本人读书向来兴致所至,当年就为了一睹源氏之风华,买了套丰子恺译本的《源氏物语》。
还算认真的读了一下,感觉结构松散,翻译除了诗句之外,也很是单薄无味,甚是失望。昨天偶尔在豆瓣上看到一篇文章《怎样阅读源氏物语》,细细一看,发现《源氏物语》被称为奇书是名至实归的。肤浅单薄的不是书,而是鄙人我。。。
感觉还是很有必要来说一下这个问题的,也为继我之后读此书的人造福。。。
源氏物语54章内容可分为前后两部:前部从第一章《桐壶》开始,至33章《藤花末叶》终。后部则从《新菜》始至最后。然后前33卷中更可以分为ab两部。最初作者先写完a部,这之后将b部如下图样插入a部之中。具体如下:
a 系 b 系
(1) 桐 壷
(2) 帚 木
(3) 空 蝉
(4) 夕 顔
(5) 若 紫
(6) 末摘花
(7) 紅葉賀
(8) 花 宴
(9) 葵
(10) 賢 木
(11) 花散里
(12) 須 磨
(13) 明 石
(14) 澪 標
(15) 蓬 生
(16) 関 屋
(17) 絵 合
(18) 松 風
(19) 薄 雲
(20) 朝 顔
(21) 少 女
(22) 玉 鬘
(23) 初 音
(24) 胡 蝶
(25) 蛍
(26) 常 夏
(27) 篝 火
(28) 野 分
(29) 行 幸
(30) 藤 袴
(31) 真木柱
(32) 梅 枝
(33) 藤裏葉
研究人员这么分的根据有其下几点:(我就按自己理解简单概括一下)
1. ab两系写作风格不一样。a部缺少具体描写,而b部则斟字酌句。
2. 从前半部分将b系删去的a系,变成了非常连贯的一个故事。
3. a系的人物在b系中出现过,而b系的人从来没有在a系中出现过。a中发生的事件对b有影响,而b对于a系没有任何的影响。
这么来分析的话,a系为源氏的致富经。而b系则包括有对源氏太对完美的一种批判。由此可见,作者是在不同时间写出这两个部分的。
也就是说,读此书的时候,先把前半部分的ab两系区分开,先读a,之后再读b。之后再读后半部分。
以上的文章并非完全一字一句翻译,我把作者的意思加上我自己的理解稍微翻了一下。Ps:怪不得我读的那么混乱,准备按这个方法再读一遍。
原文:
こうして前半が a, b 二系統に分離できるという前提の下に、 それぞれを分析してみると、
a 系は基本的に致富譚である。 即ち、 光源氏についてのある予言が最終的に実現し、 その結果最高の繁栄に至る (彼は最後には準太上天皇という高位に至るばかりでなく、 壮麗な御殿を建造して関係する女性を全て住まわせる)。 それが紫式部の並々ならぬ漢学の素養を背景に、 『史記』 『後漢書』 の 「本紀」 のような年代記の体裁を取って記述されている。
b 系は、 a 系が既に文学好きの人々の間で読まれ好評を得ている中で、 「光源氏が完全無欠扱いされ過ぎている」 という批判に応えるべく書いた、 「失敗に終る挿話」 群である。
男と女の間柄を捉える作者の見方において、 a 系を書いた時と b 系を書いた時では相違がある。
最後に、 a 系は若い女性、 b 系は中年の男性、 という具合に執筆時に想定した主たる読者層が異っている。
『源氏物語』 54 帖は内容的に
前半 : (1) 桐壷から (33) 藤裏葉まで
後半 : (34) 若菜から終りまで
に分かれるが、 前半 33 巻は更に
桐壷・若紫等を含む 17 巻 ( a 系と呼ぶ)、
帚木・夕顔等を含む 16 巻 ( b 系と呼ぶ)、
の二系統に分離することができる。 そして実は、
最初に a 系の巻々が書き継がれて一旦完結し、
その後で b 系が下の図式のように a 系に挿入された、
というものです。 当然のことながら前半については、 まず a 系を通読し、 その後で b 系を読み進む方が、 作品の成立および当時の流布の実態に沿うことになります (武田宗俊は二系統を 「紫の上系」 「玉鬘系」 と名付けています)。
前半を a 系と b 系に分離すべきだと考える根拠は、 主に次の三点です :
1) 桐壷の巻では、 筋書きを連ねていくばかりで個々の具体的描写も乏しく、 筆は全く走っていない。 ところが帚木の巻に入ると、 作者は急に饒舌になり活気に満ちて語っている。 内容的にも連続していない。 更に b 系の方が一般に緩急・強弱の付け方において、 遥かに工夫が凝らされている。
2) 前半から b 系を除いた a 系 17 巻だけで、 一貫した欠ける所のない物語となっている。
3) a 系の人物は b 系にも登場するが、 b 系に初登場する人物はその後に来る a 系の巻には登場しない。 また a 系で起きた事件は b 系に影を落しているが、 b 系で生じた種が a 系に戻って活動することは無い。
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