『徒然草』日文原版

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2012-07-11 看过
■序段

つれづれなるまゝに、日くらし、硯(スズリ)にむかひて、心に移りゆくよし なし事(ゴト)を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけ れ。

■第一段

いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多(オホ)かンめれ。

御門(ミカド)の御位(オホンクラヰ)は、いともかしこし。竹の園生(ソノフ) の、末葉(スヱバ)まで人間の種(タネ)ならぬぞ、やんごとなき。一の人の御有 様はさらなり、たゞ人(ビト)も、舎人(トネリ)など賜はるきはは、ゆゝしと見 ゆ。その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下( シモ)つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはい みじと思ふらめど、いとくちをし。

法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はる ゝよ」と清少納言(セイセウナゴン)が書けるも、げにさることぞかし。勢(イ キホヒ)まうに、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀聖(ソウガヒ ジリ)の言ひけんやうに、名聞(ミョウモン)ぐるしく、仏の御教(ミオシヘ)に たがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨人(ヨステビト)は、なかなかあらまほ しきかたもありなん。

人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物う ち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向(ム カ)はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えんこそ、口 をしかるべけれ。しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより 賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才(ザエ)なく成りぬ れば、品(シナ)下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこ そ、本意なきわざなれ。

ありたき事は、まことしき文(フミ)の道、作文(サクモン)・和歌(ワカ)・管 絃(クワンゲン)の道。また、有職(イウショク)に公事(クジ)の方、人の鏡なら んこそいみじかるべけれ。手など拙(ツタナ)からず走り書き、声をかしくて拍 子とり、いたましうするものから、下戸(ゲコ)ならぬこそ、男(ヲノコ)はよけ れ。

■第二段

いにしへのひじりの御代(ミヨ)の政(マツリゴト)をも忘れ、民の愁(ウレヘ)、 国のそこなはるゝをも知らず、万(ヨロヅ)にきよらを尽していみじと思ひ、所 せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。

「衣冠(イクワン)より馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗 を求むる事なかれ」とぞ、九条(クデウ)殿の遺誡(ユイカイ)にも侍(ハンベ)る。 順徳院の、禁中(キンチュウ)の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉(タ テマツ)り物は、おろそかなるをもッてよしとす」とこそ侍れ。

■第三段

万(ヨロヅ)にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵( サカヅキ)の当(ソコ)なき心地ぞすべき。

露霜(ツユシモ)にしほたれて、所定めずまどひ歩(アリ)き、親の諫(イサ)め、 世の謗(ソシ)りをつゝむに心の暇(イトマ)なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さ るは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこ そ、あらまほしかるべきわざなれ。

■第四段

後の世(ヨ)の事、心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。

■第五段

不幸(フカウ)に憂(ウレヘ)に沈める人の、頭(カシラ)おろしなどふつゝかに 思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに、門(カド)さしこめて、待つことも なく明(アカ)し暮したる、さるかたにあらまほし。

顕基(アキモト)中納言の言ひけん、配所(ハイショ)の月、罪なくて見ん事、 さも覚えぬべし。

■第六段

わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふもの なくてありなん。

前中書王(サキノチユウシヨワウ)・九条大政大臣(クデウノオホキオトド)・ 花園(ハナゾノノ)左大臣、みな、族(ゾウ)絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣( ソメドノノオトド)も、「子孫おはせぬぞよく侍(ハンベ)る。末のおくれ給へ るは、わろき事なり」とぞ、世継の翁(オキナ)の物語には言へる。聖徳太子の、 御墓(ミハカ)をかねて築(ツ)かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを断て。 子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

■第七段

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部(トリベ)山の煙(ケブリ)立ち去らでのみ住 み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみ じけれ。

命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の 蝉の春秋(ハルアキ)を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ヒトトセ)を暮す ほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(チトセ)を過 (スグ)すとも、一夜(ヒトヨ)の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿 を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱(ハヂ)多し。長くとも、四十(ヨソヂ) に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思 ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末(スヱ)を見んまでの命をあらまし、 ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさまし き。

■第八段

世の人の心惑はす事、色欲(シキヨク)には如(シ)かず。人の心は愚かなるも のかな。

匂(ニホ)ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳(イシヤウ)に薫物(タキモノ) すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米(ク メ)の仙人の、物洗ふ女の脛(ハギ)の白きを見て、通(ツウ)を失ひけんは、ま ことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色な らねば、さもあらんかし。

■第九段

女は、髪のめでたからんこそ、人の目立(メタ)つべかンめれ、人のほど・心 ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、物越しにも知らるれ。

ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけ たる寝ヰもねず、身を惜(ヲ)しとも思ひたらず、堪(タ)ふべくもあらぬわざに もよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。

まことに、愛著(アイヂヤク)の道、その根深く、源(ミナモト)遠し。六塵(ロ クヂン)の楽欲(ゲウヨク)多しといへども、みな厭離(オンリ)しつべし。その 中に、たゞ、かの惑ひのひとつ止(ヤ)めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、 智(チ)あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。

されば、女の髪すぢを縒(ヨ)れる綱には、大象(ダイザウ)もよく繋(ツナ)が れ、女のはける足駄(アシダ)にて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ伝へ 侍る。自ら戒(イマシ)めて、恐るべく、慎むべきは、この惑(マド)ひなり。

■第十段

家居(イヘヰ)のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へ ど、興あるものなれ。

よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみ じみと見ゆるぞかし。今めかしく、きらゝかならねど、木立(コダチ)もの古( フ)りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(スノコ)・透垣(スイガイ) のたよりをかしく、うちある調度(テウド)も昔覚えてやすらかなるこそ、心に くしと見ゆれ。

多くの工(タクミ)の、心を尽(ツク)してみがきたて、唐(カラ)の、大和(ヤマ ト)の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽(センザイ)の草木まで 心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長ら へ住むべき。また、時の間(マ)の烟(ケブリ)ともなりなんとぞ、うち見るより 思はるゝ。大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。

後徳大寺大臣(ゴトクダイジノオトド)の、寝殿(シンデン)に、鳶(トビ)ゐさ せじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かは苦し かるべき。この殿の御心(ミココロ)さばかりにこそ」とて、その後(ノチ)は参 らざりけると聞き侍るに、綾小路宮(アヤノコウヂノミヤ)の、おはします小坂 (コサカ)殿の棟(ムネ)に、いつぞや縄を引かれたりしかば、かの例(タメシ)思 ひ出でられ侍りしに、「まことや、烏(カラス)の群れゐて池の蛙をとりければ、 御覧(ゴラン)じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこ そと覚えしか。徳大寺にも、いかなる故(ユヱ)か侍りけん。

■第十一段

神無月(カミナヅキ)のころ、栗栖野(クルスノ)といふ所を過ぎて、ある山里 に尋ね入(イ)る事侍りしに、遥かなる苔(コケ)の細道を踏み分けて、心ぼそく 住みなしたる庵(イホリ)あり。木の葉に埋(ウヅ)もるゝ懸樋(カケヒ)の雫(シ ヅク)ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚(アカダナ)に菊・紅葉(モミヂ) など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。

かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子( カウジ)の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、 少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。

■第十二段

同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、 うらなく言ひ慰(ナグサ)まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、 つゆ違(タガ)はざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。

たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか 違(タガ)ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎(ニク)み、「さ るから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、 かこつ方(カタ)も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそ あらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔(ヘダ)たる所のありぬべきぞ、わ びしきや。

■第十三段

ひとり、燈(トモシビ)のもとに文(フミ)をひろげて、見ぬ世の人を友とする ぞ、こよなう慰むわざなる。

文は、文選(モンゼン)のあはれなる巻(マキ)々、白氏文集(ハクシノモンジフ)、 老子(ラウシ)のことば、南華(ナンクワ)の篇(ヘン)。この国の博士(ハカセ)ど もの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。

■第十四段

和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ 出(イ)でつればおもしろく、おそろしき猪(ヰ)のししも、「ふす猪の床(トコ) 」と言へば、やさしくなりぬ。

この比(ゴロ)の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古 き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外(ホカ)に、あはれに、けしき覚ゆ るはなし。貫之(ツラユキ)が、「糸による物ならなくに」といへるは、古今集 (コキンシフ)の中の歌屑(ウタクヅ)とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠み ぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・ことば、このたぐひのみ多 し。この歌に限りてかく言いたてられたるも、知り難(ガタ)し。源氏物語には、 「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」とい へる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。されど、 この歌も、衆議判(シュギハン)の時、よろしきよし沙汰(サタ)ありて、後にも、 ことさらに感じ、仰(オホ)せ下されけるよし、家長(イヘナガ)が日記には書け り。

歌の道のみいにしへに変らぬなどいふ事もあれど、いさや。今も詠(ヨ)みあ へる同じ詞(コトバ)・歌枕も、昔の人の詠めるは、さらに、同じものにあらず、 やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。

梁塵秘抄(リヤウジンヒセウ)の郢曲(エイキヨク)の言葉こそ、また、あはれ なる事は多かンめれ。昔の人は、たゞ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、 いみじく聞ゆるにや。

■第十五段

いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地(ココチ)すれ。

そのわたり、こゝ・かしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目 慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文やる、「その事、かの事、便宜(ビ ンギ)に忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。

さやうの所にてこそ、万(ヨロヅ)に心づかひせらるれ。持てる調度(テウド) まで、よきはよく、能(ノウ)ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ 見ゆれ。

寺・社(ヤシロ)などに忍びて籠(コモ)りたるもをかし。

■第十六段

神楽(カグラ)こそ、なまめかしく、おもしろけれ。

おほかた、ものの音(ネ)には、笛・篳篥(ヒチリキ)。常に聞きたきは、琵琶( ビハ)・和琴(ワゴン)。

■第十七段

山寺にかきこもりて、仏に仕(ツカ)うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁 りも清まる心地すれ。

■第十八段

人は、己(オノ)れをつゞまやかにし、奢(オゴ)りを退(シリソ)けて、財(タカ ラ)を持たず、世を貪(ムサボ)らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人 の富めるは稀(マレ)なり。

唐土(モロコシ)に許由(キヨイウ)といひける人は、さらに、身にしたがへる 貯(タクハ)へもなくて、水をも手して捧(ササ)げて飲みけるを見て、なりひさ こといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝(エダ)に懸(カ)けたりけ るが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬(ムス) びてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨(ソンシン)は、 冬の月に衾(フスマ)なくて、藁一束(ワラヒトツカ)ありけるを、夕べにはこれ に臥(フ)し、朝(アシタ)には収(ヲサ)めけり。

唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記(シル)し止(トド)めて世にも伝 へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

■第十九段

折節(ヲリフシ)の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。

「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものに て、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあンめれ。鳥の声なども ことの外(ホカ)に春めきて、のどやかなる日影に、墻根(カキネ)の草萌(モ)え 出(イ)づるころより、やゝ春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつ ほどこそあれ、折(ヲリ)しも、雨・風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎ ぬ、青葉になりゆくまで、万(ヨロズ)に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘(ハ ナタチバナ)は名にこそ負(オ)へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古(イニシヘ)の事 も、立ちかへり恋(コヒ)しう思ひ出でらるゝ。山吹(ヤマブキ)の清げに、藤の おぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。

「灌仏(クワンブツ)の比(コロ)、祭(マツリ)の比(コロ)、若葉の、梢(コズヱ) 涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せ られしこそ、げにさるものなれ。五月(サツキ)、菖蒲(アヤメ)ふく比、早苗( サナヘ)とる比、水鶏(クヒナ)の叩(タタ)くなど、心ぼそからぬかは。六月(ミ ナヅキ)の比、あやしき家に夕顔(ユウガホ)の白く見えて、蚊遣火(カヤリビ) ふすぶるも、あはれなり。六月祓(ミナヅキバラヘ)、またをかし。

七夕(タナバタ)祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒(ヨサム)になるほど、 雁(カリ)鳴きてくる比、萩(ハギ)の下葉(シタバ)色づくほど、早稲田(ワサダ) 刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分(ノワキ)の朝 (アシタ)こそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと 古(フ)りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき 事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、か つ破(ヤ)り捨(ス)つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

さて、冬枯(フユガレ)のけしきこそ、秋にはをさをさ劣(オト)るまじけれ。 汀(ミギハ)の草に紅葉(モミヂ)の散り止(トドマ)りて、霜いと白うおける朝( アシタ)、遣水(ヤリミヅ)より烟(ケブリ)の立つこそをかしけれ。年の暮れ果( ハ)てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきもの にして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日(ハツカ)余りの空こそ、心ぼそき ものなれ。御仏名(オブツミヤウ)、荷前(ノサキ)の使(ツカヒ)立つなどぞ、あ はれにやんごとなき。公事(クジ)ども繁(シゲ)く、春の急ぎにとり重ねて催( モヨホ)し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺(ツヰナ)より四方拝(シホウハイ) に続くこそ面白(オモシロ)けれ。晦日(ツゴモリ)の夜(ヨ)、いたう闇(クラ)き に、松どもともして、夜半(ヨナカ)過ぐるまで、人の、門(カド)叩き、走りあ りきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空に惑(マド)ふが、 暁(アカツキ)がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。 亡(ナ)き人のくる夜とて魂(タマ)祭るわざは、このごろ都にはなきを、東(ア ヅマ)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづら しき心地ぞする。大路(オホチ)のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげ なるこそ、またあはれなれ。

■第二十段

某(ナニガシ)とかやいひし世捨人(ヨステビト)の、「この世のほだし持たら ぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬ べけれ。

■第二十一段

万(ヨロヅ)のことは、月見るにこそ、慰むものなれ。ある人の、「月ばかり 面白きものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露(ツユ)こそなほあはれな れ」と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。

月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るゝ 水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ)。「〓(ゲン)・湘(シヤウ)、日夜( ニチヤ)、東(ヒンガシ)に流れ去る。愁人(シウジン)のために止まること少時( シバラク)もせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。〓康(ケイカ ウ)も、「山沢(サンタク)に遊びて、魚鳥(ギヨテウ)を見れば、心楽しぶ」と 言へり。人遠く、水草(ミヅクサ)清き所にさまよひありきたるばかり、心慰む ことはあらじ。

■第二十二段

何事も、古き世のみぞ慕(シタ)はしき。今様(イマヤウ)は、無下(ムゲ)にい やしくこそなりゆくめれ。かの木(キ)の道の匠(タクミ)の造れる、うつくしき 器物(ウツハモノ)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

文(フミ)の詞(コトバ)などぞ、昔の反古(ホウゴ)どもはいみじき。たゞ言ふ 言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古(イニシヘ)は、「車もたげよ」、 「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様(イマヤウ)の人は、「もてあげよ」、「 かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数立(トノモレウニンジユタ)て」と言ふべき を、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝講(サイシヤウカウ)の御聴聞所( ミチヤウモンジヨ)なるをば「御講(ゴカウ)の廬(ロ)」とこそ言ふを、「講廬( カウロ)」と言ふ。口をしとぞ、古き人は仰せられし。

■第二十三段

衰(オトロ)へたる末(スヱ)の世とはいへど、なほ、九重(ココノヘ)の神(カム) さびたる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。

露台(ロダイ)・朝餉(アサガレヒ)・何殿(ナニデン)・何門(ナニモン)などは、 いみじとも聞ゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀(コジトミ)・小板敷(コ イタジキ)・高遣戸(タカヤリド)なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣(ヂン)に 夜(ヨ)の設(マウケ)せよ」と言ふこそいみじけれ。夜の御殿(オトド)のをば、 「かいともしとうよ」など言ふ、まためでたし。上卿(シヤウケイ)の、陣にて 事,行(オコナ)へるさまはさらなり、諸司(シヨシ)の下人(シモウド)どもの、 したり顔に馴れたるも、をかし。さばかり寒き夜もすがら、こゝ・かしこに睡 (ネブ)り居たるこそをかしけれ。「内侍所(ナイシドコロ)の御鈴(ミスズ)の音 は、めでたく、優(イウ)なるものなり」とぞ、徳大寺太政大臣(トクダイジノ オホキオトド)は仰(オホ)せられける。

■第二十四段

斎宮(サイグウ)の、野宮(ノノミヤ)におはしますありさまこそ、やさしく、 面白き事の限りとは覚えしか。「経(キヤウ)」「仏(ホトケ)」など忌(イ)みて、 「なかご」「染紙(ソメガミ)」など言ふなるもをかし。

すべて、神の社(ヤシロ)こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの古( フ)りたる森のけしきもたゞならぬに、玉垣(タマガキ)しわたして、榊(サカキ) に木綿(ユフ)懸(カ)けたるなど、いみじからぬかは。殊(コト)にをかしきは、 伊勢・賀茂(カモ)・春日(カスガ)・平野・住吉(スミヨシ)・三輪(ミワ)・貴布 禰(キブネ)・吉田・大原野(オホハラノ)・松尾(マツノヲ)・梅宮(ウメノミヤ)。

■第二十五段

飛鳥川(アスカガハ)の淵瀬(フチセ)常(ツネ)ならぬ世にしあれば、時移り、 事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野(ノ) らとなり、変らぬ住家(スミカ)は人,改(アラタ)まりぬ。桃李(タウリ)もの言 はねば、誰(タレ)とともにか昔を語らん。まして、見ぬ古(イニシヘ)のやんご となかりけん跡のみぞ、いとはかなき。

京極殿(キヤウゴクドノ)・法成寺(ホフジヤウジ)など見るこそ、志(ココロザ シ)留まり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂(ミダウ)殿の作り磨(ミガ) かせ給ひて、庄園(シヤウヱン)多く寄せられ、我(ワ)が御族(オホンゾウ)のみ、 御門(ミカド)の御後見(オホンウシロミ)、世の固めにて、行末(ユクスヱ)まで とおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。 大門(ダイモン)・金堂(コンダウ)など近くまでありしかど、正和(シヤウワ)の 比(コロ)、南門(ナンモン)は焼けぬ。金堂は、その後、倒(タフ)れ伏したるま ゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院(ムリヤウジユヰン)ばかりぞ、その 形(カタ)とて残りたる。丈六(ヂヤウロク)の仏,九体(クタイ)、いと尊(タフト) くて並びおはします。行成(カウゼイノ)大納言の額(ガク)、兼行(カネユキ)が 書ける扉、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華堂(ホツケダウ)なども、未( イマ)だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき 所々は、おのづから、あやしき礎(イシズヱ)ばかり残るもあれど、さだかに知 れる人もなし。

されば、万に、見ざらん世までを思ひ掟(オキ)てんこそ、はかなかるべけれ。

■第二十六段

風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月(トシツキ)を思へば、 あはれと聞きし言(コト)の葉(ハ)ごとに忘れぬものから、我が世の外(ホカ)に なりゆくならひこそ、亡(ナ)き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。

されば、白き糸の染(ソ)まんことを悲しび、路(ミチ)のちまたの分れんこと を嘆く人もありけんかし。堀川院(ホリカハノヰン)の百首の歌の中に、

昔見し妹(イモ)が墻根(カキネ)は荒れにけりつばなまじりの菫(スミレ)のみ して

さびしきけしき、さる事侍りけん。

■第二十七段

御国譲(ミクニユヅ)りの節会(セチヱ)行はれて、剣・璽(ジ)・内侍所(ナイイ シドコロ)渡し奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。

新院(シンヰン)の、おりゐさせ給ひての春、詠(ヨ)ませ給ひけるとかや。

殿守(トノモリ)のとものみやつこよそにして掃(ハラ)はぬ庭に花ぞ散りしく

今の世のこと繁(シゲ)きにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。 かゝる折(ヲリ)にぞ、人の心もあらはれぬべき。

■第二十八段

諒闇(リヤウアン)の年ばかり、あはれなることはあらじ。

倚廬(イロ)の御所(ゴショ)のさまなど、板敷(イタジキ)を下げ、葦(アシ)の 御簾(ミス)を掛けて、布の帽額(モカウ)あらあらしく、御調度(ミテウド)ども おろそかに、皆人(ミナヒト)の装束(シヤウゾク)・太刀(タチ)・平緒(ヒラオ) まで、異様(コトヤウ)なるぞゆゆしき。

■第二十九段

静かに思へば、万(ヨロヅ)に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。

ふ反古(ホウゴ)など破(ヤ)り棄(ス)つる中に、亡き人の手習(テナラ)ひ、絵か きすさびたる、見出(イ)でたるこそ、たゞ、その折(ヲリ)の心地すれ。このご ろある人の文(フミ)だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思 ふは、あはれなるぞかし。手馴(テナ)れし具足なども、心もなくて、変らず、 久しき、いとかなし。

■第三十段

人の亡き跡(アト)ばかり、悲しきはなし。

中陰(チユウイン)のほど、山里などに移ろひて、便(ビン)あしく、狭(セバ) き所にあまたあひ居(ヰ)て、後のわざども営(イトナ)み合へる、心あわたゝし。 日数(ヒカズ)の速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果(ハ)ての日は、いと情( ナサケ)なう、たがひに言ふ事もなく、我賢(カシコ)げに物ひきしたゝめ、ち りぢりに行(ユ)きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多か るべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため忌(イ)むなることぞ」な ど言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。

年月経(トシツキヘ)ても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に疎(ウト) しと言へることなれば、さはいへど、その際(キハ)ばかりは覚えぬにや、よし なし事いひて、うちも笑ひぬ。骸(カラ)は気(ケ)うとき山の中にをさめて、さ るべき日ばかり詣(マウ)でつゝ見れば、ほどなく、卒都婆(ソトバ)も苔(コケ) むし、木の葉降(フ)り埋(ウヅ)みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよす がなりける。

思ひ出でて偲(シノ)ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失(ウ)せ て、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶 えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々(トシドシ)の春の草のみぞ、心 あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に咽(ムセ)びし松も千年(チトセ) を待たで薪(タキギ)に摧(クダ)かれ、古き墳(ツカ)は犂(ス)かれて田となりぬ。 その形(カタ)だになくなりぬるぞ悲しき。

■第三十一段

雪のおもしろう降りたりし朝(アシタ)、人のがり言ふべき事ありて、文(フミ) をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事(カヘリコト)に、「この雪いかゞ 見ると一筆(ヒトフデ)のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるゝ 事、聞き入(イ)るべきかは。返(カヘ)す返(ガヘ)す口をしき御心(ミココロ)な り」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。

今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。

■第三十二段

九月廿日(ナガツキハツカ)の比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで 月見ありく事侍りしに、思(オボ)し出(イ)づる所ありて、案内せさせて、入( イ)り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち 薫uカヲ)りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。

よきほどにて出(イ)で給ひぬれど、なほ、事ざまの優(イウ)に覚えて、物の 隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸(ツマド)をいま少し押し開けて、月見るけし きなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、 いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕(アサユフ)の心づかひによるべし。

その人、ほどなく失(ウ)せにけりと聞き侍りし。

■第三十三段

今の内裏(ダイリ)作り出(イダ)されて、有職(イウシヨク)の人々に見せられ けるに、いづくも難(ナン)なしとて、既(スデ)に遷幸(センカウ)の日近く成り けるに、玄輝門院(ゲンキモンヰン)の御覧じて、「閑院殿(カンヰンドノ)の櫛 形(クシガタ)の穴は、丸(マロ)く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、い みじかりけり。

これは、葉(エフ)の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほ されにけり。

■第三十四段

甲香(カヒカウ)は、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長にさし 出でたる貝の蓋なり。

武蔵国金沢(カネサハ)といふ浦にありしを、所の者は、「へだなりと申し侍 る」とぞ言ひし。

■第三十五段

手のわろき人の、はばからず、文(フミ)書き散(チ)らすは、よし。見ぐるし とて、人に書かするは、うるさし。

■第三十六段

「久しくおとづれぬ比(コロ)、いかばかり恨(ウラ)むらんと、我が怠(オコタ) り思ひ知られて、言葉(コトノハ)なき心地するに、女の方(カタ)より、『仕丁 (ジチヤウ)やある。ひとり』など言ひおこせたるこそ、ありがたく、うれしけ れ。さる心ざましたる人ぞよき」と人の申し侍(ハンベ)りし、さもあるべき事 なり。

■第三十七段

朝夕(アサユフ)、隔(ヘダ)てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、 ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更(イマサラ)、かくやは」など言ふ人 もありぬべけれど、なほ、げにげにしく、よき人かなとぞ覚ゆる。

疎(ウト)き人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべ し。

■第三十八段

名利(ミヤウリ)に使はれて、閑(シヅ)かなる暇(イトマ)なく、一生を苦しむ るこそ、愚かなれ。

財(タカラ)多ければ、身を守るにまどし。害を賈(カ)ひ、累(ワヅラヒ)ひを 招く媒(ナカダチ)なり。身の後には、金(コガネ)をして北斗(ホクト)を支(サ サ)ふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる 楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉(キンギョク)の飾り も、心あらん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。金(コガネ)は山に棄(ス) て、玉(タマ)は淵(フチ)に投ぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。

埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ。位(クラヰ)高く、 やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家 に生れ、時に逢(ア)へば、高き位に昇り、奢(オゴリ)を極むるもあり。いみじ かりし賢人・聖人、みづから賎しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また 多し。偏(ヒトヘ)に高き官(ツカサ)・位を望むも、次に愚かなり。

智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉(ホマレ)も残さまほしきを、つらつら思 へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり、誉(ホ)むる人、毀(ソシ)る人、 共に世に止(トド)まらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰( タレ)をか恥(ハ)ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉はまた毀りの本(モト)な り。身の後(ノチ)の名、残りて、さらに益(エキ)なし。これを願ふも、次に愚 かなり。

但(タダ)し、強(シ)ひて智(チ)を求め、賢(ケン)を願ふ人のために言はば、 智恵(チエ)出でては偽(イツワ)りあり。才能は煩悩(ボンナウ)の増長(ゾウチ ヤウ)せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなる をか智といふべき。可(カ)・不可(フカ)は一条(イチデウ)なり。いかなるをか 善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功(コウ)もなく、名もなし。 誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本(モト)より、 賢愚(ケング)・得失(トクシツ)の境(サカヒ)にをらざればなり。

迷ひの心をもちて名利の要(エウ)を求むるに、かくの如し。万事は皆(ミナ) 非(ヒ)なり。言ふに足らず、願ふに足らず。

■第三十九段

或人(アルヒト)、法然(ホフネン)上人に、「念仏の時、睡(ネブリ)にをかさ れて、行(ギヤウ)を怠り侍る事、いかゞして、この障(サハ)りを止(ヤ)め侍ら ん」と申しければ、「目の醒(サ)めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたり ける、いと尊(タフト)かりけり。

また、「往生(ワウジャウ)は、一定(イチジヤウ)と思へば一定、不定(フジヤ ウ)と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。

また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた 尊し。

■第四十段

因幡国(イナバノクニ)に、何(ナニ)の入道(ニフダウ)とかやいふ者の娘、か たちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗(クリ)を のみ食ひて、更に、米(ヨネ)の類(タグヒ)を食はざりれば、「かゝる異様(コ トヤウ)の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許(ユル)さざりけり。

■第四十一段

五月五日(サツキイツカ)、賀茂(カモ)の競(クラ)べ馬を見侍りしに、車の前 に雑人(ザフニン)立ち隔(ヘダ)てて見えざりしかば、おのおの下(オ)りて、埒 (ラチ)のきはに寄りたれど、殊(コト)に人多く立ち込みて、分け入りぬべきや うもなし。

かかる折に、向ひなる楝(アフチ)の木に、法師の、登りて、木の股についゐ て、物見るあり。取りつきながら、いたう睡(ネブ)りて、落ちぬべき時に目を 醒(サ)ます事、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ物か な。かく危(アヤフ)き枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、我が 心にふと思ひしまゝに、「我等が生死(シヤウジ)の到来、ただ今にもやあらん。 それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひ たれば、前なる人ども、「まことにさにこそ候(サウラ)ひけれ。尤(モツト)も 愚かに候ふ」と言ひて、皆、後を見返りて、「こゝに入らせ給へ」とて、所を 去りて、呼び入れ侍りにき。

かほどの理(コトワリ)、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひか けぬ心地して、胸に当りけるにや。人、木石(ボクセキ)にあらねば、時にとり て、物に感ずる事なきにあらず。

■第四十二段

唐橋中将(カラハシノチユウジヤウ)といふ人の子に、行雅僧都(ギヤウガノソ ウヅ)とて、教相(ケウサウ)の人の師(シ)する僧ありけり。気(ケ)の上る病あ りて、年のやうやう闌(タ)くる程に、鼻の中ふたがりて、息も出で難(ガタ)か りければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額など も腫れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞(マヒ)の面(オモテ) のやうに見えけるが、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂(イタダキ)の方 (カタ)につき、額のほど鼻になりなどして、後(ノチ)は、坊(ボウ)の内の人に も見えず籠(コモ)りゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死にに けり。

かゝる病もある事にこそありけれ。

■第四十三段

春の暮つかた、のどやかに艶(エン)なる空に、賎(イヤ)しからぬ家の、奥深 く、木立(コダチ)もの古(フ)りて、庭に散り萎(シヲ)れたる花,見過(ミスグ) しがたきを、さし入(イ)りて見れば、南面(ミナミオモテ)の格子皆おろしてさ びしげなるに、東(ヒガシ)に向きて妻戸(ツマド)のよきほどにあきたる、御簾 (ミス)の破れより見れば、かたち清(キヨ)げなる男の、年廿(ハタチ)ばかりに て、うちとけたれど、心にくゝ、のどやかなるさまして、机の上に文(フミ)を くりひろげて見ゐたり。

いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。

■第四十四段

あやしの竹の編戸(アミド)の内より、いと若き男(ヲトコ)の、月影に色あひ さだかならねど、つやゝかなる狩衣(カリギヌ)に濃き指貫(サシヌキ)、いとゆ ゑづきたるさまにて、さゝやかなる童(ワラハ)ひとりを具(グ)して、遥(ハル カ)かなる田の中の細道を、稲葉(イナバ)の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛 をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行か ん方知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹き止(ヤ)みて、山のきはに惣 門(ソウモン)のある内に入(イ)りぬ。榻(シヂ)に立てたる車の見ゆるも、都よ りは目止(トマ)る心地して、下人(シモウド)に問へば、「しかしかの宮のおは します比にて、御仏事(ゴブツジ)など候ふにや」と言ふ。

御堂(ミダウ)の方(カタ)に法師ども参りたり。夜寒(ヨサム)の風に誘はれく るそらだきものの匂ひも、身に沁(シ)む心地す。寝殿より御堂の廊(ラウ)に通 ふ女房の追風用意(オヒカゼヨウイ)など、人目なき山里ともいはず、心遣(ヅ カ)ひしたり。

心のまゝに茂れる秋の野(ノ)らは、置き余る露に埋もれて、虫の音(ネ)かご とがましく、遣水(ヤリミヅ)の音のどやかなり。都の空よりは雲の往来(ユキ キ)も速き心地して、月の晴(ハ)れ曇(クモ)る事定め難し。

■第四十五段

公世(キンヨ)の二位のせうとに、良覚僧正(リヤウガクソウジヤウ)と聞えし は、極めて腹あしき人なりけり。

坊(ボウ)の傍(カタハラ)に、大きなる榎(エ)の木(キ)のありければ、人、「 榎木(エノキノ)僧正」とぞ言ひける。この名然(シカ)るべからずとて、かの木 を伐(キ)られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。 いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてあ りければ、「堀(ホリイケノ)池僧正」とぞ言ひける。

■第四十六段

柳原(ヤナギハラ)の辺(ヘン)に、強盗(ゴウダウノ)法印と号(カウ)する僧あ りけり。度々強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。

■第四十七段

或人(アルヒト)、清水(キヨミヅ)へ参りけるに、老いたる尼の行き連れたり けるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、「尼御前(アマ ゴゼ)、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、応(イラ)へもせず、なほ 言ひ止(ヤ)まざりけるを、度々問はれて、うち腹立ちて「やゝ。鼻(ハナ)ひた る時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君(ヤシナヒギミ)の、比叡山 (ヒエノヤマ)に児(チゴ)にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、 かく申すぞかし」と言ひけり。

有り難き志(ココロザシ)なりけんかし。

■第四十八段

光親卿(ミチツカノキヤウ)、院の最勝講奉行(サイシヨウカウブギヨウ)して さぶらひけるを、御前(ゴゼン)へ召されて、供御(クゴ)を出だされて食はせら れけり。さて、食ひ散らしたる衝重(ツイガサネ)を御簾(ミス)の中(ウチ)へさ し入れて、罷(マカ)り出でにけり。女房、「あな汚(キタ)な。誰にとれとてか 」など申し合(ア)はれければ、「有職(イウシヨク)の振舞、やんごとなき事な り」と、返々(カヘスガエス)感ぜさせ給ひけるとぞ。

■第四十九段

老来(オイキタ)りて、始めて道を行(ギヤウ)ぜんと待つことなかれ。古き墳( ツカ)、多くはこれ少年(セウネン)の人なり。はからざるに病を受けて、忽(タ チマ)ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方(カタ)の誤(ア ヤマ)れる事は知らるなれ。誤りといふは、他(タ)の事にあらず、速(スミヤ) かにすべき事を緩(ユル)くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔(クヤ) しきなり。その時悔(ク)ゆとも、かひあらんや。

人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るま じきなり。さらば、などか、この世の濁(ニゴ)りも薄く、仏道を勤(ツト)むる 心もまめやかならざらん。

「昔ありける聖(ヒジリ)は、人来りて自他(ジタ)の要事(エウジ)を言ふ時、 答へて云はく、「今、火急(クワキフ)の事ありて、既(スデ)に朝夕(テウセキ) に逼(セマ)れり」とて、耳をふたぎて念仏して、つひに往生(ワウジヤウ)を遂 (ト)げけ(り」と、禅林(ゼンリン)の十因(ジフイン)に侍り。心戒(シンカイ) といひける聖は、余りに、この世のかりそめなる事を思ひて、静かについゐけ ることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。

■第五十段

応長(オウチヤウ)の比、伊勢国(イセノクニ)より、女の鬼に成りたるをゐて 上(ノボ)りたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、京(キヤウ)・ 白川(シラカハ)の人、鬼見(オニミ)にとて出(イ)で惑(マド)ふ。「昨日は西園 寺(サイヲンジ)に参(マヰ)りたりし」、「今日は院(ヰン)へ参るべし」、「た ゞ今はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言( ソラゴト)と云う人もなし。上下(ジヤウゲ)、ただ鬼の事のみ言ひ止(ヤ)まず。

その比、東山(ヒガシヤマ)より安居院辺(アグヰヘン)へ罷(マカ)り侍りしに、 四条(シデウ)よりかみさまの人、皆、北をさして走る。「一条室町(ムロマチ) に鬼あり」とのゝしり合へり。今出川(イマデガハ)の辺(ヘン)より見やれば、 院の御桟敷(オンサジキ)のあたり、更に通り得べうもあらず、立ちこみたり。 はやく、跡なき事にはあらざンめりとて、人を遣(ヤ)りて見するに、おほかた、 逢(ア)へる者なし。暮るゝまでかく立ち騒ぎて、果(ハテ)は闘諍(トウジヤウ) 起りて、あさましきことどもありけり。

その比、おしなべて、二三日(フツカミカ)、人のわづらふ事侍りしをぞ、か の、鬼の虚言(ソラゴト)は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。

■第五十一段

亀山殿(カメヤマドノ)の御池(ミイケ)に大井川の水をまかせられんとて、大 井の土民(ドミン)に仰せて、水車(ミヅグルマ)を作らせられけり。多くの銭( アシ)を給ひて、数日(スジツ)に営み出だして、掛けたりけるに、大方廻(オホ カタメグ)らざりければ、とかく直しけれども、終(ツヒ)に廻らで、いたづら に立てりけり。

さて、宇治の里人(サトビト)を召して、こしらへさせられければ、やすらか に結(ユ)ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るゝ事めでた かりけり。

万に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。

■第五十二段

仁和寺(ニンナジ)にある法師、年寄るまで石清水(イハシミヅ)を拝(ヲガ)ま ざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(カチ)より 詣でけり。極楽寺・高良(カウラ)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、「年比(トシゴロ)思ひつること、果し侍りぬ。 聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、 何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ホンイ)なれと思ひて、 山までは見ず」とぞ言ひける。

少しのことにも、先達(センダツ)はあらまほしき事なり。

■第五十三段

これも仁和寺の法師、童(ワラハ)の法師にならんとする名残(ナゴリ)とて、 おのおのあそぶ事ありけるに、酔(ヱ)ひて興に入る余り、傍(カタハラ)なる足 鼎(アシガナヘ)を取りて、頭(カシラ)に被(カヅ)きたれば、詰(ツマ)るやうに するを、鼻をおし平(ヒラ)めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座(マン ザ)興に入る事限りなし。

しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いか ゞはせんと惑ひけり。とかくすれば、頚(クビ)の廻(マハ)り欠けて、血垂(タ) り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやす く割れず、響きて堪へ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足(ミ ツアシ)なる角の上に帷子(カタビラ)をうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、 京なる医師(クスシ)のがり率(ヰ)て行(ユ)きける、道すがら、人の怪しみ見る 事限りなし。医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様 (コトヤウ)なりけめ。物を言ふも、くゞもり声に響きて聞えず。「かゝること は、文(フミ)にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また、仁和寺へ帰 りて、親しき者、老いたる母(ハワ)など、枕上(ガミ)に寄りゐて泣き悲しめど も、聞くらんとも覚えず。

かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばか りはなどか生きざらん。たゞ、力を立てて引きに引き給へ」とて、藁(ワラ)の しべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻 欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。

■第五十四段

御室(オムロ)にいみじき児(チゴ)のありけるを、いかで誘ひ出(イダ)して遊 ばんと企(タク)む法師どもありて、能(ノウ)あるあそび法師どもなどかたらひ て、風流の破子(ワリゴ)やうの物、ねんごろにいとなみ出でて、箱風情(ハコ フゼイ)の物にしたゝめ入れて、双(ナラビ)の岡の便(ビン)よき所に埋(ウヅ) み置きて、紅葉(モミヂ)散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、御所へ参り て、児をそゝのかし出でにけり。

うれしと思ひて、こゝ・かしこ遊び廻りて、ありつる苔(コケ)のむしろに並( ナ)み居て、「いたうこそ困(コウ)じにたれ」、「あはれ、紅葉(モミジ)を焼( タ)かん人もがな」、「験(ゲン)あらん僧達、祈り試みられよ」など言ひしろ ひて、埋みつる木(コ)の下(モト)に向きて、数珠(ジユズ)おし摩(ス)り、印( イン)ことことしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきの けたれど、つやつや物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山を あされども、なかりけり。埋(ウヅ)みける人を見置きて、御所へ参りたる間に 盗めるなりけり。法師ども、言(コト)の葉なくて、聞きにくゝいさかひ、腹立 ちて帰りにけり。

あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。

■第五十五段

家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑(アツ) き比(コロ)わろき住居(スマヒ)は、堪へ難き事なり。

深き水は、涼(スズ)しげなし。浅くて流れたる、遥(ハル)かに涼し。細かな る物を見るに、遣戸(ヤリド)は、蔀(シトミ)の間よりも明し。天井の高きは、 冬寒く、燈(トモシビ)暗し。造作(ザウサク)は、用なき所を作りたる、見るも 面白く、万(ヨロヅ)の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。

■第五十六段

久しく隔(ヘダタ)りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく 語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程(ホド)経て見るは、 恥づかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日(ケ フ)ありつる事とて、息も継ぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、 人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よ からぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りな せば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事を言ひてもいたく 興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど計(ハカ)られぬべき。

人の身ざまのよし・あし、才(ザエ)ある人はその事など定め合へるに、己(オ ノ)が身をひきかけて言ひ出(イ)でたる、いとわびし。

■第五十七段

人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ、本意(ホイ)なけれ。少しその 道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。

すべて、いとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。

■第五十八段

「道心(ダウシン)あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、 後世(ゴセ)を願はんに難かるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。 げには、この世をはかなみ、必ず、生死を出でんと思はんに、何の興ありてか、 朝夕君(アサユウキミ)に仕へ、家を顧(カヘリ)みる営みのいさましからん。心 は縁(エン)にひかれて移るものなれば、閑(シヅ)かならでは、道は行(ギヤウ) じ難し。

その器(ウツハモノ)、昔の人に及ばず、山林に入りても、餓(ウヱ)を助け、 嵐を防(フセ)くよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから、世を貪(ム サボ)るに似たる事も、たよりにふれば、などかなからん。さればとて、「背( ソム)けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」など言はんは、無下( ムゲ)の事なり。さすがに、一度(ヒトタビ)、道に入りて世を厭(イト)はん人、 たとひ望(ノゾミ)ありとも、勢(イキホヒ)ある人の貪欲(トンヨク)多きに似る べからず。紙の衾(フスマ)、麻の衣(コロモ)、一鉢(ヒトハチ)のまうけ、藜( アカギ)の羹(アツモノ)、いくばくか人の費(ツヒ)えをなさん。求むる所は得 やすく、その心はやく足りぬべし。かたちに恥づる所もあれば、さはいへど、 悪には疎く、善には近づく事のみぞ多き。

人と生れたらんしるしには、いかにもして世を遁(ノガ)れんことこそ、あら まほしけれ。偏(ヒト)へに貪る事をつとめて、菩提(ボダイ)に趣(オモム)かざ らんは、万の畜類に変る所あるまじくや。

■第五十九段

大事(ダイジ)を思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の本意(ホンイ) を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばし。この事果てて」、「同じく は、かの事沙汰(サタ)しおきて」、「しかしかの事、人の嘲(アザケリ)りやあ らん。行末難(ユクスヱナン)なくしたゝめまうけて」、「年来(トシゴロ)もあ ればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物騒(サワ)がしからぬやうに」など 思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立 つ日もあるべからず。おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあ らましにてぞ一期(イチゴ)は過ぐめる。

近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。身を助けんとすれば、恥(ハ ヂ)をも顧みず、財(タカラ)をも捨てて遁(ノガ)れ去るぞかし。命は人を待つ ものかは。無常の来る事は、水火(スヰクワ)の攻むるよりも速(スミヤ)かに、 遁れ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情(ナサ ケ)、捨て難しとて捨てざらんや。

■第六十段

真乗院(シンジヨウヰン)に、盛親僧都(ジヤウシンソウヅ)とて、やんごとな き智者ありけり。芋頭(イモガシラ)といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の 座にても、大きなる鉢(ハチ)にうづたかく盛りて、膝元に置きつゝ、食ひなが ら、文をも読みけり。患(ワヅラ)ふ事あるには、七日(ナヌカ)・二七日(フタ ナヌカ)など、療治(レウヂ)とて籠り居て、思ふやうに、よき芋頭を選びて、 ことに多く食ひて、万の病を癒しけり。人に食はする事なし。たゞひとりのみ ぞ食ひける。極めて貧しかりけるに、師匠、死にさまに、銭二百貫と坊(ボウ) ひとつを譲りたりけるを、坊を百貫に売りて、かれこれ三万疋(ビキ)を芋頭の 銭(アシ)と定めて、京なる人に預け置きて、十貫づつ取り寄せて、芋頭を乏( トモ)しからず召しけるほどに、また、他用(コトヨウ)に用ゐることなくて、 その銭(アシ)皆に成りにけり。「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく計( ハカ)らひける、まことに有り難き道心者(ジヤ)なり」とぞ、人申しける。

この僧都、或(アル)法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「と は何物ぞ」と人の問ひければ、「さる者を我も知らず。若しあらましかば、こ の僧の顔に似てん」とぞ言ひける。

この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書(ノウジヨ)・学匠(ガクシヨウ) ・辯舌(ベンゼツ)、人にすぐれて、宗の法燈(ホフトウ)なれば、寺中(ジチユ ウ)にも重く思はれたりけれども、世を軽(カロ)く思ひたる曲者(クセモノ)に て、万自由(ジイウ)にして、大方、人に従ふといふ事なし。出仕(シユツシ)し て饗膳(キヤウゼン)などにつく時も、皆人の前据(ス)ゑわたすを待たず、我が 前に据ゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて 行きけり。斎(トキ)・非時(ヒジ)も、人に等しく定めて食はず。我が食ひたき 時、夜中にも暁(アカツキ)にも食ひて、睡(ネブ)たければ、昼もかけ籠りて、 いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜(イクヨ) も寝(イ)ねず、心を澄(ス)ましてうそぶきありきなど、尋常(ヨノツネ)ならぬ さまなれども、人に厭(イト)はれず、万許されけり。徳の至れりけるにや。

■第六十一段

御産(ゴサン)の時、甑(コシキ)落す事は、定まれる事にあらず。御胞衣(オン エナ)とゞこほる時のまじなひなり。とゞこほらせ給はねば、この事なし。

下ざまより事起りて、させる本説(ホンゼツ)なし。大原の里の甑を召すなり。 古き宝蔵(ホウザウ)の絵に、賎(イヤ)しき人の子産みたる所に、甑落したるを 書きたり。

■第六十二段

延政門(エンセイモン)院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御 言(オンコト)つてとて申させ給ひける御歌、

ふたつ文字(モジ)、牛の角(ツノ)文字、直(ス)ぐな文字、歪(ユガ)み文字と ぞ君は覚(オボ)ゆる

恋しく思ひ参らせ給ふとなり。

■第六十三段

後七日(ゴシチニチ)の阿闍梨(アザリ)、武者(ムシヤ)を集むる事、いつとか や、盗人(ヌスビト)にあひにけるより、宿直人(トノヰビト)とて、かくことこ としくなりにけり。一年(ヒトトセ)の相(サウ)は、この修中(シユヂユウ)のあ りさまにこそ見ゆなれば、兵(ツハモノ)を用ゐん事、穏かならぬことなり。

■第六十四段

「車の五緒(イツツヲ)は、必ず人によらず、程につけて、極(キハ)むる官(ツ カサ)・位(クラヰ)に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰せられし。

■第六十五段

この比(ゴロ)の冠(カムリ)は、昔よりははるかに高くなりたるなり。古代の 冠桶(カムリヲケ)を持ちたる人は、はたを継(ツ)ぎて、今用(モチ)ゐるなり。

■第六十六段

岡本関白殿(ヲカモトノクワンパクドノ)、盛りなる紅梅(コウバイ)の枝に、 鳥一双(イツソウ )を添(ソ)へて、この枝に付けて参らすべきよし、御鷹飼(オ ンタカガヒ)、下毛野武勝(シモツケノノタケカツ)に仰せられたりけるに、「 花に鳥付くる術(スベ)、知り候はず。一枝(ヒトエダ)に二つ付くる事も、存知 (ゾンヂ)し候はず」と申しければ、膳部(ゼンブ)に尋ねられ、人々に問はせ給 ひて、また、武勝に、「さらば、己(オノ)れが思はんやうに付けて参らせよ」 と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つを付けて参らせけり。

武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとに付く。 五葉(ゴエフ)などにも付く。枝の長さ七尺(シチシヤク)、或(アルヒ)は六尺( ロクシヤク)、返(カヘ)し刀五分(ガタナゴブ)に切る。枝の半(ナカバ)に鳥を 付く。付くる枝、踏まする枝あり。しゞら藤の割らぬにて、二所(フタトコロ) 付くべし。藤の先は、ひうち羽(バ)の長(タケ)に比べて切りて、牛の角のやう に撓(タワ)むべし。初雪の朝(アシタ)、枝を肩にかけて、中門(チユウモン)よ り振舞ひて参る。大砌(オホミギリ)の石を伝ひて、雪に跡をつけず、あまおほ ひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄(カウラン)に寄せ掛く。禄 (ロク)を出ださるれば、肩に掛けて、拝(ハイ)して退(シリゾ)く。初雪といへ ども、沓(クツ)のはなの隠れぬほどの雪には、参らず。あまおほひの毛を散ら すことは、鷹はよわ腰を取る事なれば、御鷹(オンタカ)の取りたるよしなるべ し」と申しき。

花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。長月(ナガヅキ)ばかりに、梅 の作り枝に雉(キジ)を付けて、「君がためにと折る花は時しも分(ワ)かぬ」と 言へる事、伊勢物語に見えたり。造り花は苦しからぬにや。

■第六十七段

賀茂(カモ)の岩本(イハモト)・橋本(ハシモト)は、業平(ナリヒラ)・実方(サ ネカタ)なり。人の常に言ひ粉(マガ)へ侍れば、一年(ヒトトセ)参りたりしに、 老いたる宮司(ミヤヅカサ)の過ぎしを呼び止(トド)めて、尋(タズ)ね侍りしに、 「実方は、御手洗(ミタラシ)に影の映りける所と侍れば、橋本や、なほ水の近 ければと覚え侍る。吉水和尚(ヨシミヅノクワシヤウノ)の、

月をめで花を眺めしいにしへのやさしき人はこゝにありはら

と詠み給ひけるは、岩本の社(ヤシロ)とこそ承(ウケタマハ)り置き侍れど、己 (オノ)れらよりは、なかなか、御存知などもこそ候はめ」と、いとやうやうし く言ひたりしこそ、いみじく覚えしか。

今出川院近衛(イマデガハヰンノコノヱ)とて、集(シフ)どもにあまた入りた る人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前(ミマヘ) の水にて書きて、手向(タム)けられけり。まことにやんごとなき誉(ホマレ)れ ありて、人の口にある歌多し。作文(サクモン)・詞序(シジヨ)など、いみじく 書く人なり。

■第六十八段

筑紫(ツクシ)に、なにがしの押領使(アフリヤウシ)などいふやうなる者のあ りけるが、土大根(ツチオホネ)を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづゝ焼き て食ひける事、年久(ヒサ)しくなりぬ。

或時(アルトキ)、館(タチ)の内に人もなかりける隙(ヒマ)をはかりて、敵襲( カタキオソ)ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵(ツハモノ)二人出で来て、 命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してンげり。いと不思議に覚えて、「日比(ヒ ゴロ)こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」 と問ひければ、「年来(トシゴロ)頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」 と言ひて、失(ウ)せにけり。

深く信(シン)を致(イタ)しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。

■第六十九段

書写(シヨシヤ)の上人(シヤウニン)は、法華読誦(ホツケドクジユ)の功(コウ) 積りて、六根浄(ロクコンジヤウ)にかなへる人なりけり。旅の仮屋(カリヤ)に 立ち入られけるに、豆の殻を焚(タ)きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き 給ひければ、「疎(ウト)からぬ己れらしも、恨めしく、我をば煮て、辛(カラ) き目を見するものかな」と言ひけり。焚かるゝ豆殻のばらばらと鳴る音は、「 我が心よりすることかは。焼かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事な り。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。

■第七十段

元応(ゲンオウ)の清暑堂(セイシヨダウ)の御遊(ギヨイウ)に、玄上(ゲンジヤ ウ)は失せにし比、菊亭大臣(キクテイノオトド)、牧馬(ボクバ)を弾(タン)じ 給ひけるに、座に著(ツ)きて、先(マ)づ柱(ヂユウ)を探られたりければ、一つ 落ちにけり。御懐(オンフトコロ)にそくひを持ち給ひたるにて付けられにけれ ば、神供(ジング)の参る程によく干(ヒ)て、事故(コトユヱ)なかりけり。

いかなる意趣(イシユ)かありけん。物見ける衣被(キヌカヅキ)の、寄りて、 放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。

■第七十一段

名を聞くより、やがて、面影(オモカゲ)は推(オ)し測(ハカ)らるゝ心地(ココ チ)するを、見る時は、また、かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ、 昔物語(ムカシモノガタリ)を聞きても、この比(ゴロ)の人の家のそこほどにて ぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覚ゆ るにや。

また、如何なる折ぞ、たゞ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中( ウチ)に、かゝる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、 まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。

■第七十二段

賤(イヤ)しげなる物、居(ヰ)たるあたりに調度(テウド)の多き。硯(スズリ) に筆の多き。持仏堂(ジブツダウ)に仏の多き。前栽(センザイ)に石・草木の多 き。家の内に子孫(コウマゴ)の多き。人にあひて詞(コトバ)の多き。願文(グ ワンモン)に作善(サゼン)多く書き載せたる。

多くて見苦しからぬは、文車(フグルマ)の文(フミ)。塵塚(チリヅカ)の塵。

■第七十三段

世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言(ソラゴト)なり。

あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月(トシツキ)過ぎ、境(サカ ヒ)も隔(ヘダタ)りぬれば、言ひたきまゝに語りなして、筆にも書き止(トド) めぬれば、やがて定まりぬ。道々の物の上手(ジヤウズ)のいみじき事など、か たくななる人の、その道知らぬは、そゞろに、神の如くに言へども、道知れる 人は、さらに、信も起さず。音に聞くと見る時とは、何事も変るものなり。

かつあらはるゝをも顧(カヘリ)みず、口に任(マカ)せて言ひ散らすは、やが て、浮きたることと聞(キコ)ゆ。また、我もまことしからずは思ひながら、人 の言ひしまゝに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げに げにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合は せて語る虚言は、恐しき事なり。我がため面目あるやうに言はれぬる虚言は、 人いたくあらがはず。皆人の興ずる虚言は、ひとり、「さもなかりしものを」 と言はんも詮(セン)なくて聞きゐたる程に、証人にさへなされて、いとゞ定ま りぬべし。

とにもかくにも、虚言多き世なり。たゞ、常にある、珍らしからぬ事のまゝ に心得たらん、万違ふべからず。下(シモ)ざまの人の物語は、耳驚く事のみあ り。よき人は怪

しき事を語らず。

かくは言へど、仏神(ブツジン)の奇特(キドク)、権者(ゴンジヤ)の伝記、さ のみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗(セゾク)の虚言をねんごろに信じ たるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふも詮なければ、大方は、まこと しくあひしらひて、偏(ヒトヘ)に信ぜず、また、疑ひ嘲るべからずとなり。

■第七十四段

蟻(アリ)の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走(ワシ)る人、高きあり、 賤(イヤ)しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕( ユフベ)に寝(イ)ねて、朝(アシタ)に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪(ムサ ボリ)り、利を求めて、止む時なし。

身を養ひて、何事をか待つ。期(ゴ)する処(トコロ)、たゞ、老と死とにあり。 その来る事速かにして、念々(ネンネン)の間に止まらず。これを待つ間、何の 楽しびかあらん。惑へる者は、これを恐れず。名利(ミヤウリ)に溺(オボ)れて、 先途(センド)の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。 常住(ジヤウヂユウ)ならんことを思ひて、変化(ヘンゲ)の理(コトハリ)を知ら ねばなり。

■第七十五段

つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ方なく、たゞひとりある のみこそよけれ。

世に従へば、心、外(ホカ)の塵(チリ)に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言 葉、よその聞きに随(シタガ)ひて、さながら、心にあらず。人に戯(タハブ)れ、 物に争ひ、一度(ヒトタビ)は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分 別(フンベツ)みだりに起りて、得失(トクシツ)止む時なし。惑ひの上に酔(ヱ) へり。酔ひの中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かく の如し。

未(イマ)だ、まことの道を知らずとも、縁(エン)を離れて身を閑かにし、事 にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生 活・人事(ニンジ)・伎能(ギノウ)・学問等の諸縁(シヨエン)を止めよ」とこそ、 摩訶止観(マカシクワン)にも侍れ。

■第七十六段

世の覚え花(ハナ)やかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く行きとぶ らふ中に、聖法師(ヒジリボウシ)の交じりて、言ひ入れ、たゝずみたるこそ、 さらずともと見ゆれ。

さるべき故ありとも、法師は人にうとくてありなん。

■第七十七段

世中(ヨノナカ)に、その比、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、いろふ べきにはあらぬ人の、よく案内知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、 うけられね。ことに、片ほとりなる聖法師などぞ、世の人の上は、我が如く尋 ね聞き、いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。

■第七十八段

今様(イマヤウ)の事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、またうけら れね。世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。

いまさらの人などのある時、こゝもとに言ひつけたることぐさ、物の名など、 心得たるどち、片端(カタハシ)言ひ交し、目見合(メミア)はせ、笑ひなどして、 心知らぬ人に心得ず思はする事、世慣れず、よからぬ人の必ずある事なり。

■第七十九段

何事も入りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知 り顔にやは言ふ。片田舎(カタヰナカ)よりさし出でたる人こそ、万の道に心得 たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に恥づかしきかたもあれど、自らも いみじと思へる気色、かたくななり。

よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけ れ。

■第八十段

人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は、兵(ツハモノ)の道を 立て、夷(エビス)は、弓ひく術(スベ)知らず、仏法(ブツポフ)知りたる気色( キソク)し、連歌(レンガ)し、管絃(クワンゲン)を嗜(タシナ)み合へり。され ど、おろかなる己(オノ)れが道よりは、なほ、人に思ひ侮(アナヅ)られぬべし。

法師のみにもあらず、上達部(カンダチメ)・殿上人(テンジヤウビト)・上(カ ミ)ざままで、おしなべて、武(ブ)を好む人多かり。百度(モモタビ)戦ひて百 度勝つとも、未(イマ)だ、武勇(ブユウ)の名を定め難し。その故は、運に乗じ て敵を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。兵尽き、矢窮(キハマ)りて、つひ に敵に降(クダ)らず、死をやすくして後(ノチ)、初めて名を顕(アラ)はすべき 道なり。生けらんほどは、武に誇(ホコ)るべからず。人倫(ジンリン)に遠く、 禽獣(キンジウ)に近き振舞(フルマヒ)、その家にあらずは、好みて益(ヤク)な きことなり。

■第八十一段

屏風(ビヤウブ)・障子(シヤウジ)などの、絵も文字もかたくななる筆様(フデ ヤウ)して書きたるが、見にくきよりも、宿(ヤド)の主(アルジ)のつたなく覚 ゆるなり。

大方、持てる調度(テウド)にても、心劣りせらるゝ事はありぬべし。さのみ よき物を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、品(シナ)なく、見にく きさまにしなし、珍しからんとて、用なきことどもし添へ、わづらはしく好み なせるをいふなり。古めかしきやうにて、いたくことことしからず、つひえも なくて、物がらのよきがよきなり。

■第八十二段

「羅(ウスモノ)の表紙(ヘウシ)は、疾(ト)く損ずるがわびしき」と人の言ひ しに、頓阿(トンナ)が、「羅は上下(カミシモ)はつれ、螺鈿(ラデン)の軸(ヂ ク)は貝落ちて後(ノチ)こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして 覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、 弘融(コウユウ)僧都(ソウヅ)が、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき 者のする事なり。不具(フグ)なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしな り。

「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさ て打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏(ダイリ)造らるゝにも、 必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢(センケン) の作れる内外(ナイゲ)の文(フミ)にも、章段(シヤウダン)の欠(カ)けたる事の みこそ侍れ。

■第八十三段

竹林院入道左大臣殿(チクリンヰンノニフダウサダイジンドノ)、太政大臣に 上(アガ)り給はんに、何の滞(トドコホ)りかおはせんなれども、「珍しげなし。 一上(イチノカミ)にて止(ヤ)みなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿 (トウヰンノサダイジンドノ)、この事を甘心(カンシン)し給ひて、相国(シヤ ウコク)の望みおはせざりけり。

「亢竜(カウリヨウ)の悔(クイ)あり」とかやいふこと侍るなり。月満ちては 欠け、物盛りにしては衰ふ。万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。

■第八十四段

法顕三蔵(ホツケンサンザウ)の、天竺(テンヂク)に渡りて、故郷(フルサト) の扇(アフギ)を見ては悲しび、病に臥(フ)しては漢の食(ジキ)を願ひ給ひける 事を聞きて、「さばかりの人の、無下(ムゲ)にこそ心弱き気色(ケシキ)を人の 国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都(コウユウソウヅ)、「優(イ ウ)に情ありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心に くゝ覚えしか。

■第八十五段

人の心すなほならねば、偽(イツハ)りなきにしもあらず。されども、おのづ から、正直(シヤウヂキ)の人、などかなからん。己(オノ)れすなほならねど、 人の賢(ケン)を見て羨(ウラヤ)むは、尋常(ヨノツネ)なり。至りて愚かなる人 は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、少 (スコ)しきの利を受けず、偽(イツハ)り飾りて名を立てんとす」と謗(ソシ)る。 己れが心に違(タガ)へるによりてこの嘲(アザケ)りをなすにて知りぬ、この人 は、下愚(カグ)の性(セイ)移るべからず、偽りて小利(セウリ)をも辞(ジ)すべ からず、仮りにも賢を学ぶべからず。

狂人の真似(マネ)とて大路(オホチ)を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似と て人を殺さば、悪人なり。驥(キ)を学ぶは驥の類(タグ)ひ、舜(シユン)を学ぶ は舜の徒(トモガラ)なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

■第八十六段

惟継(コレツグノ)中納言は、風月(フゲツ)の才(ザエ)に富める人なり。一生 精進(イツシヤウシヤウジン)にて、読経(ドツキヤウ)うちして、寺法師(テラ ボフシ)の円伊僧正(ヱンインソウジヤウ)と同宿して侍りけるに、文保(ブンポ ウ)に三井寺(ミヰデラ)焼かれし時、坊主にあひて、「御坊(ゴボウ)をば寺法 師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけ り。いみじき秀句(シウク)なりけり。

■第八十七段

下部(シモベ)に酒飲まする事は、心すべきことなり。宇治(ウヂ)に住み侍り けるをのこ、京に、具覚房(グカクボウ)とて、なまめきたる遁世(トンゼイ)の 僧を、こじうとなりければ、常に申し睦(ムツ)びけり。或時(アルトキ)、迎へ に馬を遣(ツカハ)したりければ、「遥(ハル)かなるほどなり。口(クチ)づきの をのこに、先(マ)づ一度せさせよ」とて、酒を出だしたれば、さし受けさし受 け、よゝと飲みぬ。

太刀(タチ)うち佩(ハ)きてかひがひしげなれば、頼(タノ)もしく覚えて、召( メ)し具(グ)して行くほどに、木幡(コハダ)のほどにて、奈良法師(ナラボフシ) の、兵士(ヒヤウジ)あまた具(ア)して逢ひたるに、この男立ち向ひて、「日暮 れにたる山中(サンチユウ)に、怪しきぞ。止(トマ)り候へ」と言ひて、太刀を 引き抜きければ、人も皆、太刀抜き、矢はげなどしけるを、具覚房、手を摺( ス)りて、「現(ウツ)し心なく酔(ヱ)ひたる者に候ふ。まげて許し給はらん」 と言ひければ、おのおの嘲(アザケ)りて過ぎぬ。この男、具覚房にあひて、「 御房(ゴバウ)は口惜しき事し給ひつるものかな。己れ酔ひたる事侍らず。高名 (カウミヤウ)仕らんとするを、抜ける太刀空(ムナ)しくなし給ひつること」と 怒りて、ひた斬りに斬り落としつ。

さて、「山だちあり」とのゝしりければ、里人(サトビト)おこりて出であへ ば、「我こそ山だちよ」と言ひて、走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたし て手負(テオ)ほせ、打ち伏せて縛(シバ)りけり。馬は血つきて、宇治大路(ウ ヂノオホチ)の家に走り入りたり。あさましくて、をのこどもあまた走らかし たれば、具覚房はくちなし原にによひ伏したるを、求め出でて、舁(カ)きもて 来つ。辛き命(イノチ)生きたれど、腰斬り損(ソン)ぜられて、かたはに成りに けり。

■第八十八段

或者(アルモノ)、小野道風(ヲノノタウフウ)の書ける和漢朗詠集(ワカンラウ エイシフ)とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝(ゴサウデン)、浮ける事に は侍らじなれども、四条(シデウノ)大納言撰(エラ)ばれたる物を、道風書かん 事、時代や違(タガ)ひ侍らん。覚束(オボツカ)なくこそ」と言ひければ、「さ 候(サウラ)へばこそ、世にあり難(ガタ)き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘 蔵(ヒサウ)しけり。

■第八十九段

「奥山に、猫(ネコ)またといふものありて、人を食(クラ)ふなる」と人の言 ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上(ヘアガ)りて、猫またに成 りて、人とる事はあンなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏(ナニア ミダブツ)とかや、連歌(レンガ)しける法師の、行願寺(ギヤウグワンジ)の辺 にありけるが聞きて、独り歩(アリ)かん身は心すべきことにこそと思ひける比 (コロ)しも、或所にて夜更(ヨフ)くるまで連歌して、たゞ独り帰りけるに、小 川(コガハ)の端(ハタ)にて、音(オト)に聞きし猫また、あやまたず、足許(ア シモト)へふと寄り来て、やがてかきつくまゝに、頚(クビ)のほどを食はんと す。肝心(キモゴコロ)も失せて、防(フセ)かんとするに力もなく、足も立たず、 小川へ転び入りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より、松ど もともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こは如何(イ カ)に」とて、川の中より抱(イダ)き起したれば、連歌の賭物(カケモノ)取り て、扇(アフギ)・小箱(コバコ)など懐(フトコロ)に持ちたりけるも、水に入り ぬ。希有(ケウ)にして助かりたるさまにて、這(ハ)ふ這ふ家に入りにけり。

飼ひける犬の、暗けれど、主(ヌシ)を知りて、飛び付きたりけるとぞ。

■第九十段

大納言法印(ホフイン)の召使(メシツカ)ひし乙鶴丸(オトヅルマル)、やすら 殿といふ者を知りて、常に行(ユ)き通(カヨ)ひしに、或時出でて帰り来たるを、 法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがり罷(マカ)りて 候ふ」と言ふ。「そのやすら殿は、男か法師か」とまた問はれて、袖掻(ソデ カ)き合せて、「いかゞ候ふらん。頭(カシラ)をば見候はず」と答へ申しき。

などか、頭(カシラ)ばかりの見えざりけん。

■第九十一段

赤舌日(シヤクゼチニチ)といふ事、陰陽道(オンヤウダウ)には沙汰(サタ)な き事なり。昔の人、これを忌(イ)まず。この比、何者(ナニモノ)の言ひ出でて 忌み始めけるにか、この日ある事、末とほらずと言ひて、その日言ひたりしこ と、したりしことかなはず、得たりし物は失(ウシナ)ひつ、企(クハタ)てたり し事成らずといふ、愚かなり。吉日(キチニチ)を撰びてなしたるわざの末とほ らぬを数(カゾ)へて見んも、また等しかるべし。

その故は、無常変易(ムジヤウヘンエキ)の境(サカヒ)、ありと見るものも存 ぜず。始めある事も終りなし。志(ココロザシ)は遂げず。望みは絶えず。人の 心不定(フジヤウ)なり。物皆幻化(モノミナゲンゲ)なり。何事か暫(シバラ)く も住(ヂユウ)する。この理(コトワリ)を知らざるなり。「吉日(キチニチ)に悪 をなすに、必ず凶なり。悪日(アクニチ)に善を行ふに、必ず吉なり」と言へり。 吉凶(キツキヨウ)は、人によりて、日によらず。

■第九十二段

或人(アルヒト)、弓射(イ)る事を習ふに、諸矢(モロヤ)をたばさみて的に向( ムカ)ふ。師の云はく、「初心(シヨシン)の人、二つの矢を持つ事なかれ。後( ノチ)の矢を頼(タノ)みて、始めの矢に等閑(ナホザリ)の心あり。毎度(マイド)、 たゞ、得失(トクシツ)なく、この一矢(ヒトヤ)に定(サダ)むべしと思へ」と云 ふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠(ケ ダイ)の心、みづから知らずといへども、師これを知る。この戒(イマシ)め、 万事(バンジ)にわたるべし。

道(ミチ)を学(ガク)する人、夕(ユウベ)には朝(アシタ)あらん事を思ひ、朝 には夕あらん事を思ひて、重ねてねんごろに修(シユ)せんことを期(ゴ)す。況 (イハ)んや、一刹那(セツナ)の中において、懈怠の心ある事を知らんや。何ぞ、 たゞ今の一念において、直(タダ)ちにする事の甚(ハナハ)だ難(カタ)き。

■第九十三段

「牛を売る者あり。買ふ人、明日(アス)、その値(アタヒ)をやりて、牛を取 らんといふ。夜(ヨ)の間(マ)に牛死ぬ。買はんとする人に利あり、売らんとす る人に損あり」と語る人あり。

これを聞きて、かたへなる者の云はく、「牛の主(ヌシ)、まことに損ありと いへども、また、大きなる利あり。その故は、生(シヤウ)あるもの、死の近き 事を知らざる事、牛、既にしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、 はからざるに主は存ぜり。一日の命、万金(マンキン)よりも重し。牛の値、鵝 毛(ガマウ)よりも軽(カロ)し。万金を得て一銭を失はん人、損ありと言ふべか らず」と言ふに、皆人(ミナヒト)嘲りて、「その理は、牛の主に限るべからず 」と言ふ。

また云はく、「されば、人、死を憎まば、生(シヤウ)を愛すべし。存命(ゾン メイ)の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、い たづがはしく外(ホカ)の楽しびを求め、この財(タカラ)を忘れて、危(アヤフ) く他の財を貪るには、志(ココロザシ)満つ事なし。行ける間生を楽しまずして、 死に臨(ノゾ)みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、 死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るゝなり。も しまた、生死(シヤウジ)の相(ソウ)にあづからずといはば、実(マコト)の理を 得たりといふべし」と言ふに、人、いよいよ嘲る。

■第九十四段

常磐井相国(トキハヰノシヤウコク)、出仕(シユツシ)し給ひけるに、勅書(チ ヨクシヨ)を持ちたる北面(ホクメン)あひ奉りて、馬より下りたりけるを、相 国、後に、「北面某(ナニガシ)は、勅書を持ちながら下馬(ゲバ)し侍りし者な り。かほどの者、いかでか、君に仕うまつり候ふべき」と申されければ、北面 を放たれにけり。

勅書を、馬の上ながら、捧(ササ)げて見せ奉るべし、下るべからずとぞ。

■第九十五段

「箱(ハコ)のくりかたに緒(ヲ)を付くる事、いづかたに付け侍るべきぞ」と、 ある有職(イウシヨク)の人に尋ね申し侍りしかば、「軸(ヂク)に付け、表紙に 付くる事、両説(リヤウセツ)なれば、いづれも難(ナン)なし。文(フミ)の箱は、 多くは右に付く。手箱(テバコ)には、軸に付くるも常の事なり」と仰せられき。

■第九十六段

めなもみといふ草あり。くちばみに螫(サ)されたる人、かの草を揉(モ)みて 付けぬれば、即ち癒(イ)ゆとなん。見知りて置くべし。

■第九十七段

その物に付きて、その物をつひやし損ふ物、数を知らずあり。身に蝨(シラミ) あり。家に鼠(ネズミ)あり。国に賊(ゾク)あり。小人(セウジン)に財(ザイ)あ り。君子(クンシ)に仁義(ジンギ)あり。僧に法(ホフ)あり。

■第九十八段

尊(タフト)きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談(イチゴンハウ ダン)とかや名づけたる草子(サウシ)を見侍りしに、心に合ひて覚えし事ども。

一 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり。

一 後世(ゴセ)を思はん者は、糂汰瓶(ジンダガメ)一つも持つまじきことなり。 持経(ヂキヤウ)・本尊(ホンゾン)に至るまで、よき物を持つ、よしなき事なり。

一 遁世者(トンゼイジヤ)は、なきにことかけぬやうを計(ハカラ)ひて過ぐる、 最上のやうにてあるなり。

一 上臈(ジヤウラフ)は下臈(ゲラフ)に成り、智者(チシヤ)は愚者(グシヤ)に 成り、徳人(トクニン)は貧(ヒン)に成り、能ある人は無能に成るべきなり。

一 仏道を願ふといふは、別の事なし。暇(イトマ)ある身になりて、世の事を 心にかけぬ

を、第一の道とす。

この外もありし事ども、覚えず。

■第九十九段

堀川相国(ホリカハノシヤウコク)は、美男(ビナン)のたのしき人にて、その こととなく過差(クワサ)を好み給ひけり。御子(オンコ)基俊卿(モトトシ)を大 理(ダイリ)になして、庁務(チヤウム)行はれけるに、庁屋(チヨウヤ)の唐櫃( カラヒツ)見苦しとて、めでたく作り改めらるべき由(ヨシ)仰せられけるに、 この唐櫃は、上古(シヤウコ)より伝はりて、その始めを知らず、数百年(スヒ ヤクネン)を経たり。累代(ルヰタイ)の公物(クモツ)、古弊(コヘイ)をもちて 規模とす。たやすく改められ難き由、故実(コシツ)の諸官等申しければ、その 事止みにけり。

■第百段

久我相国(コガノシヤウコク)は、殿上(テンジヤウ)にて水を召(メ)しけるに、 主殿司(トノモヅカサ)、土器(カハラケ)を奉りければ、「まがりを参らせよ」 とて、まがりしてぞ召しける。

■第百一段

或人(アルヒト)、任大臣(ニンダイジン)の節会(セチヱ)の内辨(ナイベン)を 勤められけるに、内記(ナイキ)の持ちたる宣命(センミヤウ)を取らずして、堂 上(タウシヤウ)せられにけり。極まりなき失礼(シチライ)なれども、立ち帰り 取るべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位外記康綱(ロクヰノゲキヤ スツナ)、衣被(キヌカヅ)きの女房をかたらひて、かの宣命を持たせて、忍び やかに奉らせけり。いみじかりけり。

■第百二段

尹(インノ)大納言光忠卿(ミツタダノキヤウ)、追儺(ツヰナ)の上卿(シヤウケ イ)を勤められけるに、洞院(トウヰンノ)右大臣殿に次第(シダイ)を申し請(ウ) けられければ、「又五郎男(マタゴラウヲノコ)を師とするより外(ホカ)の才覚 (サイカク)候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士(ヱジ)の、 よく公事(クジ)に慣れたる者にてぞありける。

近衛(コノヱ)殿著陣(チヤクヂン)し給ひける時、軾(ヒザツキ)を忘れて、外 記(ゲキ)を召されければ、火たきて候ひけるが、「先づ、軾を召さるべくや候 ふらん」と忍びやかに呟(ツブヤ)きける、いとをかしかりけり。

■第百三段

大覚寺殿(ダイカクジドノ)にて、近習(キンジユ)の人ども、なぞなぞを作り て解かれける処へ、医師忠守(クスシタダモリ)参りたりけるに、侍従(ジジユ ウ)大納言公明卿(キンアキラノキヤウ)、「我が朝(テウ)の者とも見えぬ忠守 かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐医師(カライシ)」と解きて笑ひ合 はれければ、腹立ちて退(マカ)り出(イ)でにけり。

■第百四段

荒れたる宿の、人目(ヒトメ)なきに、女の、憚(ハバカ)る事ある比(コロ)に て、つれづれと籠(コモ)り居たるを、或人、とぶらひ給はんとて、夕月夜(ユ フヅクヨ)のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことことし くとがむれば、下衆女(ゲスヲンナ)の、出でて、「いづくよりぞ」と言ふに、 やがて案内せさせて、入り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで過ぐすらんと、 いと心ぐるし。あやしき板敷(イタジキ)に暫(シバ)し立ち給へるを、もてしづ めたるけはひの、若(ワカ)やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあ け所狭(トコロセ)げなる遣戸(ヤリド)よりぞ入り給ひぬる。

内(ウチ)のさまは、いたくすさまじからず。心にくゝ、火はあなたにほのか なれど、もののきらなど見えて、俄(ニハ)かにしもあらぬ匂ひいとなつかしう 住みなしたり。「門(カド)よくさしてよ。雨もぞ降る、御車(ミクルマ)は門の 下に、御供(オトモ)の人はそこそこに」と言へば、「今宵(コヨヒ)ぞ安き寝( イ)は寝(ヌ)べかンめる」とうちさゝめくも、忍びたれど、程なければ、ほの 聞(キコ)ゆ。

さて、このほどの事ども細やかに聞え給ふに、夜深(ヨブカ)き鳥も鳴きぬ。 来(コ)し方・行末(ユクスヱ)かけてまめやかなる御(オン)物語に、この度(タ ビ)は鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜 深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙(ヒマ)白くなれ ば、忘れ難き事など言ひて立ち出(イ)で給ふに、梢(コズヱ)も庭もめづらしく 青み渡りたる卯月(ウヅキ)ばかりの曙(アケボノ)、艶(エン)にをかしかりしを 思(オボ)し出でて、桂の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。

■第百五段

北の屋蔭(ヤカゲ)に消え残りたる雪の、いたう凍(コホ)りたるに、さし寄せ たる車の轅(ナガエ)も、霜いたくきらめきて、有明(アリアケ)の月、さやかな れども、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂(ミダウ)の廊(ラウ)に、なみなみ にはあらずと見ゆる男(ヲトコ)、女(ヲンナ)となげしに尻かけて、物語するさ まこそ、何事かあらん、尽(ツ)きすまじけれ。

かぶし・かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂ひのさと薫(カホ)りた るこそ、をかしけれ。けはひなど、はつれつれ聞こえたるも、ゆかし。

■第百六段

高野証空上人(カウヤノシヨウクウシヤウニン)、京へ上りけるに、細道(ホソ ミチ)にて、馬に乗りたる女の、行(ユ)きあひたりけるが、口曳(ヒ)きける男、 あしく曳きて、聖(ヒジリ)の馬を堀へ落してンげり。

聖、いと腹悪(ハラア)しくとがめて、「こは希有(ケウ)の狼藉(ラウゼキ)か な。四部(シブ)の弟子はよな、比丘(ビク)よりは比丘尼(ビクニ)に劣り、比丘 尼より優婆塞(ウバソク)は劣り、優婆塞より優婆夷(ウバイ)は劣れり。かくの 如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入(ケイ)れさする、未曾有(ミゾウ) の悪行(アクギヤウ)なり」と言はれければ、口曳きの男、「いかに仰せらるゝ やらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、上人、なほいきまきて、「何と言ふぞ、 非修非学(ヒシュヒガク)の男」とあらゝかに言ひて、極まりなき放言(ハウゴ ン)しつと思ひける気色(ケシキ)にて、馬ひき返して逃げられにけり。

尊(タフト)かりけるいさかひなるべし。

■第百七段

「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきも のぞ」とて、亀山(カメヤマノ)院の御時、しれたる女房ども、若き男達(オノ コタチ)の参らるる毎に、「郭公(ホトトギス)や聞き給へる」と問ひて心見(コ コロミ)られけるに、某(ナニガシ)の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞 き候はず」と答へられけり。堀川(ホリカハノ)内大臣殿は、「岩倉(イハクラ) にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難(ナン)なし。数 ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。

すべて、男(オノコ)をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土 寺前(ジヤウドジノサキノ)関白殿は、幼(ヲサナ)くて、安喜門院(アンキモン) のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞(オンコトバ)などのよきぞ」と、人 の仰せられけるとかや。山階(ヤマシナノ)左大臣殿は、「あやしの下女(シモ ヲンナ)の身奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰せられけ れ。女のなき世なりせば、衣文(エモン)も冠(カムリ)も、いかにもあれ、ひき つくろふ人も侍らじ。

かく人に恥ぢらるゝ女、如何(イカ)ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性( シヤウ)は皆ひがめり。人我(ニンガ)の相(サウ)深く、貪欲甚(トンヨクハナハ) だしく、物の理(コトワリ)を知らず。たゞ、迷ひの方に心も速く移り、詞(コ トバ)も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、ま た、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男 の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、跡(アト)より顕(アラ)はるゝを知 らず。すなほならずして拙(ツタナ)きものは、女なり。その心に随(シタガ)ひ てよく思はれん事は、心憂(ココロウ)かるべし。されば、何かは女の恥づかし からん。もし賢女(ケンジヨ)あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。 たゞ、迷ひを主(アルジ)としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚(オボ) ゆべき事なり。

■第百八段

寸陰惜(スンインヲ)しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かに して怠る人のために言はば、一銭軽(イツセンカロ)しと言へども、これを重ぬ れば、貧しき人を富める人となす。されば、商人(アキビト)の、一銭を惜しむ 心、切(セツ)なり。刹那(セツナ)覚えずといへども、これを運びて止まざれば、 命を終(ヲ)ふる期(ゴ)、忽(タチマ)ちに至る。

されば、道人(ダウニン)は、遠く日月(ニチグワツ)を惜しむべからず。たゞ 今の一念(イチネン)、空(ムナ)しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、 我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日(ケフ)の暮るゝ間、 何事をか頼み、何事をか営まん。我等(ワレラ)が生ける今日の日、何ぞ、その 時節(ジセツ)に異ならん。一日のうちに、飲食(オンジキ)・便利(ベンリ)・睡 眠(スヰメン)・言語(ゴンゴ)・行歩(ギヤウブ)、止む事を得ずして、多くの時 を失ふ。その余りの暇幾(イトマイク)ばくならぬうちに、無益(ムヤク)の事を なし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟(シユヰ)して時を移すのみならず、日 を消(セウ)し、月を亘(ワタ)りて、一生を送る、尤(モツト)も愚かなり。

謝霊運(シヤレイウン)は、法華(ホツケ)の筆受(ヒツジユ)なりしかども、心、 常(ツネ)に風雲(フウウン)の思(オモヒ)を観(クワン)ぜしかば、恵遠(ヱヲン)、 白蓮(ビヤクレン)の交(マジハ)りを許さざりき。暫(シバラ)くもこれなき時は、 死人に同じ。光陰(クワウイン)何のためにか惜しむとならば、内(ウチ)に思慮 なく、外(ホカ)に世事(セジ)なくして、止まん人は止み、修(シュ)せん人は修 せよとなり。

■第百九段

高名(カウミヤウ)の木登りといひし男(ヲノコ)、人を掟(オキ)てて、高き木 に登(ノボ)せて、梢(コズヱ)を切らせしに、いと危(アヤフ)く見えしほどは言 ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長(ノキタケ)ばかりに成りて、「あやまちすな。 心して降りよ」と言葉をかけ侍(ハンベ)りしを、「かばかりになりては、飛び 降るとも降りなん。如何(イカ)にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に 候(サウラ)ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あや まちは、安き所に成りて、必ず仕(ツカマツ)る事に候ふ」と言ふ。

あやしき下臈(ゲラフ)なれども、聖人の戒(イマシ)めにかなへり。鞠(マリ) も、難(カタ)き所を蹴(ケ)出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。

■第百十段

双六(スゴロク)の上手(ジヤウズ)といひし人に、その手立(テダテ)を問ひ侍 りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾 (ト)く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目(ヒトメ)なりともおそ く負くべき手につくべし」と言ふ。

道を知れる教(ヲシヘ)、身を治(ヲサ)め、国を保(タモ)たん道も、またしか なり。

■第百十一段

「囲碁(ヰゴ)・双六(スグロク)好みて明かし暮らす人は、四重(シヂユウ)・ 五逆(ゴギヤク)にもまされる悪事とぞ思ふ」と、或ひじりの申しし事、耳に止 (トド)まりて、いみじく覚え侍り。

■第百十二段

明日は遠き国へ赴(オモム)くべしと聞かん人に、心閑(シヅ)かになすべから んわざをば、人言ひかけてんや。俄(ニハ)かの大事をも営み、切(セツ)に歎( ナゲ)く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁(ウレ)へ・喜びをも問は ず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌(タ)け、 病にもまつはれ、況(イハ)んや世をも遁(ノガ)れたらん人、また、これに同じ かるべし。

人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗(セゾク)の黙(モク)し難きに 随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇(イトマ)もなく、 一生は、雑事(ザフジ)の小節(セウセツ)にさへられて、空しく暮れなん。日暮 れ、塗(ミチ)遠し。吾が生既に蹉蛇(サダ)たり。諸縁(シヨエン)を放下(ハウ ゲ)すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、 物狂ひとも言へ、うつつなし、情(ナサケ)なしとも思へ。毀(ソシ)るとも苦し まじ。誉むとも聞き入れじ。

■第百十三段

四十(ヨソヂ)にも余りぬる人の、色めきたる方(カタ)、おのづから忍びてあ らんは、いかゞはせん、言(コト)に打ち出でて、男・女の事、人の上(ウヘ)を も言ひ戯(タハブ)るゝこそ、にげなく、見苦しけれ。

大方、聞きにくゝ、見苦しき事、老人(オイビト)の、若き人に交りて、興(キ ヤウ)あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさ まに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人(マラウト)に饗応(アルジ)せんと きらめきたる。

■第百十四段

今出川(イマデガハ)の大殿(オホイトノ)、嵯峨(サガ)へおはしけるに、有栖 川(アリスガハ)のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸(サイワウマル)、御 牛(オンウシ)を追ひたりければ、あがきの水、前板(マヘイタ)までさゝとかゝ りけるを、為則(タメノリ)、御車(ミクルマ)のしりに候ひけるが、「希有(ケ ウ)の童(ワラハ)かな。かゝる所にて御牛(オンウシ)をば追ふものか」と言ひ たりければ、大殿、御気色(ミケシキ)悪(ア)しくなりて、「おのれ、車やらん 事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭(カシラ)を打 ち当てられにけり。この高名(カウミヤウ)の賽王丸は、太秦殿(ウヅマサドノ) の男、料(レウ)の御牛飼(オンウシカヒ)ぞかし。

この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一 人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。

■第百十五段

宿河原(シュクガハラ)といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品(クホン) の念仏を申しけるに、外(ホカ)より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中 (オンナカ)に、いろをし房(バウ)と申すぼろやおはします」と尋ねければ、そ の中より、「いろをし、こゝに候ふ。かくのたまふは、誰(タ)そ」と答ふれば、 「しら梵字(ボンジ)と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国(ト ウゴク)にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承(ウケタマハ)りしかば、 その人に逢ひ奉(タテマツ)りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言 ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し 奉らば、道場(ダウヂヤウ)を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかし こ、わきざしたち、いづ方(カタ)をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひになら ば、仏事(ブツジ)の妨(サマタ)げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出 であひて、心行くばかりに貫(ツラヌ)き合ひて、共に死ににけり。

ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢 字など云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て我執(ガシ フ)深く、仏道を願ふに似て闘諍(トウジヤウ)を事(コト)とす。放逸(ハウイツ) ・無慙(ムザン)の有様なれども、死を軽(カロ)くして、少しもなづまざるかた のいさぎよく覚えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり。

■第百十六段

寺院の号(ガウ)、さらぬ万(ヨロヅ)の物にも、名を付くる事、昔の人は、少 しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この比(コロ)は、深 く案じ、才覚(サイカク)をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。 人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益(エキ)なき事なり。

何事も、珍しき事を求め、異説(イセツ)を好むは、浅才(センザイ)の人の必 ずある事なりとぞ。

■第百十七段

友とするに悪(ワロ)き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二 つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つ には、たけく、勇(イサ)める兵(ツハモノ)。六つには、虚言(ソラゴト)する人。 七つには、欲深き人。

よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師(クスシ)。三つに は、智恵ある友。

■第百十八段

鯉(コヒ)の羹(アツモノ)食ひたる日は、鬢(ビン)そゝけずとなん。膠(ニカハ) にも作るものなれば、粘りたるものにこそ。

鯉ばかりこそ、御前(ゴゼン)にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚(ウ ヲ)なり。鳥には雉(キジ)、さうなきものなり。雉・松茸などは、御湯殿(ミユ ドノ)の上に懸(カカ)りたるも苦しからず。その外は、心うき事なり。中宮の 御方(オンカタ)の御湯殿の上の黒み棚(ダナ)に雁(カリ)の見えつるを、北山( キタヤマノ)入道殿の御覧じて、帰らせ給ひて、やがて、御文(オンフミ)にて、 「かやうのもの、さながら、その姿にて御棚(ミタナ)にゐて候ひし事、見慣は ず、さまあしき事なり。はかばかしき人のさふらはぬ故にこそ」など申された りけり。

■第百十九段

鎌倉の海に、鰹(カツヲ)と言ふ魚は、かの境(サカ)ひには、さうなきものに て、この比(ゴロ)もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄(トシヨリ)の申し侍 りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事 侍らざりき。頭(カシラ)は、下部(シモベ)も食はず、切りて捨て侍りしものな り」と申しき。

かやうの物も、世の末(スヱ)になれば、上(カミ)ざままでも入りたつわざに こそ侍れ。

■第百二十段

唐(カラ)の物は、薬(クスリ)の外は、みななくとも事欠くまじ。書(フミ)ど もは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。唐土舟(モロコシブネ)の、 たやすからぬ道に、無用(ムヨウ)の物どものみ取り積みて、所狭(トコロセ)く 渡しもて来る、いと愚かなり。

「遠き物を宝とせず」とも、また、「得難(エガタ)き貨(タカラ)を貴(タフト) まず」とも、文(フミ)にも侍るとかや。

■第百二十一段

養ひ飼ふものには、馬・牛。繋(ツナ)ぎ苦しむるこそいたましけれど、なく てかなはぬものなれば、いかゞはせん。犬は、守り防(フセ)くつとめ人にもま さりたれば、必ずあるべし。されど、家毎(イヘゴト)にあるものなれば、殊更 (コトサラ)に求め飼はずともありなん。

その外の鳥・獣(ケダモノ)、すべて用なきものなり。走る獣(ケダモノ)は、 檻(ヲリ)にこめ、鎖をさゝれ、飛ぶ鳥は、翅(ツバサ)を切り、籠(コ)に入れら れて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁(ウレヘ)、止(ヤ)む時なし。その思ひ、我が身 にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。生(シヨウ)を苦しめ て目を喜ばしむるは、桀(ケツ)・紂(チウ)が心なり。王子(ワウシ)猷(イウ)が 鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遙(セウエウ)の友としき。捕へ苦しめたる にあらず。

凡(オヨ)そ、「珍らしき禽(トリ)、あやしき獣、国に育(ヤシナ)はず」とこ そ、文(フミ)にも侍るなれ。

■第百二十二段

人の才能(サイノウ)は、文(フミ)明らかにして、聖(ヒジリ)の教(ヲシヘ)を 知れるを第一とす。次には、手書く事、むねとする事はなくとも、これを習ふ べし。学問に便(タヨ)りあらんためなり。次に、医術を習ふべし。身を養ひ、 人を助け、忠孝の務(ツトメ)も、医にあらずはあるべからず。次に、弓射(ユ ミイ)、馬に乗る事、六芸(リクゲイ)に出(イ)だせり。必ずこれをうかゞふべ し。文(ブン)・武(ブ)・医(イ)の道、まことに、欠けてはあるべからず。これ を学ばんをば、いたづらなる人といふべからず。次に、食(シヨク)は、人の天 なり。よく味(アジ)はひを調(トトノ)へ知れる人、大きなる徳とすべし。次に 細工(サイク)、万(ヨロヅ)に要(エウ)多し。

この外の事ども、多能(タノウ)は君子の恥づる処なり。詩歌(シイカ)に巧(タ ク)みに、糸竹(シチク)に妙(タエ)なるは幽玄(イウゲン)の道、君臣(クンシン) これを重くすといへども、今の世には、これをもちて世を治むる事、漸(ヤウ ヤ)くおろかになるに似(ニ)たり。金(コガネ)はすぐれたれども、鉄(クロガネ) の益(ヤク)多きに及(シ)かざるが如し。

■第百二十三段

無益(ムヤク)のことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事(ヒガコト) する人とも言ふべし。国のため、君のために、止むことを得ずして為すべき事 多し。その余りの暇(イトマ)、幾(イク)ばくならず。思ふべし、人の身に止む ことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居(ヰ)る所なり。 人間の大事、この三つには過ぎず。饑(ウ)ゑず、寒からず、風雨に侵されずし て、閑(シズ)かに過(スグ)すを楽しびとす。たゞし、人皆病(ヤマイ)あり。病 に冒されぬれば、その愁(ウレヘ)忍び難し。医療(イレウ)を忘るべからず。薬 を加へて、四(ヨ)つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富( ト)めりとす。この四つの外を求め営むを奢(オゴ)りとす。四つの事倹約(ケン ヤク)ならば、誰(タレ)の人か足らずとせん。

■第百二十四段

是法(ゼホフ)法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、学匠(ガクシヤウ)を立て ず、たゞ、明暮(アケクレ)念仏して、安らかに世を過(スグ)す有様、いとあら まほし。

■第百二十五段

人におくれて、四十九日(シジフクニチ)の仏事(ブツジ)に、或(アル)聖を請( シヤウ)じ侍りしに、説法(セツポフ)いみじくして、皆人涙を流しけり。導師( ダウシ)帰りて後、聴聞(チヤウモン)の人ども、「いつよりも、殊(コト)に今 日(ケフ)は尊(タフト)く覚え侍りつる」と感じ合へりし返事(カヘリコト)に、 或者の云(イ)はく、「何とも候(サウラ)へ、あれほど唐(カラ)の狗(イヌ)に似 候(ニサウラ)ひなん上は」と言ひたりしに、あはれもさめて、をかしかりけり。 さる、導師の讃(ホ)めやうやはあるべき。

また、「人に酒勧(スス)むるとて、己れ先(マ)づたべて、人に強(シ)ひ奉ら んとするは、剣にて人を斬らんとするに似たる事なり。二方(フタカタ)に刃( ハ)つきたるものなれば、もたぐる時、先づ我が頭(カシラ)を斬る故に、人を ばえ斬らぬなり。己れ先づ酔(ヱ)ひて臥(フ)しなば、人はよも召さじ」と申し き。剣にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。

■第百二十六段

「ばくちの、負極(マケキハ)まりて、残りなく打ち入れんとせんにあひては、 打つべからず。立ち返り、続けて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知 るを、よきばくちといふなり」と、或者(アルモノ)申しき。

■第百二十七段

改めて益(ヤク)なき事は、改めぬをよしとするなり。

改めて益なき事は、改めぬを力(ヨリドコロ)とするなり。(正徹本)

改めて益なき事は、改めぬを心とするなり。(常縁本)

■第百二十八段

雅房(マサフサノ)大納言は、才(ザエ)賢く、よき人にて、大将にもなさばや と思(オボ)しける比、院の近習(キンジユ)なる人、「たゞ今、あさましき事を 見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹( タカ)に飼はんとて、生きたる犬の足を斬り侍りつるを、中墻(ナカガキ)の穴 より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎く思(オボ)しめして、日来( ヒゴロ)の御気色(ミケシキ)も違(タガ)ひ、昇進(シヤウジン)もし給はざりけ り。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事な り。虚言(ソラゴト)は不便(フビン)なれども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ま せ給ひける君の御心(ミココロ)は、いと尊き事なり。

大方(オホカタ)、生ける物を殺し、傷(イタ)め、闘(タタカ)はしめて、遊び 楽しまん人は、畜生残害(チクシヤウサンガイ)の類(タグイ)なり。万の鳥獣( トリケダモノ)、小さき虫までも、心をとめて有様(アリサマ)を見るに、子を 思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴(トモナ)ひ、嫉(ネタ)み、怒り、欲多く、 身を愛し、命(イノチ)を惜しめること、偏(ヒト)へに愚痴(グチ)なる故に、人 よりもまさりて甚(ハナハ)だし。彼に苦しみを与へ、命を奪(ウバ)はん事、い かでかいたましからざらん。

すべて、一切(イツサイ)の有情(ウジヤウ)を見て、慈悲(ジヒ)の心なからん は、人倫(ジンリン)にあらず。

■第百二十九段

顔回(グワンカイ)は、志(ココロザシ)、人に労(ラウ)を施(ホドコ)さじとな り。すべて、人を苦しめ、物を虐ぐ(シヘタ)る事、賤しき民の志をも奪ふべか らず。また、いときなき子を賺(スカ)し、威(オド)し、言ひ恥(ハヅ)かしめて、 興ずる事あり。おとなしき人は、まことならねば、事にもあらず思へど、幼き 心には、身に沁(シ)みて、恐ろしく、恥かしく、あさましき思ひ、まことに切 (セツ)なるべし。これを悩まして興ずる事、慈悲(ジヒ)の心にあらず。おとな しき人の、喜び、怒り、哀しび、楽しぶも、皆虚妄(コマウ)なれども、誰(タ レ)か実有(ジツウ)の相(サウ)に著(ヂヤク)せざる。

身をやぶるよりも、心を傷(イタ)ましむるは、人を害(ソコナ)ふ事なほ甚(ハ ナハ)だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外より来る病は少し。薬を 飲みて汗を求むるには、験(シルシ)なきことあれども、一旦恥ぢ、恐るゝこと あれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲(リヤ ウウン)の額(ガク)を書きて白頭(ハクトウ)の人と成りし例(タメシ)、なきに あらず。

■第百三十段

物に争はず、己れを枉(マ)げて人に従ひ、我が身を後(ノチ)にして、人を先 にするには及(シ)かず。

万(ヨロヅ)の遊びにも、勝負(カチマケ)を好む人は、勝ちて興(キョウ)あら んためなり。己れが芸のまさりたる事を喜ぶ。されば、負けて興なく覚(オボ) ゆべき事、また知られたり。我負けて人を喜ばしめんと思はば、更(サラ)に遊 びの興なかるべし。人(ホイ)に本意なく思はせて我が心を慰めん事、徳に背( ソム)けり。睦(ムツマ)しき中に戯(タハブ)るゝも、人に計(ハカ)り欺(アザム) きて、己れが智(チ)のまさりたる事を興とす。これまた、礼にあらず。されば、 始め興宴(キヨウエン)より起りて、長き恨みを結ぶ類(タグイ)多し。これみな、 争ひを好む失(シツ)なり。

人にまさらん事を思はば、たゞ学問して、その智を人に増さんと思ふべし。 道を学ぶとならば、善に伐(ホコ)らず、輩(トモガラ)に争ふべからずといふ事 を知るべき故なり。大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、たゞ、学問の力な り。

■第百三十一段

貧しき物は、財(タカラ)をもッて礼とし、老いたる者は、力をもッて礼とす。 己(オノ)が分(ブン)を知りて、及ばざる時は速(スミヤ)かに止(ヤ)むを、智と いふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強(シ)ひて励むは、 己れが誤りなり。

貧しくして分を知らざれば盗(ヌス)み、力衰へて分を知らざれば病(ヤマヒ) を受く。

■第百三十二段

鳥羽(トバ)の作道(ツクリミチ)は、鳥羽殿建てられて後の号(ナ)にはあらず。 昔よりの名なり。元良親王(モトヨシノシンノウ)、元日(グワンニチ)の奏賀( ソウガ)の声、甚だ殊勝(シユシヨウ)にして、大極殿(ダイコクデン)より鳥羽 の作道まで聞えけるよし、李部(リホウ)王(ワウ)の記に侍るとかや。

■第百三十三段

夜の御殿(オトド)は、東御枕(ミマクラ)なり。大方(オホカタ)、東を枕とし て陽気(ヤウキ)を受くべき故に、孔子も東首(トウシユ)し給へり。寝殿(シン デン)のしつらひ、或(アルヒ)は南枕、常(ツネ)の事なり。白河院(シラカハノ) は、北首(ホクシユ)に御寝(ギヨシン)なりけり。「北は忌(イ)む事なり。また、 伊勢(イセ)は南なり。太神宮(ダイジングウ)の御方(オンカタ)を御跡(オンア ト)にせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。たゞし、太神宮の遥拝(エウハイ) は、巽(タウミ)に向はせ給ふ。南にはあらず。

■第百三十四段

高倉(タカクラノ)院の法華(ホツケ)堂の三昧僧(ザンマイソウ)、なにがしの 律師(リツシ)とかやいふもの、或時(アルトキ)、鏡を取りて、顔をつくづくと 見て、我がかたちの見にくゝ、あさましき事余りに心うく覚えて、鏡さへうと ましき心地しければ、その後(ノチ)、長く、鏡を恐れて、手にだに取らず、更 に、人に交はる事なし。御堂(ミダウ)のつとめばかりにあひて、籠(コモ)り居 たりと聞き侍りしこそ、ありがたく覚えしか。

賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるなり。我を知らず して、外(ホカ)を知るといふ理(コトワリ)あるべからず。されば、己れを知る を、物知れる人といふべし。かたち醜(ミニク)けれども知らず。心の愚かなる をも知らず、芸の拙(ツタナ)きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老 いぬるをも知らず、病の冒(ヲカ)すをも知らず、死の近き事をも知らず。行( オコナ)ふ道の至らざるをも知らず。身の上の非を知らねば、まして、外の譏( ソシ)りを知らず。但し、かたちは鏡に見ゆ、年は数へて知る。我が身の事知 らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに似(ニ)たりとぞ言はまし。 かたちを改め、齢(ヨハヒ)を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞ、や がて退(シリゾ)かざる。老いぬと知らば、何ぞ、閑(シヅ)かに居て、身を安く せざる。行ひおろかなりと知らば、何ぞ、茲(コレ)を思ふこと茲にあらざる。

すべて、人に愛楽(アイゲウ)せられずして衆(シユ)に交(マジ)はるは恥(ハヂ) なり。かたち見にくゝ、心おくれにして出(イ)で仕へ、無智(ムチ)にして大才 (タイサイ)に交はり、不堪(フカン)の芸をもちて堪能(カンノウ)の座に列(ツ ラナ)り、雪の頭(カシラ)を頂きて盛りなる人に並び、況(イハ)んや、及ばざ る事を望み、叶(カナ)はぬ事を憂(ウレ)へ、来(キタ)らざることを待ち、人に 恐れ、人に媚(コ)ぶるは、人の与(アタ)ふる恥にあらず、貪(ムサボ)る心に引 かれて、自(ミヅカ)ら身を恥かしむるなり。貪る事の止まざるは、命を終(ヲ) ふる大事(ダイジ)、今こゝに来れりと、確(タシ)かに知らざればなり。

■第百三十五段

資季(スケスヱノ)大納言入道とかや聞(キコ)えける人、具氏宰相中将(トモウ ヂサイシヤウチユウジヤウ)にあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事( ナニゴト)なりとも答へ申さざらんや」と言はれければ、具氏、「いかゞ侍ら ん」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、「はかばかしき 事は、片端(カタハシ)も学(マネ)び知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何と なきそゞろごとの中に、おぼつかなき事をこそ問ひ奉(タテマツ)らめ」と申さ れけり。「まして、こゝもとの浅(アサ)き事は、何事なりとも明(アキ)らめ申 さん」と言はれければ、近習(キンジユ)の人々、女房なども、「興(キヤウ)あ るあらがひなり。同じくは、御前(ゴゼン)にて争はるべし。負けたらん人は、 供御(グゴ)をまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合はせられたりけるに、 具氏、「幼(ヲサナ)くより聞き習ひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまの きつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう』と申す事は、如何 (イカ)なる心にか侍らん。承(ウケタマハ)らん」と申されけるに、大納言入道、 はたと詰(ツマ)りて、「これはそゞろごとなれば、言ふにも足(タ)らず」と言 はれけるを、「本(モト)より深き道は知り侍らず。そゞろごとを尋ね奉(タテ マツ)らんと定め申しつ」と申されければ、大納言入道、負(マケ)になりて、 所課(シヨクワ)いかめしくせられたりけるとぞ。

■第百三十六段

医師篤成(クスシアツシゲ)、故法皇(コホフワウ)の御前(ゴゼン)に候ひて、 供御(グゴ)の参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字(モンジ)も功能( クノウ)も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草(ホンザウ)に御覧(ゴラン) じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六条故内 府(ロクデウノコダイフ)参り給ひて、「有房(アリフサ)、ついでに物(モノ)習 ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏(ヘン)にか侍ら ん」と問はれたりけるに、「土偏(ドヘン)に候ふ」と申したりければ、「才( ザエ)の程(ホド)、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所 なし」と申されけるに、どよみに成りて、罷(マカ)り出でにけり。

徒然草 下

■第百三十七段

花は盛(サカ)りに、月は隈(クマ)なきをのみ、見るものかは。雨に対(ムカ) ひて月を恋(コ)ひ、垂(タ)れこめて春の行衛(ユクヘ)知らぬも、なほ、あはれ に情深し。咲きぬべきほどの梢(コズエ)、散り萎(シヲ)れたる庭などこそ、見 所(ミドコロ)多けれ。歌の詞書(コトバガキ)にも、「花見(ハナミ)にまかれり けるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障(サハ)る事ありてまからで」など も書けるは、「花を見て」と言へるに劣(オト)れる事かは。花の散り、月の傾 (カタブ)くを慕(シタ)ふ習(ナラ)ひはさる事なれど、殊(コト)にかたくななる 人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所(ミドコロ)なし」などは言ふめ る。

万(ヨロヅ)の事も、始め・終りこそをかしけれ。男女(ヲトコオンナ)の情(ナ サケ)も、ひとへに逢(ア)ひ見るをば言ふものかは。逢はで止(ヤ)みにし憂さ を思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独(ヒト)り明し、遠き雲井(クモヰ) を思ひやり、浅茅(アサヂ)が宿に昔を偲(シノ)ぶこそ、色好(イロコノ)むとは 言はめ。望月(モチヅキ)の隈なきを千里(チサト)の外(ホカ)まで眺(ナガ)めた るよりも、暁(アカツキ)近くなりて待ち出でたるが、いと心深(ブカ)う青みた るやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木(コ)の間(マ)の影、うちしぐれた る村雲隠(ムラグモガク)れのほど、またなくあはれなり。椎柴(シヒシバ)・白 樫(シラカシ)などの、濡(ヌ)れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に 沁(シ)みて、心あらん友もがなと、都恋(ミヤココヒ)しう覚ゆれ。

すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、 月の夜は閨(ネヤ)のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よ き人は、ひとへに好(ス)けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑(ナホザリ)な り。片田舎(カタヰナカ)の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の本(モト)に は、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌(レンガ)し て、果(ハテ)は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉(イヅミ)には手足さし浸 (ヒタ)して、雪には下(オ)り立ちて跡(アト)つけなど、万の物、よそながら見 ることなし。

さやうの人の祭見しさま、いと珍(メヅ)らかなりき。「見事(ミゴト)いと遅 し。そのほどは桟敷(サジキ)不用(フヨウ)なり」とて、奥なる屋(ヤ)にて、酒 飲み、物食ひ、囲碁・双六など遊びて、桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ 」と言ふ時に、おのおの肝潰(キモツブ)るゝやうに争(アラソ)ひ走り上りて、 落ちぬべきまで簾(スダレ)張り出でて、押し合ひつゝ、一事(ヒトコト)も見洩 (モラ)さじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物毎(モノゴト)に言ひて、渡り 過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下りぬ。たゞ、物をのみ見んとする なるべし。都の人のゆゝしげなるは、睡(ネブ)りて、いとも見ず。若く末々( スエズエ)なるは、宮仕(ヅカ)へに立ち居(ヰ)、人の後(ウシロ)に侍ふは、様( サマ)あしくも及びかゝらず、わりなく見んとする人もなし。

何となく葵(アフヒ)懸け渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて 寄する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれば、牛飼(ウシカ ヒ)・下部(シモベ)などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さ まざまに行(ユ)き交(カ)ふ、見るもつれづれならず。暮るゝほどには、立て並 (ナラ)べつる車ども、所(トコロ)なく並(ナ)みゐつる人も、いづかたへか行き つらん、程(ホド)なく稀(マレ)に成りて、車どものらうがはしさも済みぬれば、 簾(スダレ)・畳(タタミ)も取り払ひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、世の 例(タメシ)も思ひ知られて、あはれなれ。大路(オホチ)見たるこそ、祭見たる にてはあれ。

かの桟敷(サジキ)の前をこゝら行(ユ)き交ふ人の、見知れるがあまたあるに て、知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。この人皆失(ウ)せなん後( ノチ)、我が身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく待(マ)ちつけぬべし。大 きなる器(ウツハモノ)に水を入れて、細き穴を明けたらんに、滴(シタダ)るこ と少(スクナ)しといふとも、怠(オコタ)る間なく洩(モ)りゆかば、やがて尽き ぬべし。都の中(ウチ)に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人・二 人のみならんや。鳥部野(トリベノ)・舟岡(フナヲカ)、さらぬ野(ノ)山(ヤマ) にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、棺(ヒツギ)を鬻( ヒサ)く者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思 ひ懸けぬは死期(シゴ)なり。今日(ケフ)まで遁(ノガ)れ来にけるは、ありがた き不思議なり。暫(シバ)しも世をのどかには思ひなんや。継子立(ママコダテ) といふものを双六(スグロク)の石にて作りて、立て並べたるほどは、取られん 事いづれの石とも知らねども、数へ当てて一つを取りぬれば、その外は遁(ノ ガ)れぬと見れど、またまた数ふれば、彼是間抜(カレコレマヌ)き行くほどに、 いづれも遁(ノガ)れざるに似たり。兵(ツハモノ)の、軍(イクサ)に出づるは、 死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を背ける草の庵(イホリ) には、閑(シヅ)かに水石(スヰセキ)を翫(モテアソ)びて、これを余所(ヨソ)に 聞くと思へるは、いとはかなし。閑かなる山の奥、無常の敵競(カタキキホ)ひ 来(キタ)らざらんや。その、死に臨(ノゾ)める事、軍(イクサ)の陣(ヂン)に進 めるに同じ。

■第百三十八段

「祭過ぎぬれば、後(ノチ)の葵(アフヒ)不用(フヨウ)なり」とて、或人の、 御簾(ミス)なるを皆取らせられ侍りしが、色(イロ)もなく覚え侍りしを、よき 人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひしかど、周防内侍(スハウノナイシ) が、

かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉(カレハ)なりけり

と詠(ヨ)めるも、母屋(モヤ)の御簾(ミス)に葵の懸(カカ)りたる枯葉を詠める よし、家(イヘ)の集(シフ)に書けり。古き歌の詞書(コトバガキ)に、「枯れた る葵にさして遣(ツカ)はしける」とも侍り。枕草子にも、「来(コ)しかた恋( コヒ)しき物、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。 鴨長明が四季物語(シキノモノガタリ)にも、「玉垂(タマダレ)に後(ノチ)の葵 は留(トマ)りけり」とぞ書ける。己(オノ)れと枯(カ)るゝだにこそあるを、名 残(ナゴリ)なく、いかゞ取り捨つべき。

御帳(ミチャウ)に懸(カカ)れる薬玉(クスダマ)も、九月九日(ナガツキココノ カ)、菊に取り替へらるゝといへば、菖蒲(シヤウブ)は菊の折(ヲリ)までもあ るべきにこそ。枇杷皇太后宮(ビハノクワウタイコウクウ)かくれ給ひて後(ノ チ)、古き御帳の内(ウチ)に、菖蒲・薬玉などの枯れたるが侍りけるを見て、 「折ならぬ根をなほぞかけつる」と辨(ベン)の乳母(メノト)の言へる返事(カ ヘリコト)に、「あやめの草(クサ)はありながら」とも、江侍従(ゴウジジウ) が詠みしぞかし。

■第百三十九段

家にありたき木は、松・桜。松は、五葉(ゴエフ)もよし。花は、一重(ヒトヘ) なる、よし。八重桜(ヤヘザクラ)は、奈良の都にのみありけるを、この比(ゴ ロ)ぞ、世に多く成り侍るなる。吉野の花、左近(サコン)の桜、皆、一重(ヒト ヘ)にてこそあれ。八重桜は異様(コトヤウ)のものなり。いとこちたく、ねぢ けたり。植ゑずともありなん。遅桜(オソザクラ)、またすさまじ。虫の附(ツ) きたるもむつかし。梅は、白き・薄紅梅(ウスコウバイ)。一重なるが疾(ト)く 咲きたるも、重(カサ)なりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、 桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧(ケオ)されて、枝に萎(シボ)みつきたる、心 うし。「一重なるが、まづ咲きて、散りたるは、心疾く、をかし」とて、京極 入道中納言(キヤウゴクノニフダウチユウナゴン)は、なほ、一重梅をなん、軒 (ノキ)近く植ゑられたりける。京極の屋(ヤ)の南向きに、今も二本(フタモト) 侍るめり。柳、またをかし。卯月(ウヅキ)ばかりの若楓(ワカカヘデ)、すべて、 万(ヨロヅ)の花・紅葉(モミヂ)にもまさりてめでたきものなり。橘(タチバナ) ・桂(カツラ)、いづれも、木はもの古(フ)り、大きなる、よし。草は、山吹( ヤマブキ)・藤(フヂ)・杜若(カキツバタ)・撫子(ナデシコ)。池には、蓮(ハチ ス)。秋の草は、荻(ヲギ)・薄(ススキ)・桔梗(キチカウ)・萩(ハギ)・女郎花( ヲミナヘシ)・藤袴(フヂバカマ)・紫苑(シヲニ)・吾木香(ワレモカウ)・刈萱( カルカヤ)・竜胆(リンダウ)・菊。黄菊(キギク)も。蔦(ツタ)・葛(クズ)・朝 顔。いづれも、いと高からず、さゝやかなる、墻(カキ)に繁(シゲ)からぬ、よ し。この外(ホカ)の、世に稀(マレ)なるもの、唐めきたる名の聞きにくゝ、花 も見馴(ナ)れぬなど、いとなつかしからず。

大方(オホカタ)、何(ナニ)も珍(メヅ)らしく、ありがたき物は、よからぬ人 のもて興ずる物なり。さやうのもの、なくてありなん。

■第百四十段

身(ミ)死して財(タカラ)残る事は、智者(チシヤ)のせざる処(トコロ)なり。 よからぬ物蓄(タクハ)へ置きたるもつたなく、よき物は、心を止(ト)めけんと はかなし。こちたく多かる、まして口惜(クチヲ)し。「我こそ得(エ)め」など 言ふ者どもありて、跡(アト)に争ひたる、様(サマ)あし。後(ノチ)は誰(タレ) にと志(ココロザ)す物あらば、生けらんうちにぞ譲(ユヅ)るべき。

朝夕(アサユフ)なくて叶(カナ)はざらん物こそあらめ、その外(ホカ)は、何 も持たでぞあらまほしき。

■第百四十一段

悲田院尭蓮(ヒデンヰンノゲウレン)上人は、俗姓(ゾクシヤウ)は三浦(ミウラ) の某(ナニガシ)とかや、双(サウ)なき武者(ムシヤ)なり。故郷(フルサト)の人 (キタ)の来りて、物語(モノガタリ)すとて、「吾妻人(アヅマウド)こそ、言ひ つる事は頼(タノ)まるれ、都の人は、ことうけのみよくて、実(マコト)なし」 と言ひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、己れは都に久しく住みて、 馴(ナ)れて見侍るに、人の心劣(オト)れりとは思ひ侍らず。なべて、心柔(ヤ ハラ)かに、情(ナサケ)ある故に、人の言ふほどの事、けやけく否(イナ)び難( ガタ)くて、万(ヨロヅ)え言ひ放(ハナ)たず、心弱くことうけしつ。偽(イツハ) りせんとは思はねど、乏(トモ)しく、叶(カナ)はぬ人のみあれば、自(オノヅ カ)ら、本意(ホンイ)通(トホ)らぬ事多かるべし。吾妻人(アヅマウド)は、我 が方(カタ)なれど、げには、心の色なく、情(ナサケ)おくれ、偏(ヒトヘ)にす ぐよかなるものなれば、始めより否(イナ)と言ひて止みぬ。賑(ニギ)はひ、豊 (ユタ)かなれば、人には頼まるゝぞかし」とことわられ侍りしこそ、この聖、 声うち歪(ユガ)み、荒々(アラアラ)しくて、聖教(シヤウゲウ)の細やかなる理 (コトワリ)いと辨(ワキマ)へずもやと思ひしに、この一言(ヒトコト)の後(ノ チ)、心にくゝ成りて、多かる中(ナカ)に寺をも住持(ヂユウヂ)せらるゝは、 かく柔(ヤハラ)ぎたる所ありて、その益(ヤク)もあるにこそと覚え侍りし。

■第百四十二段

心なしと見ゆる者も、よき一言(ヒトコト)はいふものなり。ある荒夷(アラエ ビス)の恐しげなるが、かたへにあひて、「御子(オコ)はおはすや」と問ひし に、「一人(ヒトリ)も持ち侍らず」と答へしかば、「さては、もののあはれは 知り給はじ。情(ナサケ)なき御心(ミココロ)にぞものし給ふらんと、いと恐し。 子故(ユヱ)にこそ、万のあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべ き事なり。恩愛(オンナイ)の道ならでは、かゝる者の心に、慈悲(ジヒ)ありな んや。孝養(ケウヤウ)の心なき者も、子持ちてこそ、親の志(ココロザシ)は思 ひ知るなれ。

世を捨てたる人の、万にするすみなるが、なべて、ほだし多かる人の、万に 諂(ヘツラ)ひ、望み深きを見て、無下(ムゲ)に思ひくたすは、僻事(ヒガコト) なり。その人の心に成りて思へば、まことに、かなしからん親のため、妻子( サイシ)のためには、恥(ハヂ)をも忘れ、盗(ヌス)みもしつべき事なり。され ば、盗人(ヌスビト)を縛(イマシ)め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の饑( ウ)ゑず、寒からぬやうに、世をば行(オコナ)はまほしきなり。人、恒(ツネ) の産(サン)なき時は、恒の心なし。人、窮(キハ)まりて盗みす。世治(ヲサマ) らずして、凍餒(トウタイ)の苦しみあらば、科(トガ)の者絶(タ)ゆべからず。 人を苦しめ、法(ホフ)を犯さしめて、それを罪(ツミ)なはん事、不便(フビン) のわざなり。

さて、いかゞして人を恵(メグ)むべきとならば、上(カミ)の奢(オゴ)り、費( ツヒヤ)す所を止(ヤ)め、民を撫(ナ)で、農を勧めば、下(シモ)に利あらん事、 疑ひあるべからず。衣食尋常(イシヨクヨノツネ)なる上(ウヘ)に僻事せん人を ぞ、真(マコト)の盗人とは言ふべき。

■第百四十三段

人の終焉(シユウエン)の有様(アリサマ)のいみじかりし事など、人の語るを 聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚(オロ)かなる 人は、あやしく、異(コト)なる相(サウ)を語りつけ、言ひし言葉も振舞(フル マヒ)も、己れが好む方(カタ)に誉めなすこそ、その人の日来(ヒゴロ)の本意( ホンイ)にもあらずやと覚ゆれ。

この大事(ダイジ)は、権化(ゴンゲ)の人も定(サダ)むべからず。博学(ハクガ ク)の士も測(ハカ)るべからず。己れ違(タガ)ふ所なくは、人の見聞くにはよ るべからず。

■第百四十四段

栂尾(トガノヲ)の上人(シヤウニン)、道を過ぎ給ひけるに、河(カハ)にて馬 洗ふ男、「あしあし」と言ひければ、上人立ち止(ドマ)りて、「あな尊(タフ ト)や。宿執開発(シユクシフカイホツ)の人かな。阿字(アジ)阿字と唱(トナ) ふるぞや。如何(イカ)なる人の御馬(オンウマ)ぞ。余りに尊(タフト)く覚(オ ボ)ゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿(フシヤウドノ)の御馬に候ふ」と答 へけり。「こはめでたき事かな。阿字本不生(アジホンフシヤウ)にこそあンな れ。うれしき結縁(ケチエン)をもしつるかな」とて、感涙(カンルヰ)を拭(ノ ゴ)はれけるとぞ。

■第百四十五段

御随身秦重躬(ミズヰジンハダノシゲミ)、北面の下野入道信願(シモツケノニ フダウシングワン)を、「落馬(ラクバ)の相(サウ)ある人なり。よくよく慎み 給へ」と言ひけるを、いと真(マコト)しからず思ひけるに、信願、馬より落ち て死ににけり。道に長(チヤウ)じぬる一言(ヒトコト)、神の如しと人思へり。

さて、「如何(イカ)なる相ぞ」と人の問ひければ、「極(キハ)めて桃尻(モモ ジリ)にして、沛艾(ハイガイ)の馬を好みしかば、この相を負(オホ)せ侍りき。 何時(イツ)かは申し誤りたる」とぞ言ひける。

■第百四十六段

明雲座主(メイウンザス)、相者(サウジヤ)にあひ給ひて、「己れ、もし兵杖( ヒヤウヂヤウ)の難(ナン)やある」と尋ね給ひければ、相人(サウニン)、「ま ことに、その相おはします」と申す。「如何なる相ぞ」と尋ね給ひければ、「 傷害(シヤウガイ)の恐れおはしますまじき御身(オンミ)にて、仮(カリ)にも、 かく思(オボ)し寄りて、尋ね給ふ、これ、既(スデ)に、その危(アヤブ)みの兆 (キザシ)なり」と申しけり。

果(ハタ)して、矢に当りて失せ給ひにけり。

■第百四十七段

灸治(キウヂ)、あまた所に成りぬれば、神事(ジンジ)に穢(ケガ)れありとい ふ事、近く、人の言ひ出(イダ)せるなり。格式等(キヤクシキトウ)にも見えず とぞ。

■第百四十八段

四十以後(シジフイゴ)の人、身に灸(キフ)を加(クハ)へて、三里(サンリ)を 焼かざれば、上気(ジヤウキ)の事あり。必ず灸すべし。

■第百四十九段

鹿茸(ロクジヨウ)を鼻に当てて嗅(カ)ぐべからず。小(チヒ)さき虫ありて、 鼻より入(イ)りて、脳を食(ハ)むと言へり。

■第百五十段

能(ノウ)をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られ じ。うちうちよく習ひ得(エ)て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と 常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸(イチゲイ)も習ひ得(ウ)ることなし。

未(イマ)だ堅固(ケンゴ)かたほなるより、上手(ジヤウズ)の中に交りて、毀( ソシ)り笑はるゝにも恥(ハ)ぢず、つれなく過ぎて嗜(タシナ)む人、天性(テン ゼイ)、その骨(コツ)なけれども、道(ミチ)になづまず、濫(ミダ)りにせずし て、年を送れば、堪能(カンノウ)の嗜まざるよりは、終(ツヒ)に上手の位(ク ラヰ)に至り、徳たけ、人に許されて、双(ナラビ)なき名を得(ウ)る事なり。

天下(テンカ)のものの上手といへども、始めは、不堪(フカン)の聞(キコ)え もあり、無下(ムゲ)の瑕瑾(カキン)もありき。されども、その人、道の掟正( オキテタダ)しく、これを重くして、放埒(ハウラツ)せざれば、世の博士(ハカ セ)にて、万人(バンニン)の師となる事、諸道変(シヨダウカハ)るべからず。

■第百五十一段

或人(アルヒト)の云はく、年五十(ゴジフ)になるまで上手に至らざらん芸(ゲ イ)をば捨つべきなり。励(ハゲ)み習ふべき行末(ユクスヱ)もなし。老人(ラウ ジン)の事をば、人もえ笑はず。衆(シュ)に交りたるも、あいなく、見ぐるし。 大方(オホカタ)、万(ヨロヅ)のしわざは止(ヤ)めて、暇(イトマ)あるこそ、め やすく、あらまほしけれ。世俗の事に携(タヅサ)はりて生涯を暮(クラ)すは、 下愚(カグ)の人なり。ゆかしく覚(オボ)えん事は、学び訊(キ)くとも、その趣 (オモムキ)を知りなば、おぼつかなからずして止(ヤ)むべし。もとより、望む ことなくして止まんは、第一の事なり。

■第百五十二段

西大寺静然上人(サイダイジノジャウネン)、腰屈(カガ)まり、眉(マユ)白く、 まことに徳たけたる有様(アリサマ)にて、内裏(ダイリ)へ参られたりけるを、 西園寺内大臣殿(サイヲンジノナイダイジンドノ)、「あな尊(タフト)の気色( ケシキ)や」とて、信仰(シンガウ)の気色(キシヨク)ありければ、資朝卿(スケ トモノキヤウ)、これを見て、「年の寄(ヨ)りたるに候(サウラ)ふ」と申され けり。

後日(ゴニチ)に、尨犬(ムクイヌ)のあさましく老(オ)いさらぼひて、毛(ケ) 剥(ハ)げたるを曳(ヒ)かせて、「この気色(ケシキ)尊(タフト)く見えて候ふ」 とて、内府(ダイフ)へ参らせられたりけるとぞ。

■第百五十三段

為兼大納言入道(タメカネノダイナゴンニフダウ)、召し捕(ト)られて、武士 どもうち囲(カコ)みて、六波羅(ロクハラ)へ率(ヰ)て行(ユ)きければ、資朝卿 (スケトモノキヤウ)、一条わたりにてこれを見て、「あな羨(ウラヤ)まし。世 にあらん思い出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。

■第百五十四段

この人、東寺(トウジ)の門に雨宿(アマヤド)りせられたりけるに、かたは者 どもの集(アツマ)りゐたるが、手も足も捩(ネ)ぢ歪(ユガ)み、うち反(カヘ)り て、いづくも不具(フグ)に異様(コトヤウ)なるを見て、とりどりに類(タグヒ) なき曲物(クセモノ)なり、尤(モツト)も愛するに足(タ)れりと思ひて、目守( マモ)り給ひけるほどに、やがてその興尽(キヨウツ)きて、見にくゝ、いぶせ く覚(オボ)えければ、たゞ素直(スナホ)に珍(メヅ)らしからぬ物には如(シ)か ずと思ひて、帰りて後(ノチ)、この間、植木を好みて、異様(コトヤウ)に曲折 (キヨクセツ)あるを求めて、目を喜(ヨロコ)ばしめつるは、かのかたはを愛す るなりけりと、興(キヨウ)なく覚えければ、鉢に植ゑられける木ども、皆掘り 捨てられにけり。

さもありぬべき事なり。

■第百五十五段

世に従(シタガ)はん人は、先(マ)づ、機嫌(キゲン)を知るべし。序悪(ツイデ ア)しき事は、人の耳にも逆(サカ)ひ、心にも違(タガ)ひて、その事成らず。 さやうの折節(ヲリフシ)を心得(ココロウ)べきなり。但(タダ)し、病(ヤマヒ) を受け、子生み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、序悪しとて止む事なし。生 (シヤウ)・住(ヂユウ)・異(イ)・滅(メツ)の移り変る、実(マコト)の大事は、 猛(タケ)き河(カハ)の漲(ミナギリ)り流るゝが如し。暫(シバ)しも滞(トドコ ホ)らず、直(タダ)ちに行ひゆくものなり。されば、真俗(シンゾク)につけて、 必ず果(ハタ)し遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひな く、足を踏み止(トド)むまじきなり。

春暮れて後(ノチ)、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて 夏の気(キ)を催(モヨホ)し、夏より既に秋は通(カヨ)ひ、秋は即(スナハ)ち寒 くなり、十月は小春(コハル)の天気(テンキ)、草も青くなり、梅も蕾(ツボ)み ぬ。木(コ)の葉(ハ)の落つるも、先(マ)づ落ちて芽(メ)ぐむにはあらず、下( シタ)より萌(キザ)しつはるに堪(タ)へずして落つるなり。迎(ムカ)ふる気(キ)、 下に設けたる故に、待ちとる序甚(ハナハ)だ速し。生・老(ラウ)・病(ビヤウ) ・死(シ)の移り来(キタ)る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定(サ ダ)まれる序あり。死期(シゴ)は序(ツイデ)を待たず。死は、前よりしも来(キ タ)らず。かねて後(ウシロ)に迫れり。人皆死(シ)ある事を知りて、待つこと しかも急(キフ)ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥(ヒカタハル)かなれ ども、磯(イソ)より潮(シホ)の満つるが如し。

■第百五十六段

大臣(ダイジン)の大饗(ダイキョウ)は、さるべき所を申(マウ)し請(ウ)けて 行ふ、常(ツネ)の事なり。宇治左大臣殿(ウヂノサダイジンドノ)は、東(トウ) 三条殿(サンデウドノ)にて行はる。内裏(ダイリ)にてありけるを、申されける によりて、他所(タシヨ)へ行幸(ギヤウガウ)ありけり。させる事の寄(ヨ)せな けれども、女院(ニヨウヰン)の御所など借り申す、故実(コシツ)なりとぞ。

■第百五十七段

筆を取れば物書かれ、楽器(ガクキ)を取れば音(ネ)を立てんと思ふ。盃(サカ ヅキ)を取れば酒を思ひ、賽(サイ)を取れば攤(ダ)打たん事を思ふ。心は、必 ず、事(コト)に触れて来る。仮にも、不善(フゼン)の戯(タワブ)れをなすべか らず。

あからさまに聖教(シヤウゲウ)の一句(イツク)を見れば、何となく、前後(ゼ ンゴ)の文(モン)も見ゆ。卒爾(ソツジ)にして多年(タネン)の非を改むる事も あり。仮に、今、この文を披(ヒロ)げざらましかば、この事を知らんや。これ 則ち、触るゝ所の益(ヤク)なり。心更(サラ)に起らずとも、仏前(ブツゼン)に ありて、数珠(ジユズ)を取り、経(キヤウ)を取らば、怠るうちにも善業自(ゼ ンゴフオノヅカ)ら修せられ、散乱(サンラン)の心ながらも縄床(ジヨウシヤウ) に座(ザ)せば、覚えずして禅定成(ゼンヂヤウナ)るべし。

事(ジ)・理(リ)もとより二つならず。外相(ゲサウ)もし背かざれば、内証(ナ イシヨウ)必ず熟す。強ひて不信を言ふべからず。仰(アフ)ぎてこれを尊(タフ ト)むべし。

■第百五十八段

「盃(サカヅキ)の底を捨つる事は、いかゞ心得たる」と、或(アル)人の尋ね させ給ひしに、「凝当(ギヤウダウ)と申し侍れば、底に凝(コ)りたるを捨つる にや候ふらん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。魚道(ギヨダウ)なり。流 れを残して、口の附(ツ)きたる所を滌(スス)ぐなり」とぞ仰(オホ)せられし。

■第百五十九段

「みな結(ムス)びと言ふは、糸を結び重(カサ)ねたるが、蜷(ミナ)といふ貝 に似たれば言ふ」と、或やんごとなき人仰せられき。「にな」といふは誤(ア ヤマリ)なり。

■第百六十段

門(モン)に額懸(ガクカ)くるを「打つ」と言ふは、よからぬにや。勘解由小 路二品禅門(カデノコウヂノニホンゼンモン)は、「額懸くる」とのたまひき。 「見物(ケンブツ)の桟敷(サジキ)打つ」も、よからぬにや。「平張(ヒラバリ) 打つ」などは、常の事なり。「桟敷構(カマ)ふる」など言ふべし。「護摩(ゴ マ)焚(タ)く」と言ふも、わろし。「修(シユ)する」「護摩(ゴマ)する」など 言ふなり。「行法(ギヤウボフ)も、法(ホフ)の字を清(ス)みて言ふ、わろし。 濁(ニゴ)りて言ふ」と、清閑寺僧正(セイガンジノソウジヤウ)仰(オホ)せられ き。常に言ふ事に、かゝる事のみ多し。

■第百六十一段

花の盛(サカ)りは、冬至(トウジ)より百五十日とも、時正(ジシヤウ)の後(ノ チ)、七日(ナヌカ)とも言へど、立春(リツシユン)より七十(シチジフ)五日(ゴ ニチ)、大様違(オホヤウタガ)はず。

■第百六十二段

遍照寺(ヘンゼウジ)の承仕法師(ジヨウジホフシ)、池の鳥を日来(ヒゴロ)飼 ひつけて、堂(ダウ)の内まで餌(ヱ)を撒(マ)きて、戸一つ開けたれば、数も知 らず入(イ)り籠(コモ)りける後(ノチ)、己れも入りて、たて籠(コ)めて、捕( トラ)へつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞(キコ)えけるを、草刈(カ) る童(ワラハ)聞きて、人に告げければ、村の男(ヲノコ)どもおこりて、入りて 見るに、大雁(オホカリ)どもふためき合へる中(ナカ)に、法師交(マジ)りて、 打ち伏せ、捩(ネ)ぢ殺しければ、この法師を捕(トラ)へて、所(トコロ)より使 庁(シチヤウ)へ出(イダ)したりけり。殺す所の鳥を頸(クビ)に懸(カ)けさせて、 禁獄(キンゴク)せられにけり。

基俊(モトトシノ)大納言、別当(ベツタウ)の時になん侍りける。

■第百三十三段

太衝(タイショウ)の「太(タイ)」の字、点打つ・打たずといふ事、陰陽(オン ヤウ)の輩(トモガラ)、相論(サウロン)の事ありけり。盛親入道(モリチカニフ ダウ)申し侍りしは、「吉平(ヨシヒラ)が自筆の占文(センモン)の裏に書かれ たる御記(ギヨキ)、近衛関白殿(コノヱノクワンバクドノ)にあり。点打ちたる を書きたり」と申しき。

■第百六十四段

世の人相逢(アヒア)ふ時、暫(シバラ)くも黙止(モダ)する事なし。必ず言葉 あり。その事を聞くに、多くは無益(ムヤク)の談(ダン)なり。世間(セケン)の 浮説(フセツ)、人の是非(ゼヒ)、自他(ジタ)のために、失(シツ)多く、得(ト ク)少し。

これを語る時、互(タガ)ひの心に、無益(ムヤク)の事なりといふ事を知らず。

■第百六十五段

吾妻(アヅマ)の人の、都の人に交(マジハ)り、都の人の、吾妻に行きて身を 立て、また、本寺(ホンジ)・本山を離れぬる、顕密(ケンミツ)の僧、すべて、 我が俗(ゾク)にあらずして人に交れる、見ぐるし。

■第百六十六段

人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏(ユキボトケ)を作りて、そ のために金銀・珠玉(シユギヨク)の飾りを営(イトナ)み、堂(ダウ)を建てんと するに似たり。その構(カマ)へを待ちて、よく安置(アンヂ)してんや。人の命 (イノチ)ありと見るほども、下(シタ)より消ゆること雪の如くなるうちに、営 み待つこと甚だ多し。

■第百六十七段

一道(イチダウ)に携(タヅサ)はる人、あらぬ道の筵(ムシロ)に臨みて、「あ はれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へ る事、常のことなれど、よに悪(ワロ)く覚ゆるなり。知らぬ道の羨(ウラヤ)ま しく覚(オボ)えば、「あな羨まし。などか習はざりけん」と言ひてありなん。 我が智(チ)を取り出でて人に争ふは、角(ツノ)ある物の、角を傾(カタブ)け、 牙(キバ)ある物の、牙を咬み出だす類(タグヒ)なり。

人としては、善に伐(ホコ)らず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあ るは、大きなる失(シツ)なり。品(シナ)の高さにても、才芸のすぐれたるにて も、先祖(センゾ)の誉(ホマレ)にても、人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉 に出でてこそ言はねども、内心(ナイシン)にそこばくの咎(トガ)あり。慎(ツ ツシ)みて、これを忘るべし。痴(ヲコ)にも見え、人にも言ひ消(ケ)たれ、禍( ワザワヒ)をも招くは、たゞ、この慢心(マンシン)なり。

一道にもまことに長(チヤウ)じぬる人は、自(ミヅカ)ら、明らかにその非(ヒ) を知る故に、志(ココロザシ)常に満たずして、終(ツイ)に、物に伐る事なし。

■第百六十八段

年老(オ)いたる人の、一事(イチジ)すぐれたる才(ザエ)のありて、「この人 の後(ノチ)には、誰にか問はん」など言はるゝは、老(オイ)の方人(カタウド) にて、生(イ)けるも徒(イタヅ)らならず。さはあれど、それも廃(スタ)れたる 所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙(ツタナ)く見ゆ。「今は忘れ にけり」と言ひてありなん。

大方は、知りたりとも、すゞろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬに やと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも辨(ワキマ)へ知らず」 など言ひたるは、なほ、まことに、道の主(アルジ)とも覚えぬべし。まして、 知らぬ事、したり顔(ガホ)に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞 かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。

■第百六十九段

「何事(ナニゴト)の式(シキ)といふ事は、後嵯峨(ゴサガ)の御代(ミヨ)まで は言はざりけるを、近きほどより言ふ詞(コトバ)なり」と人の申し侍りしに、 建礼門(ケンレイモン)院の右京大夫(ウキヤウノダイブ)、後鳥羽(ゴトバノ)院 の御位(オホンクラヰ)の後、また内裏住(ウチズ)みしたる事を言ふに、「世の 式(シキ)も変(カハ)りたる事はなきにも」と書きたり。

■第百七十段

さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、 その事果てなば、疾(ト)く帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。

人と向(ムカ)ひたれば、詞(コトバ)多く、身もくたびれ、心も閑(シヅ)かな らず、万の事障(サハ)りて時を移す、互ひのため益(ヤク)なし。厭(イト)はし げに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなか、その由(ヨシ)をも 言ひてん。同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、「今暫(シバ)し。 今日(ケフ)は心閑(シヅ)かに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮 籍(ゲンセキ)が青き眼(マナコ)、誰にもあるべきことなり。

そのこととなきに、人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。ま た、文(フミ)も、「久しく聞(キコ)えさせねば」などばかり言ひおこせたる、 いとうれし。

■第百七十一段

貝(カヒ)を覆(オホ)ふ人の、我が前なるをば措(オ)きて、余所(ヨソ)を見渡 して、人の袖(ソデ)のかげ、膝の下まで目を配(クバ)る間に、前なるをば人に 覆(オホ)はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近き ばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。碁盤(ゴバン)の隅に石を立てて弾くに、 向ひなる石を目守(マボ)りて弾くは、当らず、我が手許(テモト)をよく見て、 こゝなる聖目(ヒジリメ)を直(スグ)に弾けば、立てたる石、必ず当る。

万の事、外(ホカ)に向きて求むべからず。たゞ、こゝもとを正しくすべし。 清献公(セイケンコウ)が言葉に、「好事(カウジ)を行(ギヤウ)じて、前程(ゼ ンテイ)を問ふことなかれ」と言へり。世を保(タモ)たん道も、かくや侍らん。 内(ウチ)を慎まず、軽(カロ)く、ほしきまゝにして、濫(ミダ)りなれば、遠き 国必ず叛(ソム)く時、初めて謀(ハカリコト)を求む。「風に当り、湿(シツ)に 臥(フ)して、病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるが如し。 目の前なる人の愁(ウレヘ)を止(ヤ)め、恵みを施し、道を正しくせば、その化 (クワ)遠く流れん事を知らざるなり。禹(ウ)の行きて三苗(サンベウ)を征(セ イ)せしも、師(イクサ)を班(カヘ)して徳を敷(シ)くには及(シ)かざりき。

■第百七十二段

若き時は、血気(ケツキ)内に余り、心物(モノ)に動きて、情欲(ジヤウヨク) 多し。身を危(アヤブ)めて、砕け易(ヤス)き事、珠(タマ)を走らしむるに似た り。美麗(ビレイ)を好みて宝を費(ツヒヤ)し、これを捨てて苔(コケ)の袂(タ モト)に窶(ヤツ)れ、勇(イサ)める心盛(サカ)りにして、物と争ひ、心に恥(ハ) ぢ羨(ウラヤ)み、好む所日々(ヒビ)に定まらず、色に耽(フケ)り、情(ナサケ) にめで、行ひを潔(イサギヨ)くして、百年(モモトセ)の身を誤り、命を失へる 例(タメシ)願はしくして、身の全(マツタ)く、久しからん事をば思はず、好け る方に心ひきて、永き世語(ヨガタ)りともなる。身を誤つ事は、若き時のしわ ざなり。

老いぬる人は、精神衰へ、淡(アハ)く疎(オロソ)かにして、感じ動く所なし。 心自(オノヅカ)ら静かなれば、無益(ムヤク)のわざを為さず、身を助けて愁( ウレヘ)なく、人の煩(ワヅラ)ひなからん事を思ふ。老いて、智の、若きにま される事、若くして、かたちの、老いたるにまされるが如し。

■第百七十三段

小野小町(ヲノノコマチ)が事、極(キハ)めて定かならず。衰へたる様は、「 玉造(タマツクリ)」と言ふ文(フミ)に見えたり。この文、清行(キヨユキ)が書 けりといふ説あれど、高野大師(カウヤノダイシ)の御作(ゴサク)の目録に入れ り。大師は承和(ジヨウワ)の初めにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後 の事にや。なほおぼつかなし。

■第百七十四段

小鷹(コタカ)によき犬、大鷹(オホタカ)に使ひぬれば、小鷹にわろくなると いふ。大(ダイ)に附き小(セウ)を捨つる理(コトワリ)、まことにしかなり。人 事(ニンジ)多かる中に、道を楽(タノ)しぶより気味(キミ)深きはなし。これ、 実(マコト)の大事なり。一度、道を聞きて、これに志さん人、いづれのわざか 廃(スタ)れざらん、何事をか営まん。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣 らんや。

■第百七十五段

世には、心得ぬ事の多きなり。ともある毎(ゴト)には、まづ、酒を勧めて、 強(シ)ひ飲ませたるを興(キヨウ)とする事、如何(イカ)なる故とも心得ず。飲 む人の、顔いと堪へ難(ガタ)げに眉(マユ)を顰(ヒソ)め、人目を測りて捨てん とし、逃げんとするを、捉(トラ)へて引き止めて、すゞろに飲ませつれば、う るはしき人も、忽(タチマ)ちに狂人となりてをこがましく、息災(ソクサイ)な る人も、目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒(タフ)れ伏す。祝ふべ き日などは、あさましかりぬべし。明くる日まで頭(カシラ)痛く、物食はず、 によひ臥(フ)し、生(シヤウ)を隔てたるやうにして、昨日の事覚えず、公(オ ホヤケ)・私(ワタクシ)の大事を欠きて、煩(ワヅラ)ひとなる。人をしてかゝ る目を見する事、慈悲(ジヒ)もなく、礼儀にも背けり。かく辛(カラ)き目に逢 ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。人の国にかゝる習(ナラ)ひあン なりと、これらになき人事にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬ べし。

人の上(ウヘ)にて見たるだに、心憂し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見 し人も、思ふ所なく笑ひのゝしり、詞(コトバ)多く、烏帽子(エボシ)歪(ユガ) み、紐外(ヒモハヅ)し、脛(ハギ)高く掲げて、用意なき気色、日来(ヒゴロ)の 人とも覚えず。女は、額髪(ヒタヒガミ)晴れらかに掻(カ)きやり、まばゆから ず、顔うちさゝげてうち笑ひ、盃(サカヅキ)持てる手に取り付き、よからぬ人 は、肴(サカナ)取りて、口にさし当て、自らも食ひたる、様あし。声の限り出 して、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黒く穢(キタナ)き身 (ヌ)を肩抜ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、 憎し。或(アル)はまた、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、 或は酔ひ泣きし、下(シモ)ざまの人は、罵(ノ)り合(ア)ひ、争(イサカ)ひて、 あさましく、恐ろし。恥ぢがましく、心憂き事のみありて、果(ハテ)は、許さ ぬ物ども押し取りて、縁(エン)より落ち、馬(ウマ)・車(クルマ)より落ちて、 過(アヤマチ)しつ。物にも乗らぬ際(キハ)は、大路(オホチ)をよろぼひ行きて、 築泥(ツイヒヂ)・門(カド)の下などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、年 (トシ)老い、袈裟(ケサ)掛けたる法師の、小童の肩を押(オサ)へて、聞えぬ事 ども言ひつゝよろめきたる、いとかはゆし。かゝる事をしても、この世も後の 世も益(ヤク)あるべきわざならば、いかゞはせん、この世には過ち多く、財( タカラ)を失ひ、病(ヤマヒ)をまうく。百薬(ヒヤクヤク)の長とはいへど、万 の病は酒よりこそ起れ。憂(ウレヘ)忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし憂 (ウ)さをも思ひ出でて泣くめる。後の世は、人の智恵を失ひ、善根(ゼンゴン) を焼くこと火の如くして、悪を増し、万の戒(カイ)を破りて、地獄に堕(オ)つ べし。「酒をとりて人に飲ませたる人、五百生が間、手なき者に生る」とこそ、 仏は説き給ふなれ。

かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折(ヲリ)もあるべし。 月の夜、雪の朝(アシタ)、花の本(モト)にても、心長閑(ノドカ)に物語して、 盃出(イダ)したる、万の興を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友 の入(イ)り来て、とり行ひたるも、心慰(ナグサ)む。馴れ馴れしからぬあたり の御簾(ミス)の中(ウチ)より、御果物・御酒(ミキ)など、よきやうなる気(ケ) はひしてさし出されたる、いとよし。冬、狭(セバ)き所にて、火にて物煎(イ) りなどして、隔てなきどちさし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋 (カリヤ)、野山などにて、「御肴(ミサカナ)何がな」など言ひて、芝の上にて 飲みたるも、をかし。いたう痛む人の、強(シ)ひられて少し飲みたるも、いと よし。よき人の、とり分きて、「今ひとつ。上少し」などのたまはせたるも、 うれし。近づかまほしき人の、上戸(ジヤウゴ)にて、ひしひしと馴れぬる、ま たうれし。

さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるゝ者なり。酔ひくたびれて朝寝(ア サイ)したる所を、主(アルジ)の引き開けたるに、惑(マド)ひて、惚(ホ)れた る顔ながら、細き髻(モトドリ)差し出し、物も着あへず抱き持ち、ひきしろひ て逃ぐる、掻取姿(カイトリスガタ)の後手(ウシロデ)、毛生ひたる細脛(ホソ ハギ)のほど、をかしく、つきづきし。

■第百七十六段

黒戸(クロド)は、小松御門(コマツノミカド)、位(クラヰ)に即(ツ)かせ給ひ て、昔、たゞ人にておはしましし時、まさな事(ゴト)せさせ給ひしを忘れ給は で、常に営ませ給ひける間なり。御薪(ミカマギ)に煤(スス)けたれば、黒戸と 言ふとぞ。

■第百七十七段

鎌倉中書王(カマクラノチユウシヨワウ)にて御鞠(オンマリ)ありけるに、雨 降りて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせんと沙汰(サタ)ありけるに、佐 々木隠岐入道(ササキノオキノニフダウ)、鋸(ノコギリ)の屑(クヅ)を車に積( ツ)みて、多く奉(タテマツ)りたりければ、一庭(ヒトニハ)に敷かれて、泥土( デイト)の煩(ワヅラ)ひなかりけり。「取り溜めけん用意、有難し」と、人感 じ合へりけり。

この事を或者(アルモノ)の語り出でたりしに、吉田(ヨシダノ)中納言の、「 乾き砂子(スナゴ)の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥(ハヅ)か しかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤(イヤ)しく、異様(コトヤウ)の事なり。 庭の儀(ギ)を奉行(ブギヤウ)する人、乾き砂子を設(マウ)くるは、故実(コシ ツ)なりとぞ。

■第百七十八段

或所の侍(サブラヒ)ども、内侍所(ナイシドコロ)の御神楽(ミカグラ)を見て、 人に語るとて、「宝剣(ホウケン)をばその人ぞ持ち給ひつる」など言ふを聞き て、内なる女房の中に、「別殿(ベツデン)の行幸(ギヤウガウ)には、昼御座( ヒノゴザ)の御剣(ギヨケン)にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心にく かりき。その人、古き典侍(ナイシノスケ)なりけるとかや。

■第百七十九段

入宋(ニツソウ)の沙門(シヤモン)、道眼(ダウゲン)上人、一切経(イツサイキ ヤウ)を持来(ヂライ)して、六波羅(ロクハラ)のあたり、やけ野といふ所に安 置(アンヂ)して、殊(コト)に首楞厳経(シユレウゴンキヤウ)を講(カウ)じて、 那蘭陀寺(ナランダジ)と号(カウ)す。

その聖の申されしは、那蘭陀寺は、大門(ダイモン)北向きなりと、江帥(ガウ ゾツ)の説として言ひ伝えたれど、西域伝(サイヰキデン)・法顕伝(ホツケンデ ン)などにも見えず、更(サラ)に所見(シヨケン)なし。江帥は如何なる才学(サ イガク)にてか申されけん、おぼつかなし。唐土(タウド)の西明寺(サイミヤウ ジ)は、北向き勿論(モチロン)なり」と申しき。

■第百八十段

さぎちやうは、正月(ムツキ)に打ちたる毬杖(ギチヤウ)を、真言(シンゴン) 院より神泉苑(シンゼンヱン)へ出(イダ)して、焼き上(ア)ぐるなり。「法成就 (ホフジヤウジユ)の池にこそ」と囃(ハヤ)すは、神泉苑の池をいふなり。

■第百八十一段

「『降れ降れ粉雪(コユキ)、たんばの粉雪』といふ事、米搗(ヨネツ)き篩(フ ル)ひたるに似たれば、粉雪といふ。『たンまれ粉雪』と言ふべきを、誤りて 『たんばの』とは言ふなり。『垣や木の股(マタ)に』と謡(ウタ)ふべし」と、 或物(アルモノ)知り申しき。

昔より言ひける事にや。鳥羽院幼(ヲサナ)くおはしまして、雪の降るにかく 仰(オホ)せられける由(ヨシ)、讃岐典侍(サヌキノスケ)が日記に書きたり。

■第百八十二段

四条(シデウ)大納言隆親卿(タカチカノキヤウ)、乾鮭(カラザケ)と言ふもの を供御(グゴ)に参らせられたりけるを、「かくあやしき物、参る様(ヤウ)あら じ」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚(ウオ)、参らぬ事にてあ らんにこそあれ、鮭(サケ)の白乾(シラボ)し、何条事(ナデフゴト)かあらん。 鮎(アユ)の白乾しは参らぬかは」と申されけり。

■第百八十三段

人觝(ツ)く牛をば角を截(キ)り、人喰(ク)ふ馬をば耳を截りて、その標(シル シ)とす。標を附(ツ)けずして人を傷(ヤブ)らせぬるは、主(ヌシ)の咎(トガ) なり。人喰ふ犬をば養(ヤシナ)ひ飼ふべからず。これ皆、咎あり。律(リツ)の 禁(イマシメ)なり。

■第百八十四段

相模守時頼(サガミノカミトキヨリ)の母(ハワ)は、松下禅尼(マツシタノゼン ニ)とぞ申しける。守(カミ)を入れ申さるゝ事ありけるに、煤(スス)けたる明( アカリ)り障子の破ればかりを、禅尼、手づから、小刀(コガタナ)して切り廻( マハ)しつゝ張られければ、兄(セウト)の城介義景(ジヤウノスケヨシカゲ)、 その日のけいめいして候(サウラ)ひけるが、「給はりて、某男(ナニガシヲノ コ)に張らせ候はん。さやうの事に心得たる者に候ふ」と申されければ、「そ の男、尼(アマ)が細工によも勝(マサ)り侍らじ」とて、なほ、一間(ヒトマ)づ ゝ張られけるを、義景、「皆を張り替へ候はんは、遥(ハル)かにたやすく候ふ べし。斑(マダ)らに候ふも見苦しくや」と重ねて申されければ、「尼も、後( ノチ)は、さはさはと張り替へんと思へども、今日(ケフ)ばかりは、わざとか くてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理(シユリ)して用(モチ)ゐる事 ぞと、若き人に見習はせて、心づけんためなり」と申されける、いと有難(ア リガタ)かりけり。

世を治(ヲサ)むる道、倹約を本(モト)とす。女性(ニヨシヤウ)なれども、聖 人の心に通(カヨ)へり。天下を保つほどの人を子にて持たれける、まことに、 たゞ人(ビト)にはあらざりけるとぞ。

■第百八十五段

城陸奥守泰盛(ジヤウノムツノカミヤスモリ)は、双(サウ)なき馬乗りなりけ り。馬を引き出(イダ)させけるに、足を揃(ソロ)へて閾(シキミ)をゆらりと越 (コ)ゆるを見ては、「これは勇(イサ)める馬なり」とて、鞍(クラ)を置き換( カ)へさせけり。また、足を伸(ノ)べて閾に蹴当(ケア)てぬれば、「これは鈍( ニブ)くして、過(アヤマ)ちあるべし」とて、乗らざりけり。

道を知らざらん人、かばかり恐れなんや。

■第百八十六段

吉田(ヨシダ)と申す馬乗りの申し侍りしは、「馬毎(ウマゴト)にこはきもの なり。人の力争(アラソ)ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、先(マ)づよ く見て、強き所、弱き所を知るべし。次に、轡(クツワ)・鞍(クラ)の具(グ)に 危(アヤフ)き事やあると見て、心に懸(カカ)る事あらば、その馬を馳(ハ)すべ からず。この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり。これ、秘蔵(ヒサウ)の事 なり」と申しき。

■第百八十七段

万(ヨロヅ)の道の人、たとひ不堪(フカン)なりといへども、堪能(カンノウ) の非家(ヒカ)の人に並ぶ時、必ず勝(マサ)る事は、弛(タユ)みなく慎(ツツシ) みて軽々しくせぬと、偏(ヒト)へに自由(ジイウ)なるとの等(ヒト)しからぬな り。

芸能(ゲイノウ)・所作(シヨサ)のみにあらず、大方(オホカタ)の振舞(フルマ ヒ)・心遣(ココロヅカ)ひも、愚(オロ)かにして慎めるは、得(トク)の本(モト) なり。巧(タク)みにして欲しきまゝなるは、失(シツ)の本なり。

■第百八十八段

或者(アルモノ)、子を法師(ホフシ)になして、「学問して因果(イングワ)の 理(コトワリ)をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、 教(ヲシヘ)のまゝに、説経師(セツキヤウシ)にならんために、先づ、馬に乗り 習ひけり。輿(コシ)・車(クルマ)は持たぬ身の、導師に請(シヤウ)ぜられん時、 馬など迎へにおこせたらんに、桃尻(モモジリ)にて落ちなんは、心憂(ココロ ウ)かるべしと思ひけり。次に、仏事(ブツジ)の後(ノチ)、酒など勧むる事あ らんに、法師の無下(ムゲ)に能なきは、檀那(ダンナ)すさまじく思ふべしとて、 早歌(サウカ)といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境(サカヒ)に入り ければ、いよいよよくしたく覚えて嗜(タシナ)みけるほどに、説経習うべき隙 なくて、年寄りにけり。

この法師のみにもあらず、世間(セケン)の人、なべて、この事あり。若きほ どは、諸事(シヨジ)につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をも附き、 学問をもせんと、行末(ユクスヱ)久しくあらます事ども心には懸(カ)けながら、 世を長閑(ノドカ)に思ひて打ち怠りつゝ、先(マ)づ、差し当りたる、目の前の 事のみに紛(マギ)れて、月日を送れば、事々(コトゴト)成す事なくして、身は 老いぬ。終(ツヒ)に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔( ク)ゆれども取り返さるゝ齢(ヨハヒ)ならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰( オトロ)へ行く。

されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく 思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事(イチジ)を励 むべし。一日の中(ウチ)、一時(イチジ)の中にも、数多(アマタ)の事の来らん 中に、少しも益(ヤク)の勝らん事を営みて、その外(ホカ)をば打ち捨てて、大 事(ダイジ)を急ぐべきなり。何方(イヅカタ)をも捨てじと心に取り持ちては、 一事も成るべからず。

例へば、碁を打つ人、一手(ヒトテ)も徒(イタヅ)らにせず、人に先立(サキダ) ちて、小(セウ)を捨て大(ダイ)に就(ツ)くが如し。それにとりて、三つの石を 捨てて、十(トヲ)の石に就くことは易(ヤス)し。十を捨てて、十一に就くこと は難(カタ)し。一つなりとも勝(マサ)らん方へこそ就くべきを、十まで成りぬ れば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には換(カ)へ難(ニク)し。これをも捨てず、 かれをも取らんと思ふ心に、かれをも得(エ)ず、これをも失ふべき道なり。

京に住む人、急ぎて東山に用ありて、既に行き着きたりとも、西山に行きて その益(ヤク)勝るべき事を思ひ得たらば、門(カド)より帰りて西山へ行くべき なり。「此所(ココ)まで来着(キツ)きぬれば、この事をば先づ言ひてん。日を 指(サ)さぬ事なれば、西山の事は帰りてまたこそ思ひ立ため」と思ふ故に、一 時(イチジ)の懈怠(ケダイ)、即(スナハ)ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。

一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るゝをも傷(イタ)むべからず、人の 嘲(アザケ)りをも恥づべからず。万事(バンジ)に換へずしては、一(イツ)の大 事(ダイジ)成るべからず。人の数多(アマタ)ありける中にて、或者(アルモノ)、 「ますほの薄(ススキ)、まそほの薄など言ふ事あり。渡辺(ワタノベ)の聖、こ の事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮(トウレン)法師、その座に侍りける が、聞きて、雨の降りけるに、「蓑(ミノ)・笠(カサ)やある。貸し給へ。かの 薄の事習ひに、渡辺の聖のがり尋(タヅ)ね罷(マカ)らん」と言ひけるを、「余 (アマ)りに物騒がし。雨止(ヤ)みてこそ」と人の言ひければ、「無下(ムゲ)の 事をも仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、 聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつゝ、習ひ侍りにけり と申し伝へたるこそ、ゆゝしく、有難(アリガタ)う覚ゆれ。「敏(ト)き時は、 則ち功(コウ)あり」とぞ、論語(ロンゴ)と云ふ文(フミ)にも侍るなる。この薄 をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁(インネン)をぞ思ふべかりける。

■第百八十九段

今日(ケフ)はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先(マ)づ出で来て紛(マギ) れ暮し、待つ人は障(サハ)りありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方の事は違 (タガ)ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶(カナ)ひぬ。煩(ワヅラ)はしかりつる事 はことなくて、易(ヤス)かるべき事はいと心苦し。日々(ヒビ)に過ぎ行くさま、 予(カネ)て思ひつるには似ず。一年(ヒトトセ)の中(ウチ)もかくの如し。一生 の間(アヒダ)もしかなり。

予(カネ)てのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあ れば、いよいよ、物は定め難し。不定(フシヤウ)と心得ぬるのみ、実(マコト) にて違はず。

■第百九十段

妻(メ)といふものこそ、男(ヲノコ)の持つまじきものなれ。「いつも独(ヒト) り住(ズ)みにて」など聞くこそ、心にくけれ、「誰(タレ)がしが婿(ムコ)に成 りぬ」とも、また、「如何なる女(ヲンナ)を取り据ゑて、相(アヒ)住む」など 聞きつれば、無下(ムゲ)に心劣りせらるゝわざなり。殊(コト)なる事なき女を よしと思ひ定めてこそ添(ソ)ひゐたらめと、苟(イヤ)しくも推(オ)し測(ハカ) られ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが仏(ホトケ)と守りゐたらむ。たと へば、さばかりにこそと覚えぬべし。まして、家の内(ウチ)を行(オコナ)ひ治 めたる女、いと口惜(クチヲ)し。子など出(イ)で来て、かしづき愛したる、心 憂(ウ)し。男なくなりて後、尼(アマ)になりて年寄りたるありさま、亡(ナ)き 跡まであさまし。

いかなる女なりとも、明暮添(アケクレソ)ひ見んには、いと心づきなく、憎( ニク)かりなん。女のためも、半空(ナカゾラ)にこそならめ。よそながら時々 通ひ住(ス)まんこそ、年月経(ヘ)ても絶えぬ仲らひともならめ。あからさまに 来て、泊(トマ)り居(ヰ)などせんは、珍らしかりぬべし。

■第百九十一段

「夜(ヨ)に入りて、物の映(ハ)えなし」といふ人、いと口をし。万のものの 綺羅(キラ)・飾(カザ)り・色ふしも、夜(ヨル)のみこそめでたけれ。昼は、こ とそぎ、およすけたる姿(スガタ)にてもありなん。夜は、きらゝかに、花やか なる装束(シヤウゾク)、いとよし。人の気色(ケシキ)も、夜の火影(ホカゲ)ぞ、 よきはよく、物言ひたる声も、暗くて聞きたる、用意ある、心にくし。匂(ニ ホ)ひも、ものの音(ネ)も、たゞ、夜ぞひときはめでたき。

さして殊(コト)なる事なき夜、うち更(フ)けて参れる人の、清げなるさまし たる、いとよし。若きどち、心止(トド)めて見る人は、時をも分(ワ)かぬもの ならば、殊に、うち解(ト)けぬべき折節(ヲリフシ)ぞ、褻(ケ)・晴(ハレ)なく ひきつくろはまほしき。よき男(ヲトコ)の、日暮(グ)れてゆするし、女(ヲン ナ)も、夜更くる程に、すべりつゝ、鏡(カガミ)取りて、顔などつくろひて出 づるこそ、をかしけれ。

■第百九十二段

神(カミ)・仏(ホトケ)にも、人の詣(マウ)でぬ日、夜(ヨル)参りたる、よし。

■第百九十三段

くらき人の、人を測(ハカ)りて、その智(チ)を知れりと思はん、さらに当(ア タ)るべからず。

拙(ツタナ)き人の、碁(ゴ)打つ事ばかりにさとく、巧(タク)みなるは、賢(カ シコ)き人の、この芸におろかなるを見て、己(オノ)れが智に及ばずと定めて、 万(ヨロヅ)の道の匠(タクミ)、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたり と思はん事、大きなる誤りなるべし。文字(モンジ)の法師、暗証(アンシヨウ) の禅師(ゼンジ)、互(タガ)ひに測りて、己れに如(シ)かずと思へる、共に当( アタ)らず。

己れが境界(キヤウガイ)にあらざるものをば、争(アラソ)ふべからず、是非 すべからず。

■第百九十四段

達人(タツジン)の、人を見る眼(マナコ)は、少しも誤(アヤマ)る所あるべか らず。

例へば、或人の、世に虚言(ソラゴト)を構(カマ)へ出(イダ)して、人を謀(ハ カ)る事あらんに、素直(スナホ)に、実(マコト)と思ひて、言ふまゝに謀らる ゝ人あり。余りに深く信を起(オコ)して、なほ煩(ワヅラ)はしく、虚言を心得 添(ココロエソ)ふる人あり。また、何(ナニ)としも思はで、心をつけぬ人あり。 また、いさゝかおぼつかなく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあらで、案じ ゐたる人あり。また、実(マコト)しくは覚えねども、人の言ふ事なれば、さも あらんとて止(ヤ)みぬる人もあり。また、さまざまに推(スヰ)し、心得たるよ しして、賢げにうちうなづき、ほゝ笑(ヱ)みてゐたれど、つやつや知らぬ人あ り。また、推し出(イダ)して、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤 りもこそあれと怪しむ人あり。また、「異(コト)なるやうもなかりけり」と、 手を拍(ウ)ちて笑ふ人あり。また、心得たれども、知れりとも言はず、おぼつ かなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じやうにて過ぐる人あり。また、 この虚言の本意を、初めより心得て、少しもあざむかず、構(カマ)へ出したる 人と同じ心になりて、力を合(ア)はする人あり。

愚者(グシヤ)の中(ウチ)の戯(タハブ)れだに、知りたる人の前にては、この さまざまの得たる所、詞(コトバ)にても、顔にても、隠れなく知られぬべし。 まして、明らかならん人の、惑(マド)へる我等を見んこと、掌(タナゴコロ)の 上(ウヘ)の物を見んが如し。但(タダ)し、かやうの推し測りにて、仏法(ブツ ポフ)までをなずらへ言ふべきにはあらず。

■第百九十五段

或人(アルヒト)、久我縄手(コガナハテ)を通(トホ)りけるに、小袖(コソデ) に大口(オホクチ)着たる人、木造(ヂザウ)りの地蔵を田の中の水におし浸して、 ねんごろに洗ひけり。心得難(ココロエガタ)く見るほどに、狩衣(カリギヌ)の 男二三人(フタリミタリ)出で来て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を 具(グ)して去(イ)にけり。久我内大臣(コガノナイダイジン)殿にてぞおはしけ る。

尋常(ヨノツネ)におはしましける時は、神妙(シンベウ)に、やんごとなき人 にておはしけり。

■第百九十六段

東大寺の神輿(シンヨ)、東寺の若宮(ワカミヤ)より帰座(キザ)の時、源氏の 公卿(クギヤウ)参られけるに、この殿(トノ)、大将(ダイシヤウ)にて先を追は れけるを、土御門相国(ツチミカドノシヤウコク)、「社頭(シヤトウ)にて、警 蹕(ケイヒツ)いかゞ侍るべからん」と申されければ、「随身(ズヰジン)の振舞 は、兵杖(ヒヤウヂヤウ)の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。

さて、後に仰せられけるは、「この相国(シヤウコク)、北山抄(ホクザンセウ) を見て、西宮(セイキウ)の説をこそ知られざりけれ。眷属(ケンゾク)の悪鬼( アクキ)・悪神恐るゝ故に、神社にて、殊(コト)に先を追ふべき理あり」とぞ 仰せられける。

■第百九十七段

諸寺(シヨジ)の僧のみにもあらず、定額(ヂヤウガク)の女孺(ニヨジユ)とい ふ事、延喜式(エンギシキ)に見えたり。すべて、数(カズ)定まりたる公人(ク ニン)の通号(ツウガウ)にこそ。

■第百九十八段

揚名介(ヤウメイノスケ)に限らず、揚名目(ヤウメイノサクワン)といふもの あり。政治要略(セイジエウリヤク)にあり。

■第百九十九段

横川行宣法印(ヨカハノギヤウセンホフイン)が申し侍りしは、「唐土(タウド) は呂(リヨ)の国なり。律(リツ)の音(オン)なし。和国(ワコク)は、単律(タン リツ)の国にて、呂の音なし」と申しき。

■第二百段

呉竹(クレタケ)は葉(ハ)細く、河竹(カハタケ)は葉広し。御溝(ミカハ)に近 きは河竹、仁寿殿(ジジユウデン)の方(カタ)に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。

■第二百一段

退凡(タイボン)・下乗(ゲジヨウ)の卒都婆(ソトバ)、外(ソト)なるは下乗、 内なるは退凡なり。

■第二百二段

十月(ジフグワツ)を神無月(カミナヅキ)と言ひて、神事(ジンジ)に憚るべき よしは、記したる物なし。本文(モトフミ)も見えず。但し、当月(タウゲツ)、 諸社(シヨシヤ)の祭なき故に、この名あるか。

この月、万の神達、太神宮(ダイジングウ)に集り給ふなど言ふ説あれども、 その本説(ホンゼツ)なし。さる事ならば、伊勢(イセ)には殊(コト)に祭月(サ イゲツ)とすべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸(ギヤウガウ)、その例 も多し。但し、多くは不吉の例なり。

■第二百三段

勅勘(チヨクカン)の所に靫(ユキ)懸くる作法(サホフ)、今は絶えて、知れる 人なし。主上(シユシヤウ)の御悩(ゴナウ)、大方、世中(ヨノナカ)の騒がしき 時は、五条の天神に靫を懸けらる。鞍馬(クラマ)に靫の明神(ミヤウジン)とい ふも、靫懸けられたりける神なり。看督長(カドノヲサ)の負(オ)ひたる靫をそ の家に懸けられぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、封を著 (ツ)くることになりにけり。

■第二百四段

犯人(ボンニン)を笞(シモト)にて打つ時は、拷器(ガウキ)に寄せて結ひ附く るなり。拷器の様(ヤウ)も、寄する作法も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。

■第二百五段

比叡山(ヒエノヤマ)に、大師勧請(ダイシクワンジヤウ)の起請(キシヤウ)と いふ事は、慈恵僧正(ジヱソウジヤウ)書き始め給ひけるなり。起請文といふ事、 法曹(ハウサウ)にはその沙汰なし。古(イニシヘ)の聖代、すべて、起請文につ きて行はるゝ政(マツリゴト)はなきを、近代、この事流布(ルフ)したるなり。

また、法令(ハフリヤウ)には、水火に穢(ケガ)れを立てず。入物(イレモノ) には穢れあるべし。

■第二百六段

徳大寺故大臣殿(トクダイジノコオホイトノ)、検非違使(ケンビヰシ)の別当( ベツタウ)の時、中門にて使庁(シチヤウ)の評定(ヒヤウジヤウ)行はれける程( ホド)に、官人章兼(クワンニンアキカネ)が牛放れて、庁の内へ入りて、大理( ダイリ)の座(ザ)の浜床(ハマユカ)の上に登りて、にれうちかみて臥したりけ り。重き怪異(ケイ)なりとて、牛を陰陽師(オンヤウジ)の許(モト)へ遣すべき よし、各々(オノオノ)申しけるを、父の相国(シヤウコク)聞き給ひて、「牛に 分別(フンベツ)なし。足あれば、いづくへか登らざらん。〓H2680弱(ワウジヤ ク)の官人、たまたま出仕(シユツシ)の微牛(ビギウ)を取らるべきやうなし」 とて、牛をば主に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて凶事( キヤウジ)なかりけるとなん。

「怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。

■第二百七段

亀山殿(カメヤマドノ)建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇(クチナ ハ)、数も知らず凝(コ)り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、 事の由(ヨシ)を申しければ、「いかゞあるべき」と勅問(チヨクモン)ありける に、「古くよりこの地を占(シ)めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」 と皆人(ミナヒト)申されけるに、この大臣(オトド)、一人、「王土(ワウド)に をらん虫、皇居(クワウキヨ)を建てられんに、何の祟(タタ)りをかなすべき。 鬼神(キシン)はよこしまなし。咎(トガ)むべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」 と申されたりければ、塚を崩(クヅ)して、蛇をば大井河に流してンげり。

さらに祟りなかりけり。

■第二百八段

経文(キヤウモン)などの紐(ヒモ)を結ふに、上下(カミシモ)よりたすきに交( チガ)へて、二筋(フタスヂ)の中よりわなの頭(カシラ)を横様(ヨコサマ)に引 き出(イダ)す事は、常の事なり。さやうにしたるをば、華厳院弘舜(ケゴンイ ンノコウシユン)僧正、解(ト)きて直させけり。「これは、この比様(ゴロヤウ) の事なり。いとにくし。うるはしくは、たゞ、くるくると巻きて、上より下へ、 わなの先を挟(サシハサ)むべし」と申されけり。

古き人にて、かやうの事知れる人になん侍りける。

■第二百九段

人の田を論ずる者、訴(ウツタ)へに負けて、ねたさに、「その田を刈(カ)り て取れ」とて、人を遣(ツカハ)しけるに、先(マ)づ、道すがらの田をさへ刈り もて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈 る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事(ヒガコト)せんとて罷 (マカ)る者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。

理、いとをかしかりけり。

■第二百十段

「喚子鳥(ヨブコドリ)は春のものなり」とばかり言ひて、如何(イカ)なる鳥 ともさだかに記せる物なし。或真言(アルシンゴン)書の中に、喚子鳥鳴く時、 招魂(セウコン)の法をば行ふ次第(シダイ)あり。これは鵺(ヌエ)なり。万葉集 の長歌(ナガウタ)に、「霞(カスミ)立つ、長き春日(ハルヒ)の」など続けたり。 鵺鳥も喚子鳥のことざまに通(カヨ)いて聞(キコ)ゆ。

■第二百十一段

万(ヨロヅ)の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、 怒(イカ)る事あり。勢(イキホ)ひありとて、頼むべからず。こはき者先(マ)づ 滅ぶ。財(タカラ)多しとて、頼むべからず。時の間(マ)に失ひ易し。才(ザエ) ありとて、頼むべからず。孔子も時に遇(ア)はず。徳ありとて、頼むべからず。 顔回(グワンカイ)も不幸なりき。君(キミ)の寵(チョウ)をも頼むべからず。誅 (チウ)を受くる事速(スミヤ)かなり。奴(ヤツコ)従へりとて、頼むべからず。 背(ソム)き走る事あり。人の志(ココロザシ)をも頼むべからず。必ず変(ヘン) ず。約(ヤク)をも頼むべからず。信(シン)ある事少し。

身をも人をも頼まざれば、是(ゼ)なる時は喜び、非(ヒ)なる時は恨みず。左 右(サウ)広ければ、障(サハ)らず、前後遠(ゼンゴトホ)ければ、塞(フサ)がら ず。狭(セバ)き時は拉(ヒシ)げ砕(クダ)く。心を用ゐる事少(スコ)しきにして 厳(キビ)しき時は、物に逆(サカ)ひ、争ひて破る。緩(ユル)くして柔(ヤハラ) かなる時は、一毛(イチマウ)も損せず。

人は天地の霊なり。天地は限る所なし。人の性(シヤウ)、何ぞ異(コト)なら ん。寛大(クワンダイ)にして極まらざる時は、喜怒(キド)これに障らずして、 物のために煩(ワヅラ)はず。

■第二百十二段

秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、 思ひ分かざらん人は、無下(ムゲ)に心うかるべき事なり。

■第二百十三段

御前(ゴゼン)の火炉(クワロ)に火を置く時は、火箸(ヒバシ)して挟(ハサ)む 事なし。土器(カハラケ)より直(タダ)ちに移すべし。されば、転(コロ)び落ち ぬやうに心得て、炭を積(ツ)むべきなり。

八幡(ヤハタ)の御幸(ゴカウ)に、供奉(グブ)の人、浄衣(ジヤウエ)を着て、 手にて炭をさゝれければ、或有職(アルイウシヨク)の人、「白き物を着たる日 は、火箸を用ゐる、苦しからず」と申されけり。

■第二百十四段

想夫恋(サウフレン)といふ楽(ガク)は、女(ヲンナ)、男(ヲトコ)を恋(コ)ふ る故の名にはあらず、本(モト)は相府蓮(サウフレン)、文字(モンジ)の通へる なり。晋(シン)の王倹(ワウケン)、大臣(ダイジン)として、家に蓮(ハチス)を 植ゑて愛せし時の楽なり。これより、大臣を蓮府(レンプ)といふ。

廻忽(クワイコツ)も廻鶻(クワイコツ)なり。廻鶻国とて、夷(エビス)のこは き国あり。その夷、漢(カン)に伏(フク)して後に、来りて、己れが国の楽を奏 せしなり。

■第二百十五段

平宣時朝臣(タヒラノノブトキアツソン)、老(オイ)の後、昔語(ムカシガタリ) に、「最明寺入道(サイミヤウジノニフダウ)、或宵(アルヨヒ)の間(マ)に呼ば るゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ヒタタレ)のなくてとかくせ しほどに、また、使(ツカヒ)来りて、『直垂などの候はぬにや。夜なれば、異 様(コトヤウ)なりとも、疾(ト)く』とありしかば、萎(ナ)えたる直垂、うちう ちのまゝにて罷(マカ)りたりしに、銚子(テウシ)に土器(カハラケ)取り添(ソ) へて持て出でて、『この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。 肴(サカナ)こそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくま でも求め給へ』とありしかば、紙燭(シソク)さして、隈々(クマグマ)を求めし 程に、台所の棚に、小土器に味噌(ミソ)の少し附きたるを見出(ミイ)でて、『 これぞ求め得て候ふ』と申ししかば、『事(コト)足りなん』とて、心よく数献 (スコン)に及びて、興(キョウ)に入られ侍りき。その世には、かくこそ侍りし か」と申されき。

■第二百十六段

最明寺入道(サイミヤウジノニフダウ)、鶴岡(ツルガヲカ)の社参(シヤサン) の次(ツイデ)に、足利左馬入道(アシカガノサマノスケノ)の許(モト)へ、先づ 使(ツカヒ)を遣して、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりける様( ヤウ)、一献(イツコン)に打ち鮑(アハビ)、二献(ニコン)に海老、三献(サンコ ン)にかいもちひにて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨(リユウベン)僧正、 主方(アルジカタ)の人にて座(ザ)せられけり。さて、「年毎に給はる足利の染 物(ソメモノ)、心もとなく候ふ」と申されければ、「用意し候ふ」とて、色々 の染物三十、前にて、女房どもに小袖(コソデ)に調(テウ)ぜさせて、後に遣さ れけり。

その時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍りしなり。

■第二百十七段

或大福長者(アルダイフクチヤウジヤ)の云はく、「人は、万(ヨロヅ)をさし おきて、ひたふるに徳をつくべきなり。貧しくては、生けるかひなし。富(ト) めるのみを人とす。徳をつかんと思はば、すべからく、先づ、その心遣(ココ ロヅカ)ひを修行すべし。その心と云ふは、他の事にあらず。人間常住(ジヤウ ヂユウ)の思ひに住して、仮にも無常を観(クワン)ずる事なかれ。これ、第一 の用心なり。次に、万事の用を叶(カナ)ふべからず。人の世にある、自他につ けて所願無量(シヨグワンムリヤウ)なり。欲に随(シタガ)ひて志を遂げんと思 はば、百万の銭ありといふとも、暫(シバラ)くも住すべからず。所願(シヨグ ワン)は止む時なし。財(タカラ)は尽くる期(ゴ)あり。限りある財をもちて、 限りなき願ひに随ふ事、得(ウ)べからず。所願心に萌(キザ)す事あらば、我を 滅すべき悪念来(アクネンキタ)れりと固く慎(ツツシ)み恐れて、小要(セウエ ウ)をも為すべからず。次に、銭を奴(ヤツコ)の如くして使ひ用ゐる物と知ら ば、永く貧苦(ヒンク)を免(マヌカ)るべからず。君の如く、神の如く畏(オソ) れ尊みて、従へ用ゐる事なかれ。次に、恥(ハヂ)に臨むといふとも、怒り恨む る事なかれ。次に、正直(シヤウヂキ)にして、約(ヤク)を固くすべし。この義 を守(マボ)りて利を求めん人は、富(トミ)の来る事、火の燥(カワ)けるに就( ツ)き、水の下(クダ)れるに随ふが如くなるべし。銭積(ツモ)りて尽きざる時 は、宴飲(エンイン)・声色(セイシヨク)を事(コト)とせず、居所(キヨシヨ)を 飾らず、所願を成(ジヤウ)ぜざれども、心とこしなへに安く、楽し」と申しき。

そもそも、人は、所願を成ぜんがために、財(ザイ)を求む。銭を財とする事 は、願ひを叶ふるが故なり。所願あれども叶へず、銭あれども用ゐざらんは、 全く貧者(ヒンジヤ)と同じ。何をか楽しびとせん。この掟(オキテ)は、たゞ、 人間の望みを断ちて、貧を憂(ウレ)ふべからずと聞えたり。欲を成じて楽しび とせんよりは、如(シ)かじ、財なからんには。癰(ヨウ)・疽(ソ)を病む者、水 に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんには如かじ。こゝに至りては、貧( ヒン)・富分(プワ)く所なし。究竟(クキヤウ)は理即(リソク)に等し。大欲(タ イヨク)は無欲に似たり。

■第二百十八段

狐(キツネ)は人に食ひつくものなり。堀川(ホリカハ)殿にて、舎人(トネリ) が寝たる足を狐に食はる。仁和寺(ニンナジ)にて、夜(ヨル)、本寺(ホンジ)の 前を通る下法師(シモボフシ)に、狐三(ミ)つ飛びかゝりて食ひつきければ、刀 (カタナ)を抜きてこれを防ぐ間、狐二疋(ヒキ)を突く。一つは突き殺しぬ。二 つは逃げぬ。法師は、数多所(アマタトコロ)食はれながら、事故(コトユヱ)な かりけり。

■第二百十九段

四条黄門(シデウノクワウモン)命ぜられて云はく、「竜秋(タツアキ)は、道 にとりては、やんごとなき者なり。先日(センジツ)来りて云はく、『短慮(タ ンリヨ)の至り、極めて荒涼(クワウリヤウ)の事なれども、横笛(ヨコブエ)の 五(ゴ)の穴は、聊(イササ)かいぶかしき所の侍るかと、ひそかにこれを存(ゾ ン)ず。その故は、干(カン)の穴は平調(ヒヤウデウ)、五の穴は下無調(シモム デウ)なり。その間に、勝絶調(シヨウゼツデウ)を隔てたり。上(ジヤウ)の穴、 双調(サウデウ)。次に、鳧鐘調(フシヨウデウ)を置きて、夕(サク)の穴、黄鐘 調(ワウジキデウ)なり。その次に鸞鏡調(ランケイデウ)を置きて、中(チユウ) の穴、盤渉調(バンシキデウ)、中と六とのあはひに、神仙調(シンセンデウ)あ り。かやうに、間々(ママ)に皆一律(イチリツ)をぬすめるに、五の穴のみ、上 の間に調子を持たずして、しかも、間(マ)を配る事等(ヒト)しき故に、その声 不快(フクワイ)なり。されば、この穴を吹く時は、必ずのく。のけあへぬ時は、 物に合はず。吹き得(ウ)る人難(カタ)し』と申しき。料簡(レウケン)の至り、 まことに興あり。先達(センダチ)、後生(コウセイ)を畏(オソ)ると云ふこと、 この事なり」と侍りき。

他日(タジツ)に、景茂(カゲモチ)が申し侍りしは、「笙(シヤウ)は調べおほ せて、持ちたれば、たゞ吹くばかりなり。笛(フエ)は、吹きながら、息のうち にて、かつ調べもてゆく物なれば、穴毎(ゴト)に、口伝(クデン)の上に性骨( シヤウコツ)を加へて、心を入(イ)るゝこと、五の穴のみに限らず。偏(ヒトヘ) に、のくとばかりも定むべからず。あしく吹けば、いづれの穴も心よからず。 上手はいづれをも吹き合はす。呂律(リヨリツ)の、物に適(カナ)はざるは、人 の咎(トガ)なり。器(ウツハモノ)の失(シツ)にあらず」と申しき。

■第二百二十段

「何事も、辺土(ヘンド)は賤しく、かたくななれども、天王寺(テンワウジ) の舞楽(ブガク)のみ都(ミヤコ)に恥ぢず」と云ふ。天王寺の伶人(レイジン)の 申し侍りしは、「当寺(タウジ)の楽(ガク)は、よく図(ヅ)を調べ合はせて、も のの音(ネ)のめでたく調(トトノホ)り侍る事、外(ホカ)よりもすぐれたり。故 は、太子(タイシ)の御時(オントキ)の図、今に侍るを博士(ハカセ)とす。いは ゆる六時(ロクジ)堂の前の鐘なり。その声、黄鐘調(ワウジキデウ)の最中(モ ナカ)なり。寒(カン)・暑(シヨ)に随(シタガ)ひて上(アガ)り・下(サガ)りあ るべき故に、二月涅槃会(ニグワツネハンヱ)より聖霊会(シヤウリヤウヱ)まで の中間(チユウゲン)を指南(シナン)とす。秘蔵(ヒサウ)の事なり。この一調子 (イツテウシ)をもちて、いづれの声をも調へ侍るなり」と申しき。

凡(オヨ)そ、鐘の声は黄鐘調なるべし。これ、無常の調子、祇園精舎(ギヲン シヤウジヤ)の無常院(ムジヤウイン)の声なり。西園寺(サイヲンジ)の鐘、黄 鐘調に鋳(イ)らるべしとて、数多度(アマタタビ)鋳かへられけれども、叶(カ ナ)はざりけるを、遠国(ヲンゴク)より尋ね出されけり。浄金剛(ジヤウコンガ ウ)院の鐘の声、また黄鐘調なり。

■第二百二十一段

「建治(ケンヂ)・弘安(コウアン)の比は、祭(マツリ)の日の放免(ハウベン) の附物(ツケモノ)に、異様(コトヤウ)なる紺の布四五反(シゴタン)にて馬を作 りて、尾(ヲ)・髪には燈心(トウジミ)をして、蜘蛛(クモ)の網(イ)書(カ)きた る水干(スヰカン)に附(ツ)けて、歌の心など言ひて渡りし事、常に見及(ミオ ヨ)び侍りしなども、興(キョウ)ありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老 いたる道志(ダウシ)どもの、今日(ケフ)も語り侍るなり。

この比は、附物(ツケモノ)、年を送りて、過差(クワサ)殊(コト)の外(ホカ) になりて、万(ヨロヅ)の重き物を多く附けて、左右(サウ)の袖(ソデ)を人に持 たせて、自(ミヅカ)らは鉾(ホコ)をだに持たず、息づき、苦しむ有様、いと見 苦し。

■第二百二十二段

竹谷乗願房(タケダニノジヨウグワンボウ)、東二乗院(トウニデウノヰン)へ 参られたりけるに、「亡者(マウジヤ)の追善(ツヰゼン)には、何事か勝利(シ ヨウリ)多き」と尋(タヅ)ねさせ給ひければ、「光明真言(クワウミヤウシンゴ ン)・宝篋印陀羅尼(ホウケウインダラニ)」と申されたりけるを、弟子ども、 「いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏(ネンブツ)に勝る事候ふまじとは、など 申し給はぬぞ」と申しければ、「我(ワ)が宗(シユウ)なれば、さこそ申さまほ しかりつれども、正しく、称名(ショウミャウ)を追福(ブク)に修(シユ)して巨 益(コヤク)あるべしと説ける経文を見及ばねば、何に見えたるぞと重(カサ)ね て問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、本経(ホンギョウ)の確かなるにつき て、この真言・陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。

■第二百二十三段

鶴(タヅ)の大臣殿(オホイトノ)は、童名(ワラハナ)、たづ君(ギミ)なり。鶴 を飼ひ給ひける故にと申すは、僻事(ヒガコト)なり。

■第二百二十四段

陰陽師有宗入道(オンヤウジアリムネニフダウ)、鎌倉より上(ノボ)りて、尋( タヅ)ねまうで来りしが、先づさし入りて、「この庭のいたすらに広きこと、 あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は、植(ウ)うる事を努(ツト)む。 細道(ホソミチ)一つ残して、(ミナ)皆、畠(ハタケ)に作り給へ」と諌(イサ)め 侍りき。

まことに、少しの地をもいたづらに置かんことは、益(ヤク)なき事なり。食 ふ物・薬種(ヤクシユ)など植ゑ置くべし。

■第二百二十五段

多久資(オホノヒサスケ)が申しけるは、通憲入道(ミチノリニフダウ)、舞(マ ヒ)の手の中(ナカ)に興(キョウ)ある事どもを選びて、磯(イソ)の禅師(ゼンジ) といひける女に教へて舞はせけり。白き水干(スヰカン)に、鞘巻(サウマキ)を 差させ、烏帽子(エボシ)を引き入れたりければ、男舞(ヲトコマヒ)とぞ言ひけ る。禅師が娘(ムスメ)、静(シヅカ)と言ひける、この芸を継げり。これ、白拍 子(シラビヤウシ)の根元(コンゲン)なり。仏神(ブツジン)の本縁(ホンエン)を 歌ふ。その後、源光行(ミツユキ)、多くの事を作れり。御鳥羽院の御作(ゴサ ク)もあり、亀菊(カメギク)に教へさせ給ひけるとぞ。

■第二百二十六段

後鳥羽院(ゴトバノヰン)の御時(オントキ)、信濃前司行長(シナノノゼンジユ キナガ)、稽古(ケイコ)の誉(ホマレ)ありけるが、楽府(ガフ)の御論議(ミロン ギ)の番(バン)に召されて、七徳(シチトク)の舞(マイ)を二つ忘れたりければ、 五徳(ゴトク)の冠者(クワンジヤ)と異名(イミヤウ)を附きにけるを、心憂き事 にして、学問を捨てて遁世(トンゼイ)したりけるを、慈鎮和尚(ヂチンクワシ ヤウ)、一芸(イチゲイ)ある者をば、下部(シモベ)までも召し置きて、不便(フ ビン)にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持(フチ)し給ひけり。

この行長入道、平家物語(ヘイケノモノガタリ)を作りて、生仏(シヤウブツ) といひける盲目(マウモク)に教へて語らせけり。さて、山門(サンモン)の事を 殊にゆゝしく書けり。九郎判官(クラウハングワン)の事は委(クハ)しく知りて 書き載せたり。蒲冠者(カバノクワンジヤ)の事はよく知らざりけるにや、多く の事どもを記(シル)し洩らせり。武士の事、弓馬(キウバ)の業(ワザ)は、生仏、 東国(トウゴク)の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が生(ウマ) れつきの声を、今の琵琶(ビハ)法師は学びたるなり。

■第二百二十七段

六時礼讃(ロクジライサン)は、法然上人(ホフネンシヤウニン)の弟子、安楽( アンラク)といひける僧、経文(キヤウモン)を集めて作りて、勤(ツト)めにし けり。その後、太秦善観房(ウヅマサノゼンクワンボウ)といふ僧、節博士(フ シハカセ)を定めて、声明(シヤウミヤウ)になせり。一念(イチネン)の念仏の 最初なり。御嵯峨院(ゴサガノ)の御代(ミヨ)より始まれり。法事讃(ホフジサ ン)も、同じく、善観房始めたるなり。

■第二百二十八段

千本の釈迦念仏(シヤカネンブツ)は、文永(ブンエイ)の比、如輪(ニヨリン) 上人、これを始められけり。

■第二百二十九段

よき細工(サイク)は、少し鈍き刀(カタナ)を使ふと言ふ。妙観(メウクワン) が刀はいたく立たず。

■第二百三十段

五条内裏(ゴデウノダイリ)には、妖物(バケモノ)ありけり。藤大納言殿語(ト ウノダイナゴンドノ)られ侍りしは、殿上人(テンジヤウビト)ども、黒戸(クロ ド)にて碁を打ちけるに、御簾(ミス)を掲げて見るものあり。「誰(タ)そ」と 見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さし覗(ノゾ)きたるを、「あれ狐よ 」とどよまれて、惑(マド)ひ逃げにけり。

未練(ミレン)の狐、化け損じけるにこそ。

■第二百三十一段

園(ソノ)の別当入道(ベツタウニフダウ)は、さうなき庖丁者(ホウチヤウジヤ) なり。或人の許(モト)にて、いみじき鯉(コヒ)を出だしたりければ、皆人(ミ ナヒト)、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかゞ とためらひけるを、別当入道、さる人にて、「この程(ホド)、百日(ヒヤクニ チ)の鯉を切り侍るを、今日(ケフ)欠(カ)き侍るべきにあらず。枉(マ)げて申 し請(ウ)けん」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へ りけると、或人、北山太政入道(キタヤマノダイジヤウニフダウ)殿に語り申さ れたりければ、「かやうの事、己(オノ)れはよにうるさく覚ゆるなり。『切り ぬべき人なくは、給(タ)べ。切らん』と言ひたらんは、なほよかりなん。何条 (ナデウ)、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく覚えしと人の語 り給ひける、いとをかし。

大方(オホカタ)、振舞(フルマ)ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、 勝りたる事なり。客人(マレビト)の饗応(キヤウオウ)なども、ついでをかしき やうにとりなしたるも、まことによけれども、たゞ、その事となくてとり出で たる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉(タテマ ツ)らん」と云ひたる、まことの志なり。惜しむ由(ヨシ)して乞(コ)はれんと 思ひ、勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし。

■第二百三十二段

すべて、人は、無智(ムチ)・無能(ムノウ)なるべきものなり。或(アルヒト) 人の子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言(モノイ)ふとて、 史書(シシヨ)の文(モン)を引きたりし、賢(サカ)しくは聞えしかども、尊者( ソンジヤ)の前にてはさらずともと覚えしなり。また、或人の許(モト)にて、 琵琶法師(ビハホフシ)の物語を聞かんとて琵琶を召(メ)し寄(ヨ)せたるに、柱 (ヂユウ)の一つ落ちたりしかば、「作りて附(ツ)けよ」と言ふに、ある男の中 (ナカ)に、悪しからずと見ゆるが、「古き柄杓(ヒシヤク)の柄(エ)ありや」な ど言ふを見れば、爪(ツメ)を生(オ)ふしたり。琵琶など弾くにこそ。盲法師( メクラホフシ)の琵琶、その沙汰(サタ)にも及ばぬことなり。道に心得たる由( ヨシ)にやと、かたはらいたかりき。「柄杓の柄は、檜物木(ヒモノギ)とかや いひて、よからぬ物に」とぞ或人仰せられし。

若き人は、少(スコ)しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。

■第二百三十三段

万(ヨロヅ)の咎(トガ)あらじと思はば、何事(ナニゴト)にもまことありて、 人を分(ワ)かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。男女(ナンニヨ)・ 老少(ラウセウ)、皆、さる人こそよけれども、殊に、若く、かたちよき人の、 言(コト)うるはしきは、忘れ難(ガタ)く、思ひつかるゝものなり。

万の咎は、馴れたるさまに上手(ジヤウズ)めき、所得(トコロエ)たる気色(ケ シキ)して、人をないがしろにするにあり。

■第二百三十四段

人の、物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのまゝに言はんはをこがま しとにや、心惑(マド)はすやうに返事(カヘリコト)したる、よからぬ事なり。 知りたる事も、なほさだかにと思ひてや問ふらん。また、まことに知らぬ人も、 などかなからん。うらゝかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞えなまし。

人は未(イマ)だ聞き及ばぬ事を、我が知りたるまゝに、「さても、その人の 事のあさましさ」などばかり言ひ遣(ヤ)りたれば、「如何(イカ)なる事のある にか」と、押し返し問ひに遣るこそ、心づきなけれ。世に古(フ)りぬる事をも、 おのづから聞き洩(モラ)すあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げ遣り たらん、悪(ア)しかるべきことかは。

かやうの事は、物馴(モノナ)れぬ人のある事なり。

■第二百三十五段

主(ヌシ)ある家には、すゞろなる人、心のまゝに入り来(ク)る事なし。主な き所には、道行人濫(ミチユキビトミダ)りに立ち入り、狐・梟(フクロフ)やう の物も、人気(ヒトゲ)に塞(セ)かれねば、所得顔(トコロエガホ)に入(イ)り棲 (ス)み、木霊(コタマ)など云ふ、けしからぬ形も現(アラ)はるゝものなり。

また、鏡(カガミ)には、色(イロ)・像(カタチ)なき故に、万の影来(カゲキタ) りて映る。鏡に色・像あらましかば、映らざらまし。

虚空(コクウ)よく物を容(イ)る。我等(ワレラ)が心に念々(ネンネン)のほし きまゝに来り浮(ウカ)ぶも、心といふもののなきにやあらん。心に主(ヌシ)あ らましかば、胸の中(ウチ)に、若干(ソコバク)の事は入り来らざらまし。

■第二百三十六段

丹波(タンバ)に出雲(イヅモ)と云ふ所あり。大社(オホヤシロ)を移して、め でたく造れり。しだの某(ナニガシ)とかやしる所なれば、秋の比、聖海(シヤ ウカイ)上人、その他も人数多(ヒトアマタ)誘ひて、「いざ給(タマ)へ、出雲 拝(ヲガ)みに。かいもちひ召(メ)させん」とて具(グ)しもて行きたるに、各々 (オノオノ)拝みて、ゆゝしく信(シン)起したり。

御前(オマヘ)なる獅子(シシ)・狛犬(コマイヌ)、背きて、後(ウシロ)さまに 立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様 (ヤウ)、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原(トノバラ)、 殊勝(シユシヤウ)の事は御覧(ゴラン)じ咎(トガ)めずや。無下(ムゲ)なり」と 言へば、各々怪(アヤ)しみて、「まことに他(タ)に異(コト)なりけり」、「都 (ミヤコ)のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、 物知りぬべき顔したる神官(ジングワン)を呼びて、「この御社(ミヤシロ)の獅 子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承(ウケタマハ)らばや」と 言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童(ワラワベ)どもの仕りける、奇怪 (キクワイ)に候う事なり」とて、さし寄りて、据(ス)ゑ直して、往(イ)にけれ ば、上人の感涙(カンルヰ)いたづらになりにけり。

■第二百三十七段

柳筥(ヤナイバコ)に据(ス)うる物は、縦様(タテサマ)・横様(ヨコサマ)、物 によるべきにや。「巻物などは、縦様に置きて、木(キ)の間(アハヒ)より紙ひ ねりを通(トホ)して、結(ユ)い附(ツ)く。硯(スズリ)も、縦様に置きたる、筆 転(コロ)ばず、よし」と、三条右大臣殿(サンデウノウダイジン)仰せられき。

勘解由小路(カデノコウヂ)の家の能書(ノウジヨ)の人々は、仮にも縦様に置 かるゝ事なし。必ず、横様に据ゑられ侍りき。

■第二百三十八段

御随身近友(ミズヰジンチカトモ)が自讃(ジサン)とて、七箇条(シチカデウ) 書き止(トド)めたる事あり。皆(ミナ)、馬芸(バゲイ)、させることなき事ども なり。その例(タメシ)を思ひて、自賛の事七つあり。

一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院(サイシヤウクワウヰンヘン) の辺にて、男(ヲノコ)の、馬を走(ハシ)らしむる を見て、「今一度(ヒトタビ) 馬を馳(ハ)するものならば、馬倒(タフ)れて、落つべし。暫(シバ)し見給へ」 とて立ち止(ドマ)りたるに、また、馬を馳す。止(トド)むる所にて、馬を引き 倒して、乗る人、泥土(デイト)の中に転(コロ)び入る。その詞(コトバ)の誤ら ざる事を人皆感ず。

一、当代未(タウダイイマ)だ坊(ボウ)におはしましし比(コロ)、万里小路殿 御所(マデノコウヂドノゴシヨ)なりしに、堀川(ホリカハノ)大納言殿伺候(シ コウ)し給ひし御曹子(ミザウシ)へ用ありて参りたりしに、論語(ロンゴ)の四 ・五・六の巻(マキ)をくりひろげ給ひて、「たゞ今、御所にて、『紫の、朱奪 (アケウバ)ふことを悪(ニク)む』と云ふ文(モン)を御覧ぜられたき事ありて、 御本(ゴホン)を御覧ずれども、御覧じ出(イダ)されぬなり。『なほよく引き見 よ』と仰(オホ)せ事にて、求むるなり」と仰せらるゝに、「九(ク)の巻のそこ そこの程(ホド)に侍る」と申したりしかば、「あな嬉(ウレ)し」とて、もて参 らせ給ひき。かほどの事は、児(チゴ)どもも常(ツネ)の事なれど、昔の人はい さゝかの事をもいみじく自賛(ジサン)したるなり。御鳥羽(ゴトバ)院の、御歌 (ミウタ)に、「袖(ソデ)と袂(タモト)と、一首の中(ウチ)に悪(ア)しかりなん や」と、定家卿(テイカノキヤウ)に尋(タヅ)ね仰せられたるに、「『秋の野の 草の袂か花薄穂(ズスキホ)に出(イ)でて招く袖と見ゆらん』と侍れば、何事( ナニゴト)か候ふべき」と申されたる事も、「時に当(アタ)りて本歌(ホンカ) を覚悟(カクゴ)す。道の冥加(ミヤウガ)なり、高運(コウウン)なり」など、こ とことしく記(シル)し置かれ侍るなり。九条相国伊通公(クデウノシヤウコク コレミチ)の款状(クワジヤウ)にも、殊(コト)なる事なき題目(ダイモク)をも 書き載せて、自賛せられたり。

一、常在光院(ジヤウザイクワウヰン)の撞(ツ)き鐘(ガネ)の銘(メイ)は、在 兼卿(アリカネノキヤウ)の草(サウ)なり。行房朝臣清書(ユキフサノアソンセ イジヨ)して、鋳型(イカタ)に模(ウツ)さんとせしに、奉行(ブギヤウ)の入道( ニフダウ)、かの草を取り出でて見せ侍りしに、「花の外(ホカ)に夕(ユフベ) を送れば、声百里(ハクリ)に聞(キコ)ゆ」と云ふ句あり。「陽唐(ヤウタウ)の 韻(ヰン)と見ゆるに、百里誤(アヤマ)りか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉 (タテマツ)りける。己(オノ)れが高名(カウミヤウ)なり」とて、筆者(ヒツシ ヤ)の許(モト)へ言ひ遣(ヤ)りたるに、「誤り侍りけり。数行(スカウ)と直(ナ ホ)さるべし」と返事(カヘリコト)侍りき。数行も如何(イカ)なるべきにか。 若(モ)し数歩(スホ)の心か。おぼつかなし。

一、人あまた伴(トモナ)ひて、三塔巡礼(サンタフジユンレイ)の事侍りしに、 横川(ヨカハ)の常行道(ジヤウギヤウダウ)の中、竜華院(リョウゲヰン)と書け る、古き額(ガク)あり。「佐理(サリ)・行成(カウゼイ)の間(アヒダ)疑ひあり て、未(イマ)だ決(ケツ)せずと申し伝へたり」と、堂僧(ダウソウ)ことことし く申し侍りしを、「行成ならば、裏書(ウラガキ)あるべし。佐理(サリ)ならば、 裏書(ウラガキ)あるべからず」と言ひたりしに、裏は塵積(チリツモ)り、虫の 巣(ス)にていぶせげなるを、よく掃(ハ)き拭(ノゴ)ひて、各々(オノオノ)見侍 りしに、行成位署(カウゼイヰジヨ)・名字(ミヤウジ)・年号(ネンガウ)、さだ かに見え侍りしかば、人皆(ミナ)興に入(イ)る。

一、那蘭陀寺(ナランダジ)にて、道眼聖談義(ダウゲンヒジリダンギ)せしに、 八災(ハツサイ)と云ふ事を忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化(シ ヨケ)皆(ミナ)覚えざりしに、局(ツボネ)の内(ウチ)より、「これこれにや」 と言ひ出したれば、いみじく感じ侍りき。

一、賢助僧正(ケンジヨソウジヨウ)に伴(トモナ)ひて、加持香水(カヂコウズ ヰ)を見侍りしに、未だ果てぬ程(ホド)に、僧正帰り出で侍りしに、陳(ヂン) の外(ト)まで僧都(ソウヅ)見えず。法師どもを返して求めさするに、「同じ様 (サマ)なる大衆(ダイシユ)多くて、え求め逢(ア)はず」と言ひて、いと久(ヒ サ)しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれし に、帰り入りて、やがて具(グ)して出でぬ。

一、二月十五日(キサラギジフゴニチ)、月明(ツキアカ)き夜(ヨ)、うち更(フ) けて、千本の寺に詣(マウ)でて、後(ウシロ)より入りて、独(ヒト)り顔深く隠 (カク)して聴聞(チヤウモン)し侍(ハンベ)りしに、優(イウ)なる女の、姿・匂 (ニホ)ひ、人より殊(コト)なるが、分(ワ)け入りて、膝(ヒザ)に居(ヰ)かゝれ ば、匂ひなども移るばかりなれば、便(ビン)あしと思ひて、摩(ス)り退(ノ)き たるに、なほ居寄(ヰヨ)りて、同じ様(サマ)なれば、立ちぬ。その後(ノチ)、 ある御所様(ゴシヨサマ)の古き女房(ニヨウバウ)の、そゞろごと言はれしつい でに、「無下(ムゲ)に(イロ)色なき人におはしけりと、見おとし奉(タテマツ) る事なんありし。情(ナサケ)なしと恨(ウラ)み奉る人なんある」とのたまひ出 したるに、「更(サラ)にこそ心得(ココロエ)侍れね」と申して止(ヤ)みぬ。こ の事、後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局(ミツボネ)の内より、人の御覧 じ知りて、候(サウラ)ふ女房を作り立てて出し給ひて、「便(ビン)よくは、言 葉などかけんものぞ。その有様(アリサマ)参りて申せ。興あらん」とて、謀( ハカ)り給ひけるとぞ。

■第二百三十九段

八月十五日(ハツキジフゴニチ)・九月十三日(ナガヅキジフサンニチ)は、婁 宿(ロウシユク)なり。この宿、清明(セイメイ)なる故に、月を翫(モテアソ)ぶ に良夜(リヤウヤ)とす。

■第二百四十段

しのぶの浦(ウラ)の蜑(アマ)の見る目も所(トコロ)せく、くらぶの山も守(モ) る人繁(シゲ)からんに、わりなく通(カヨ)はん心の色(イロ)こそ、浅からず、 あはれと思ふ、節々(フシブシ)の忘れ難(ガタ)き事も多からめ、親・はらから 許(ユル)して、ひたふるに迎(ムカ)へ据(ス)ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。

世にありわぶる女の、似げなき老法師(オイボフシ)、あやしの吾妻人(アヅマ ウド)なりとも、賑(ニギ)はゝしきにつきて、「誘(サソ)う水あらば」など云 ふを、仲人(ナカウド)、何方(イヅカタ)も心にくき様(サマ)に言ひなして、知 られず、知らぬ人を迎(ムカ)へもて来(キ)たらんあいなさよ。何事(ナニゴト) をか打ち出(イ)づる言(コト)の葉(ハ)にせん。年月(トシツキ)のつらさをも、 「分(ワ)け来(コ)し葉山(ハヤマ)の」なども相語(アヒカタ)らはんこそ、尽( ツ)きせぬ言(コト)の葉(ハ)にてもあらめ。

すべて、余所(ヨソ)の人の取りまかなひたらん、うたて心づきなき事、多か るべし。よき女ならんにつけても、品下(シナクダ)り、見にくゝ、年(トシ)も 長(タ)けなん男は、かくあやしき身(ミ)のために、あたら身をいたづらになさ んやはと、人も心劣(ココロオト)りせられ、我が身は、向(ムカ)ひゐたらんも、 影恥(カゲハヅ)かしく覚えなん。いとこそあいなからめ。

梅の花かうばしき夜(ヨ)の朧月(オボロヅキ)に佇(タタズ)み、御垣(ミカキ) が原(ハラ)の露分(ツユワ)け出でん有明(アリアケ)の空も、我(ワ)が身様(ミ ザマ)に偲(シノ)ばるべくもなからん人は、たゞ、色好まざらんには如(シ)か じ。

■第二百四十一段

望月(モチヅキ)の円(マド)かなる事は、暫(シバラ)くも住(ヂユウ)せず、や がて欠(カ)けぬ。心止(トド)めぬ人は、一夜(ヒトヨ)の中(ウチ)にさまで変る 様(サマ)の見えぬにやあらん。病(ヤマヒ)の重(オモ)るも、住する隙(ヒマ)な くして、死期(シゴ)既に近し。されども、未(イマ)だ病急(キフ)ならず、死に 赴(オモム)かざる程は、常住平生(ジヤウヂユウヘイゼイ)の念に習ひて、生( シヤウ)の中に多くの事を成(ジヤウ)じて後(ノチ)、閑(シヅ)かに道を修(シユ) せんと思ふ程に、病を受けて死門(シモン)に臨む時、所願一事(シヨグワンイ チジ)も成せず。言ふかひなくて、年月(トシツキ)の懈怠(ケダイ)を悔(ク)い て、この度(タビ)、若(モ)し立ち直りて命(イノチ)を全(マツタ)くせば、夜( ヨ)を日(ヒ)に継ぎて、この事、かの事、怠(オコタ)らず成(ジャウ)じてんと 願ひを起すらめど、やがて重(オモ)りぬれば、我(ワレ)にもあらず取り乱して 果てぬ。この類(タグイ)のみこそあらめ。この事、先(マ)づ、人々、急ぎ心に 置くべし。

所願(シヨグワン)を成じて後(ノチ)、暇(イトマ)ありて道に向(ムカ)はんと せば、所願尽(ツ)くべからず。如幻(ニヨゲン)の生(シヤウ)の中(ウチ)に、何 事(ナニゴト)をかなさん。すべて、所願皆妄想(ミナマウザウ)なり。所願心に 来たらば、妄信迷乱(マウシンメイラン)すと知りて、一事(イチジ)をもなすべ からず。直(ヂキ)に万事(バンジ)を放下(ハウゲ)して道に向(ムカ)ふ時、障り なく、所作(シヨサ)なくて、心身(シンジン)永く閑(シヅ)かなり。

■第二百四十二段

とこしなへに違順(ヰジユン)に使はるゝ事は、ひとへに苦楽( ラク)のためな り。楽(ラク)と言ふは、好(コノ)み愛(アイ)する事なり。これを求むること、 止(ヤ)む時なし。楽欲(ゲウヨク)する所、一つには名(ナ)なり。名に二種(ニ シユ)あり。行跡(カウセキ)と才芸(サイゲイ)との誉(ホマレ)なり。二つには 色欲(シキヨク)、三つには味(アヂハ)ひなり。万(ヨロヅ)の願ひ、この三つに は如(シ)かず。これ、顛倒(テンダウ)の想(サウ)より起りて、若干(ソコバク) の煩(ワヅラ)ひあり。求めざらんにには如(シ)かじ。

■第二百四十三段

八(ヤ)つになりし年、父に問ひて云はく、「仏(ホトケ)は如何(イカ)なるも のにか候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成(ナ)りたるなり」と。 また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教(ヲ シヘ)によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教 へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり 」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひ ける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧(ワ)きけん」と言ひて 笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人(シヨニン)に語(カ タ)りて興(キヨウ)じき。

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