、アイロンの匂いのせいかもしれなかった。

p80『プールサイド』
 上からじっと見下ろしていると、そのプールは少しずつプールとしての現実感を失いつつあるように僕には感じられた。おそらくプールの水が透明すぎるためだろうと僕は思った。プールの水が必要以上に澄んでいるせいで、水面と水底との間に空白の部分が生じているように見えるのだ。プールでは二人の若い女と一人の中年の男が泳いでいたが、彼らは泳いでいるというよりは、まるでその空白の上を静かに滑っているかのようだった。プールサイドには白く塗られた監視台があり、体格の良い若い監視員が退屈そうにプールの水面をぼんやりと眺めていた。

p90『今は亡き王女のための』
ずっと昔、高校生の頃に英語の教科書で「春に捉えられて」arrested in a springtimeというフレーズを読んだことがあるけれど、彼女の微笑みはちょうどそんな感じだった。一体誰に暖かな春の陽だまりを批評することができるだろう。

p91『今は亡き王女のための』
甘やかされたり小遣い銭を与えられたりという程度のことは子供がスポイルされるための決定的な要因ではない。一番重要なことは周りの大人たちの成熟し屈曲した様々な感情の放射から子供を守る責任を誰が引き受けるかというところにある。誰もがその責任から尻込みしたり、子供に対してみんながいい顔をしたがる時、その子供は確実にスポイルされることになる。まるで夏の砂浜で強い紫外線に裸身を晒すように、彼らの柔らかな生まれたばかりのエゴは取り返しのつかないまでの損傷を受けることになる。それが結局はいちばんの問題なのだ。甘やかされたりふんだんに金を与えられたりというのは、あくまでそれに付随する副次的な要素に過ぎない。

p95『今は亡き王女のための』
アパートの近くを高速道路が走っていて、そこを行き来する深夜トラックの押しつぶされたように偏平なタイヤ音が、薄いガラス窓の向こうから部屋の空気をかすかに揺らせ、何人かの男女の寝息と軽いいびきがそれには入り混じっていた。そして夜中に他人の部屋で目を覚ました大抵の人間が考えるのと同じように、僕も<俺は一体こんなところで何をしているのだ>と考えた。本当に何の意味もない、全くのゼロなのだ。

p122『嘔吐 1979』
精神科の医者は僕のことをほとんど相手にしてくれませんでした。連中はもっとはっきりとした症状の出る患者しか相手にしないんです。僕程度の症状の人は満員の山手線の車両1両につき2・5人から3人くらいはいるんだそうで、そういうのをいちいち相手にしている余裕というものは病院にはないんだそうです。

p123『嘔吐 1979』
しかしご存知かもしれませんが、警察が相手にしない犯罪が世の中に二つあります。一つはいたずら電話で、一つは自転車泥棒です。

p135『雨やどり』
 しかし歳をとり、それなりに成熟するに従って、我々は人生全般に対してもっと別の見方をするようになる。つまり我々の存在あるいは実在は様々な種類の側面をかき集めて成立しているのではなく、あくまで分離不可能な総体なのだ、という見方である。つまり我々は働いて収入を得たり、好きな本を読んだり、選挙の投票をしたり、ナイターを見に行ったり、女と寝たりするそれぞれの作業は一つ一つが独立して機能しているわけではなく、結局は同じ一つのものが違った名称で呼ばれているに過ぎないということなのである。だから性生活の経済的側面が経済生活の性的側面であったり、というのも十分にあり得るのだ。

p144『雨やどり』
要するに彼女にとって僕という人間は記号的な——もう少し好意的に言えば祝祭的・儀式的な——存在にすぎないのだ。僕という存在は彼女が日常的平面として捉えている世界には本当の意味では属していないのだ。そう考えると僕は何かしら不思議な気持ちになった。

p170『野球場』
外野のフェンスのちょっと上の、ちょうどライトとセンターの中間のあたりに、彼女のアパートの灯が見えました。そういう風に見ていると、僕はいろんな人々の日々の営みに対して、幾分優しい気持ちになることができました。そしてこれでいいんだと思いました。

p175『野球場』
 「うまく説明できないんですが、覗き見をすることによって、人は分裂的な傾向に陥るんじゃないかと僕は思うんです。あるいは拡大することによってと言ったほうがいいかもしれませんけどね。つまりこういうことです。僕の望遠レンズの中で、彼女は二つに分かれるんです。彼女の体と彼女の行為にです。もちろん通常の世界では体が動くことによって行為は生じます。そうですよね?でも拡大された世界ではそうじゃないんです。彼女の体は彼女の体であり、彼女の行為は彼女の行為です。じっと見ていると、彼女の体はただ単にそこにあり、彼女の行為はそのフレームの外側からやってくるような気がしてくるんです。そうすると彼女は一体何か、と考え始めるんです。行為は彼女なのか、あるいは体は彼女なのか?そしてその真ん中がすっぽり欠落しちゃうんです。それにはっきり言って、体から見ても行為から見てもそういうふうに断片的に見ている限り人間存在というのは決して魅力的なものではありません」

p178『野球場』
僕は時々夜になると窓辺に座って野球場の向こうに見える彼女のアパートの小さな灯りを眺めて、ぼんやりと時間を過ごしました。小さな灯というのはとてもいいもんです。僕は飛行機の窓から夜の地上を見下ろすたびにそう思います。小さな灯というものはなんて美しくて暖かいんだろうってね。

p191『ハンティング・ナイフ』
彼女のそんな太り方は、僕に何かしら宿命的なものを想起させた。世の中に存在するあらゆる傾向は全て宿命的な病いなのだ。

p208『ハンティング・ナイフ』
 「欠落はより高度な欠落に向かい、過剰はより高度な過剰に向かうというのが、そのシステムに対する僕のテーゼです。ドビッシーが、自分の歌劇の作曲が遅々として進まないことを表して、こんな風に言っています。『私は彼女の作り出すリヤン(無)を追いかけて明けてくれていた』ってね。僕の仕事はいわばリヤン(無)を作り出すことにあるんです。」

p213『ハンティング・ナイフ』
 僕は目につく周りのものをかたっぱしから切り裂きながら、ふと昼間ブイの上であった太った白い女のことを思い出した。彼女の白くむくんだ肉体が、疲弊した雲のように空中に浮かんでいるような気がした。ブイや海や空やヘリコプターが遠近感の失った一つのカオスとして、僕の周りを取り囲んでいた。僕は体のバランスを失わないように気をつけながら、静かにゆっくりと、ナイフを空中に滑らせた。夜の大気は油のように滑らかだった。僕の動くを遮るものは何もなかった。夜は深く、時は柔らかな汁気のある肉体のようだった。
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